今回の旅、真打は米沢であるが、 3 日目のこの日は、邪道な国盗りミニトリップを仕込んでおりましてね。

山形県の米沢から、新潟県の坂町まで走っている JR「米坂線」
この米坂線も、 8 月の豪雨で不通となり、現在は米沢-今泉のみが臨時ダイヤで運行されており、今泉-坂町は代行バスにてつながっている。
その米坂線の路線図と、国盗りマップ(爆)を見比べているうちに気が付いた。
今泉まで行くことができれば、「南陽・上山」「長井」の 2 国が盗れる!

事前に yahoo の路線情報で調べる限りでは、 1 時間で往復できそうだったのだが、現地の臨時時刻表を確認すると、途中駅の停車時間の関係で、復路の乗り継ぎがうまくいかず、往復で 2 時間近くを要することがわかった。
でもせっかくここまで来たんだしなぁ・・・・と諦めきれずに地図を見ていたら、代わりに面白いことに気が付いた。
今泉からの復路、「米沢」まで戻らず、「西米沢」で下車すると、徒歩 17 分(1.1km)で「上杉家御廟所」へ行けるじゃないの(笑)
うんうん、無駄じゃない、これは採用だ!

「上杉家御廟所」 は、上杉謙信の廟を中心に、上杉景勝や、上杉鷹山ら歴代米沢藩主の廟屋が並ぶ荘厳な場所であり、心静かに参拝することが出来る。

その奥方や子女たちは、新潟県上越から米沢に移された 「春日山林泉寺」 に埋葬されているということを知ったので、それならば、林泉寺へも行きたいと思い、地図を見ながらアクセスを検討していたら、徒歩 27 分(1.9km)の場所に位置していることがわかった。
「上杉神社」へ行くには少々回り道ではあるが、こちらへも寄ってみることにする。

上杉景勝の家臣であった直江兼続は、夫妻でこの墓所に埋葬されているが、景勝公の婦人・菊姫をはじめ、歴代藩主の奥方や子女は、こちらに墓がある。
なんだかはなればなれに埋葬されているのは、寂しそうだなぁ。
ここ林泉寺の本堂では、ガイドのおじ様に、詳しくご説明を伺うことができました。
上杉謙信のおひざ元である、新潟県上越市生まれの私ではあるが、上越で亡くなった上杉謙信の墓がなぜこの米沢にあるのか、また、上越の林泉寺とここ米沢の林泉寺との関係など、詳しく知らなかったことも、非常にわかりやすい説明を聞いてなるほど納得。
当初は予定に入れていなかった場所ではあるが、訪問してよかったわ。
さて、ここからは、いよいよ米沢城跡(上杉神社)へ向かいますよ!
米沢市内には、循環バスが走っているのだが、その本数は、 1 時間に 1 本程度と、決して多いわけではない。
林泉寺から上杉神社へ向かうため、再度地図を確認したところ、ここからも徒歩 17 分(1.2km)ほどで行けることがわかる。
どこへ行くにも微妙な距離で (笑)、つい歩いてしまうじゃないかー!
ここに米沢城があったことを確かに実感させる、お濠に囲まれた美しい上杉神社は、上杉謙信を祭神として、米沢城本丸跡に建立されております。

米沢第 10 代藩主・上杉鷹山公の銅像のそばに建つ碑に刻んである、「為せば成る 為さねばならぬ何事も」という有名な銘文を読みながら、この言葉、ウチの両親がよく言ってたなーと、ふと思い出した。

直江兼続の遺品や美術品が収められている 「稽照殿」 には、有名な「愛」の前立て兜が収蔵されているのですが、残念ながらこの日は「展示がお休み中」で見ることが叶わず、残念。

二の丸にあたる場所には、上杉伯爵邸(上杉記念館)庭園もあり、自由に散策もできますよ。
上杉神社の一角にある、「上杉城史苑」 の中の café で一休みしながら、米沢駅行きのバス時刻表と地図を見比べていたわけですが、 30 分近い待ち時間。
そして駅までの距離 2 km・・・・・ 30 分あれば、歩けるじゃん(笑)
結局、米沢市内をすべて歩きつくした私でした。

いよいよ、縦横無尽に動き回った私のみちのくひとり旅も、フィニッシュが近づいております。
米沢 14:38 発「つばさ 144 号」にて帰宅の途に就く。
自宅最寄りの駅についても、「まだ使えるよ」とばかりに自動改札から吐き出されるきっぷを手に、後ろ髪をちょっとだけ惹かれる思いで、旅の終了といたしました。

それにしても、この東日本パス、いいわぁ。
またやってくれないかなぁ。
そうしたら、今度こそ「五能線の旅」実現させるのになぁ。

山形県の米沢から、新潟県の坂町まで走っている JR「米坂線」
この米坂線も、 8 月の豪雨で不通となり、現在は米沢-今泉のみが臨時ダイヤで運行されており、今泉-坂町は代行バスにてつながっている。
その米坂線の路線図と、国盗りマップ(爆)を見比べているうちに気が付いた。
今泉まで行くことができれば、「南陽・上山」「長井」の 2 国が盗れる!

事前に yahoo の路線情報で調べる限りでは、 1 時間で往復できそうだったのだが、現地の臨時時刻表を確認すると、途中駅の停車時間の関係で、復路の乗り継ぎがうまくいかず、往復で 2 時間近くを要することがわかった。
でもせっかくここまで来たんだしなぁ・・・・と諦めきれずに地図を見ていたら、代わりに面白いことに気が付いた。
今泉からの復路、「米沢」まで戻らず、「西米沢」で下車すると、徒歩 17 分(1.1km)で「上杉家御廟所」へ行けるじゃないの(笑)
うんうん、無駄じゃない、これは採用だ!


「上杉家御廟所」 は、上杉謙信の廟を中心に、上杉景勝や、上杉鷹山ら歴代米沢藩主の廟屋が並ぶ荘厳な場所であり、心静かに参拝することが出来る。

その奥方や子女たちは、新潟県上越から米沢に移された 「春日山林泉寺」 に埋葬されているということを知ったので、それならば、林泉寺へも行きたいと思い、地図を見ながらアクセスを検討していたら、徒歩 27 分(1.9km)の場所に位置していることがわかった。
「上杉神社」へ行くには少々回り道ではあるが、こちらへも寄ってみることにする。

上杉景勝の家臣であった直江兼続は、夫妻でこの墓所に埋葬されているが、景勝公の婦人・菊姫をはじめ、歴代藩主の奥方や子女は、こちらに墓がある。
なんだかはなればなれに埋葬されているのは、寂しそうだなぁ。
ここ林泉寺の本堂では、ガイドのおじ様に、詳しくご説明を伺うことができました。
上杉謙信のおひざ元である、新潟県上越市生まれの私ではあるが、上越で亡くなった上杉謙信の墓がなぜこの米沢にあるのか、また、上越の林泉寺とここ米沢の林泉寺との関係など、詳しく知らなかったことも、非常にわかりやすい説明を聞いてなるほど納得。
当初は予定に入れていなかった場所ではあるが、訪問してよかったわ。
さて、ここからは、いよいよ米沢城跡(上杉神社)へ向かいますよ!
米沢市内には、循環バスが走っているのだが、その本数は、 1 時間に 1 本程度と、決して多いわけではない。
林泉寺から上杉神社へ向かうため、再度地図を確認したところ、ここからも徒歩 17 分(1.2km)ほどで行けることがわかる。
どこへ行くにも微妙な距離で (笑)、つい歩いてしまうじゃないかー!
ここに米沢城があったことを確かに実感させる、お濠に囲まれた美しい上杉神社は、上杉謙信を祭神として、米沢城本丸跡に建立されております。




米沢第 10 代藩主・上杉鷹山公の銅像のそばに建つ碑に刻んである、「為せば成る 為さねばならぬ何事も」という有名な銘文を読みながら、この言葉、ウチの両親がよく言ってたなーと、ふと思い出した。

直江兼続の遺品や美術品が収められている 「稽照殿」 には、有名な「愛」の前立て兜が収蔵されているのですが、残念ながらこの日は「展示がお休み中」で見ることが叶わず、残念。

二の丸にあたる場所には、上杉伯爵邸(上杉記念館)庭園もあり、自由に散策もできますよ。
上杉神社の一角にある、「上杉城史苑」 の中の café で一休みしながら、米沢駅行きのバス時刻表と地図を見比べていたわけですが、 30 分近い待ち時間。
そして駅までの距離 2 km・・・・・ 30 分あれば、歩けるじゃん(笑)
結局、米沢市内をすべて歩きつくした私でした。

いよいよ、縦横無尽に動き回った私のみちのくひとり旅も、フィニッシュが近づいております。
米沢 14:38 発「つばさ 144 号」にて帰宅の途に就く。
自宅最寄りの駅についても、「まだ使えるよ」とばかりに自動改札から吐き出されるきっぷを手に、後ろ髪をちょっとだけ惹かれる思いで、旅の終了といたしました。

それにしても、この東日本パス、いいわぁ。
またやってくれないかなぁ。
そうしたら、今度こそ「五能線の旅」実現させるのになぁ。