コネリンのイージーライフ”テキサス”編

テキサス州は最南端ロックポートで、今度は色んなフィッシングにチャレンジな日々を綴ります🎵

申し分ない老後だと思うのだが

2024-05-16 15:32:48 | ライフスタイル

多分 自分の性格からくるものだろうが 健康になんのトラブルもなく ファイナンシャルも向こう何十年も大丈夫のはずであるにも関わらず 平和で毎日が楽しいと なにか何処かに落ち度はないか トラブルがないかと脳裏をかすめ ”不安” になってしまう そして何度も自分に問いかけるのだがトラブルはないはずである

20代半ばで日本からロスアンジェルスに来 ほとんど文無しで生活をはじめ(最初はシアトルに駐在員として しかし会社が消滅 その後ロスアンジェルスに) 知人のカウチで寝泊まりをするという生活が始まった そんなときとも子と知り合い(すでに30歳前半) これはなんとかしなくっちゃ〜 と奮起したのだが このアメリカでは日本の学歴も全く通用せず最低賃金の仕事しかなかった キッチンヘルパー ツアーガイドなど

しかしその最低賃金の仕事でも早朝から夜遅くまで働けばなんとか人並みの生活はできた(一時は3つの仕事を掛け持ち)

たまたまとも子が美容師であったことで美容院をオープン その美容院が日本のバブルと重なり多くの駐在員の方々がロスアンジェルスに そしてお店は繁盛 我々の収入は一気に増えた そのドウで小さい家ではあったが最初の家を購入することができ またラッキーなことにその家が僅か数年で3倍にも値上がり その家のリファイナンスで更に数件の家を購入 っと ここまでは良かったのだが背伸びしすぎたせいか オーシャンサイドに購入した小さいアパートが湾岸戦争のため一気にテナントが出てしまった(オーシャンサイドは軍隊の街 テナントはほとんどが兵士であった) そのためアパートを売りに出したのだが半額近くに値下げても買い手がつかず2年ほど空き家のまま モーケージを払い続けることに 最終的にはバイヤーに頭金までもローンし手放した

こんな苦い経験から不動産投資から手を引き株式投資に たまたまこれも上手くいった そして数々のハイエンドな車や 小型機 またクルーザーなどの思わぬ生活を楽しむことができた

我々 もともと裕福な家庭で育ったわけでないので 裕福になるより人生を楽しむことにしたわけである

今では何も持っていないが 若い時期にそんな富裕層のようなな生活ができたという良い思い出と平和がある

それでも最初に記したように コネリン なんのトラブルもない今であるが いつも ”不安” が脳裏をかすめる

まっ この変な性格 治らないねっーーーーーー 7月には75歳になるのにーーー 

                             

 

 

                   


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