小さいものでもないかと考えるが ”何もない”
アメリカには20代後半に日本の商社から派遣されてきて数年後にその会社が倒産 数年過ごしたこのアメリカでの自由さ 奔放さにすでにかなり感化され永住を決めた
それからというものは就職しようにも日本での学歴も職業経験も一切このアメリカでは通用せず30歳近くにもなっていたにも関わらずまともな職につけなかった ”食う” ためにだけのアルバイト的な仕事ばかりであった 当然たくさんの人びとが夢見る人生構成 結婚などは絶対できないと思っていたし まずコネリン今でもそうだが”責任感”というものは殆ど無い
まっ 能天気とでも言おうか辛いと感じたことも無かったけどね
しかし30過ぎにとも子と知り合ってからは少しの変化 当時恋愛してたとは思わないが一人でいるよりかはいいかっなって思って しかし月日が経つうちに情も出て来た お互い何もわかっていないまま生活が始まっていた
ただ無言の約束のもと 子供は絶対に作らないということ 当時コネリン文無し とも子はまだ美容留学生 自分たちが食うだけで精一杯 とてもまともな家庭設計など考えられなかった アクシデントはあったものの何もなかったことの如く済ませた
コネリン 愛情と言うものに子供の頃から薄かったせいかよくわかっていなかったが ”ものを大事にする” ということはわかっていたようだ
それからって言うものは それこそ人生なんとかしなくっちゃぁ〜 と言うような感じで 数年 朝は6時から日本の運送屋で事務員さん 2時に終わってテニスのインストラクター 夜は日本食レストランでキッチンヘルパー と働いたね
その後はトーレンスに最初の家 これがまたぼろ屋 家の中のドアも満足に閉まらない しかしこの家が2年半で3倍弱の値上がり
これがすべてのきっかけになった まっこれ以後の ”人の上手くいったストーリー” などはどうでも良いだろうからこれで終わり
さて話は変わってアメリカのコネリンが少しだけ知っているシステム
まずソーシャルセキュリティー これはミニマムでも10年間収めると65歳からのメディケアと62歳からスタートするリタイアメントが認められる
しかしこのソーシャルセキュリティー まずマキシマムでリタイアまで収めても(今日の金額は知らないが)まず飯が食える程度 それも世間一般のインフレーションには程遠い毎年のアジャストメント
よくあるケースではリタイアメント当時の計算方法では充分に生活できるほどあるのだが数年もするとインフレーションに追いつけずジリ貧になること間違いない
フィックスインカムでは生活にいずれ支障をきたすこと インフレーションに対応できる流動性インカムを持つべきだと思う
医療システムのあり方
これは”システム”に乗ればかなり満足な治療が受けられる 個人的には日本のシステムはよくわからないがアメリカの最新医療技術やプロフェッショナルな担当者たちで成り立っている
ドクターも麻酔師も看護婦ですらお互い手術当日顔を合わせるだけと言うような また病院の手術室 病室というファシリティーですら賃貸しである
コネリンの言う”システムに乗る”ということは まずホームドクターがどこに所属しているか知るべき (保険会社によりドクターが選べるものと選べない保険がある ただ選べないまでもドクターにインタビューして変えることができる)その後はそのホームドクターがどのような専門医を紹介するかにかかっている
まっ コネリン的に言ってしまえばホームドクターっていうのはドクターというよりも”医療アドバイザー”であろう
そのHDがどのような横のつながりがあるかによると思う そう すべてが紹介 紹介で成り立っている
今のところコネリンは眼の手術しか受けたことがないが あとで聞くと眼球の奥に”ガスを注入し敗れた穴を塞ぐ”というその方法は日本ではまだないらしい
っとまぁ〜 個人的にはアメリカでの人生 全てに感謝する そして少し気をつけるだけですべてがうまくいく 何の不満もない!!! 最後に一番良かったのはとも子というミリオンダラーロットに当たったことだろう
釣ってきた魚のクッキング(写真が上手く撮れていない コネリンすでにいい気分であった スコッチ3杯まではいいんだが4杯目ともなるともうダメ)
シートラウトのレモンパセリのバター焼き 始めてであったがかなり美味かった
シートラウトのテクスチャーと味が白マグロに似ていることから”漬け”も作ってみた
これも変わらずいけた!!
アメリカには20代後半に日本の商社から派遣されてきて数年後にその会社が倒産 数年過ごしたこのアメリカでの自由さ 奔放さにすでにかなり感化され永住を決めた
それからというものは就職しようにも日本での学歴も職業経験も一切このアメリカでは通用せず30歳近くにもなっていたにも関わらずまともな職につけなかった ”食う” ためにだけのアルバイト的な仕事ばかりであった 当然たくさんの人びとが夢見る人生構成 結婚などは絶対できないと思っていたし まずコネリン今でもそうだが”責任感”というものは殆ど無い
まっ 能天気とでも言おうか辛いと感じたことも無かったけどね
しかし30過ぎにとも子と知り合ってからは少しの変化 当時恋愛してたとは思わないが一人でいるよりかはいいかっなって思って しかし月日が経つうちに情も出て来た お互い何もわかっていないまま生活が始まっていた
ただ無言の約束のもと 子供は絶対に作らないということ 当時コネリン文無し とも子はまだ美容留学生 自分たちが食うだけで精一杯 とてもまともな家庭設計など考えられなかった アクシデントはあったものの何もなかったことの如く済ませた
コネリン 愛情と言うものに子供の頃から薄かったせいかよくわかっていなかったが ”ものを大事にする” ということはわかっていたようだ
それからって言うものは それこそ人生なんとかしなくっちゃぁ〜 と言うような感じで 数年 朝は6時から日本の運送屋で事務員さん 2時に終わってテニスのインストラクター 夜は日本食レストランでキッチンヘルパー と働いたね
その後はトーレンスに最初の家 これがまたぼろ屋 家の中のドアも満足に閉まらない しかしこの家が2年半で3倍弱の値上がり
これがすべてのきっかけになった まっこれ以後の ”人の上手くいったストーリー” などはどうでも良いだろうからこれで終わり
さて話は変わってアメリカのコネリンが少しだけ知っているシステム
まずソーシャルセキュリティー これはミニマムでも10年間収めると65歳からのメディケアと62歳からスタートするリタイアメントが認められる
しかしこのソーシャルセキュリティー まずマキシマムでリタイアまで収めても(今日の金額は知らないが)まず飯が食える程度 それも世間一般のインフレーションには程遠い毎年のアジャストメント
よくあるケースではリタイアメント当時の計算方法では充分に生活できるほどあるのだが数年もするとインフレーションに追いつけずジリ貧になること間違いない
フィックスインカムでは生活にいずれ支障をきたすこと インフレーションに対応できる流動性インカムを持つべきだと思う
医療システムのあり方
これは”システム”に乗ればかなり満足な治療が受けられる 個人的には日本のシステムはよくわからないがアメリカの最新医療技術やプロフェッショナルな担当者たちで成り立っている
ドクターも麻酔師も看護婦ですらお互い手術当日顔を合わせるだけと言うような また病院の手術室 病室というファシリティーですら賃貸しである
コネリンの言う”システムに乗る”ということは まずホームドクターがどこに所属しているか知るべき (保険会社によりドクターが選べるものと選べない保険がある ただ選べないまでもドクターにインタビューして変えることができる)その後はそのホームドクターがどのような専門医を紹介するかにかかっている
まっ コネリン的に言ってしまえばホームドクターっていうのはドクターというよりも”医療アドバイザー”であろう
そのHDがどのような横のつながりがあるかによると思う そう すべてが紹介 紹介で成り立っている
今のところコネリンは眼の手術しか受けたことがないが あとで聞くと眼球の奥に”ガスを注入し敗れた穴を塞ぐ”というその方法は日本ではまだないらしい
っとまぁ〜 個人的にはアメリカでの人生 全てに感謝する そして少し気をつけるだけですべてがうまくいく 何の不満もない!!! 最後に一番良かったのはとも子というミリオンダラーロットに当たったことだろう
釣ってきた魚のクッキング(写真が上手く撮れていない コネリンすでにいい気分であった スコッチ3杯まではいいんだが4杯目ともなるともうダメ)
シートラウトのレモンパセリのバター焼き 始めてであったがかなり美味かった
シートラウトのテクスチャーと味が白マグロに似ていることから”漬け”も作ってみた
これも変わらずいけた!!
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