最近は特にノンフィクションの映画やドラマ、ドキュメンタリーものが好きだ。真実の中にこそ自分の道しるべとなるものがひそんでいるような気がするから。知り合いの一人が平和映画祭を高岡で主催した。選ばれた5本の映画は、映画好きの彼ならではの厳選された素晴らしい映画ばかり。昨夜は前夜祭で、その中の1本『六ヶ所村ラプソディ』を観て来た。この映画は2年間にわたる撮影の時間を費やされて撮られたドキュメンタリー映画。監督は映画『ヒバクシャ』を作った鎌仲ひとみ監督。映画『ヒバクシャ』ではイラク戦争で使われた劣化ウラン弾により、子どもたちが白血病にかかり死んでいく状況が撮られている。今回は、この劣化ウラン弾をたどっていった先に、この六ヶ所村の核再処理工場があったという。
今、日本では青森の六ヶ所村で核再処理工場が稼働しようとしている。核の再処理の技術は非常に難しく、そして原発以上に危険をともなうもの。今これを試みようとしている国は世界で日本だけ。イギリスもこれを試みたが、事故を起こし断念。六ヶ所村では、この再処理工場を作る計画に最初多くの漁師や農家の人たちをはじめとする市民が反対したが、大きな権力とお金に屈して、賛成派に回っていく。今だに村の中で反対を訴えているのはただ一人の女性だけ。その様子を淡々とカメラは写していく。この映画を通して見えてくるのは、誰の心の中にもある人間の弱さなのかもしれない。しかし、その弱さのためにとてつもない危険なものを受け入れてしまう現実。一方では、反対派が一人になろうが、原発に頼らない生活をして、故郷を守るために再処理工場に反対し続ける女性。自分ならどちらを選択して生きるのだろう?と考えさせられる。そして、稼働が始まれば青森のこの村から放射能が必ず放出されるという現実。これは日本に住む誰もが、どこかで被害者になっていくということだ。
そして、この映画を観ていくとこれが六ヶ所村だけの問題ではなく、日本に住む人間みんなの問題だと分ってくる。巨大なエネルギーを使う豊かさは、実は巨大な危険を同時に抱えなければ実現しないのだ。お金やものの豊かさが、決して幸せを生みだしてはいないという現実。今、求められているのはお金やものでは得られない心の豊かさなのだと思う。自然破壊や危険なものを手放してこそ、豊かな心の時代が作れるように思うのはきっと私だけではないはず。そして、エネルギーに関していえば、本当に必要なものだけにエネルギーを使えば、危険な選択をしなくてもいいのだ。日本の原発(日本の全エネルギーの33%を作っている)を全て止めれば、1991年の頃のエネルギー消費量になるらしい。「それでも全然構わない!」と、そんな選択を心の中でしている人は意外と多いように思う。ただ、このような情報が日本では表面に全く出ない理由は、マスコミ業界にも巨額のお金が流れているせいらしい。私たち市民にとっての始めの一歩は、まず『知ること!知ろうとすること!』なのだと思う。
※ブログを通してこんなネットワークを知りました。で、私もささやかながら“STOP!再処理 ネットワーキング”に賛同し参加します。興味のある方は、コメントのばいんさんの文を読んでみてね!
今、日本では青森の六ヶ所村で核再処理工場が稼働しようとしている。核の再処理の技術は非常に難しく、そして原発以上に危険をともなうもの。今これを試みようとしている国は世界で日本だけ。イギリスもこれを試みたが、事故を起こし断念。六ヶ所村では、この再処理工場を作る計画に最初多くの漁師や農家の人たちをはじめとする市民が反対したが、大きな権力とお金に屈して、賛成派に回っていく。今だに村の中で反対を訴えているのはただ一人の女性だけ。その様子を淡々とカメラは写していく。この映画を通して見えてくるのは、誰の心の中にもある人間の弱さなのかもしれない。しかし、その弱さのためにとてつもない危険なものを受け入れてしまう現実。一方では、反対派が一人になろうが、原発に頼らない生活をして、故郷を守るために再処理工場に反対し続ける女性。自分ならどちらを選択して生きるのだろう?と考えさせられる。そして、稼働が始まれば青森のこの村から放射能が必ず放出されるという現実。これは日本に住む誰もが、どこかで被害者になっていくということだ。
そして、この映画を観ていくとこれが六ヶ所村だけの問題ではなく、日本に住む人間みんなの問題だと分ってくる。巨大なエネルギーを使う豊かさは、実は巨大な危険を同時に抱えなければ実現しないのだ。お金やものの豊かさが、決して幸せを生みだしてはいないという現実。今、求められているのはお金やものでは得られない心の豊かさなのだと思う。自然破壊や危険なものを手放してこそ、豊かな心の時代が作れるように思うのはきっと私だけではないはず。そして、エネルギーに関していえば、本当に必要なものだけにエネルギーを使えば、危険な選択をしなくてもいいのだ。日本の原発(日本の全エネルギーの33%を作っている)を全て止めれば、1991年の頃のエネルギー消費量になるらしい。「それでも全然構わない!」と、そんな選択を心の中でしている人は意外と多いように思う。ただ、このような情報が日本では表面に全く出ない理由は、マスコミ業界にも巨額のお金が流れているせいらしい。私たち市民にとっての始めの一歩は、まず『知ること!知ろうとすること!』なのだと思う。
※ブログを通してこんなネットワークを知りました。で、私もささやかながら“STOP!再処理 ネットワーキング”に賛同し参加します。興味のある方は、コメントのばいんさんの文を読んでみてね!