かねてから計画をしていた宇都宮戦蹟ツアーへ行ってまいりました。
1月13日、それは寒い寒い日。
かつては 『スキー場にサマーセーターを着て行き、同行者を驚愕の坩堝に陥れた』 という伝説を持つほど寒さに強かった私ですが、よる年波には勝てず (笑) さすがにマフラー・ブーツ・ダウンジャケットの3点セットを身にまとう。
正解だったよー。 だって、本当に寒かったんだもん・・・。
ツアーコンダクター (笑) Gさんを中心に、幕末好き5人が上野へ集合。
各駅停車で宇都宮を目指す。
程よい混み具合 (笑) の列車にコトコトと揺られ、約2時間後に宇都宮へ到着。
ここからバスで六道口へ向かう。
ここは、幕府軍と新政府軍との間で城の奪還をめぐる大激戦があったところで、当時この周辺には多数の死体が散乱していたとか。
その後官軍の戦死者は報恩寺に葬られ、立派な墓碑も建てられたものの、賊と呼ばれた幕府軍の戦死者は供養もされず、土地の人々に仮埋葬されたままだったのですが、明治7年、この場所に墓碑が建立、大正初期以降は法要も行われるようになったそうです。
その墓石がこれですね。
↑ 戊辰役戦士墓、と刻まれています
↑ 新政府軍の戦死者が祀られている報恩寺山門。茅葺屋根が珍しい。
現在は、官軍戦死者が埋葬された報恩寺の斜め前にある一向寺にも、戊辰戦争の慰霊碑が建っております。
さて、その後に向かう先は、お楽しみのお昼ごはん♪
報恩寺から2キロ弱。
ここで威力を発揮したのが、ご一緒したAさんの携帯に搭載された 「ナビ」 ですよ!
いやー、すごかったわ。
裏道・細道・ネコ道 (笑) を通ってピタリと目的地 「料亭・明治屋」 まで誘導していただけました。
これには感激!!
感激!!といえば、この 「料亭・明治屋」 さんにも感激~!
テーブル席はなく、趣の違った個室で全席予約のお店。
私たちが通された 「黄(こがね)の間」 も床の間つきの個室。
ここで頂いた 「会席くずし」 、品数・味・見た目も含めて 「この料金でいいんですかぁ?」 と思うほどのものでした。
しかも冷酒がウマイ (笑)
↑ これ、ほんの一部です。 全9品。 デザートの後にくずきりと抹茶がでました
ウマイ冷酒を飲んで、この先大丈夫ですかー? な私でしたが、外の寒さにさらされたら一気に冷めました (爆)
ここから再びバスに乗って二荒山神社へ。
日光にあるのは 「ふたらさんじんじゃ」 ですが、ここは 「ふたあらやまじんじゃ」 と読みます。
この神社も、宇都宮戦争で新政府軍の砲弾攻撃により破壊・消失したのち、明治年間に再建されたもの。
ちなみに、ご祭神の豊城入彦命は武徳にも優れ、著名な武将らも戦勝祈願してるそうですよ。
↑ 二荒山神社。 愛宕山の石段を彷彿とさせます
さて、お待ちかねの宇都宮城は、二荒山神社の南に位置し、関東7名城のひとつと謳われた名城。
1キロ四方もの広さを誇った堅牢な宇都宮城だったのですが、やはり幕府軍と新政府軍の攻防による戦火で消失。
わずかに残った塀や土塁等の遺構も、戦後 (第二次世界大戦後です) の宅地化・都市化でことごとく壊されてしまったとか。
しかしながら現在は、宇都宮城再建計画が進行中で、土塁・お堀・清明台・富士見櫓の再建が叶いましたが、 「だったら壊さなければよかったのに・・」 と思うのが、正直な感想ですかね。
残念なことではありますが、雄大な土塁の上にそびえる再建された清明台は青空に映えて美しかったです。
宇都宮城址を後にした私たちは、城の東側を流れる田川へ向かう。
宇都宮戦争では、城外戦に破れた新政府軍が篭城戦の準備をするべく宇都宮城に逃げ戻ったわけですが、慌てていたのか、その際、田川にかかる梁瀬橋等の橋を落とすことを忘れていた。
その橋を渡って、幕府軍が宇都宮城外郭東部の中河原門と城東南の下河原門に攻撃を開始したわけですね。
当時の緊迫した攻防をよそに、現在の田川は滔滔と流れております。
その田川に沿って歩きながら、当時のこの場所に思いを馳せる。
川風は・・・とっても寒かった。
【おまけ??】
宇都宮から上野にもどるべく乗り込んだ快速ラピッドですが・・・・。
古河で停車後、動く気配がない。 車内に流れるアナウンス。
「新白岡-久喜間でおきた人身事故のため・・・・・・」
幸運なことに、ツアコンGさんが事前に購入しておいてくれた 「普通グリーンきっぷ」 のおかげで座席の確保はできておりましたので、1時間以上の遅れもイライラせずに過ごせました。
電車は大宮で運転打ち切りでしたが、おかげで最後までサプライズな (爆笑) 旅ができましたよ!
Gさんはじめご同行いただいた皆さん、ありがとうございました!
機会があったら、またご一緒に!