那須太社 錦輔 の日記

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佐藤晃先生の著書

2013-08-12 23:39:55 | 政治経済

戦争なんだからしょうがない。

戦争に負けたんだからしょうがない。

我が国がアメリカに勝てるわけがなかった。

そう思っていたのだが、佐藤晃という方の本を読んでそうでもなかったのかも、という気になった。

陸軍悪玉論を排して、海軍が陸軍の脚を引っ張ったという内容である。

佐藤晃先生は大東亜戦争に従軍された方で、文筆業者ではなく市井の方のようであるが、なぜ戦友たちが無残に命を失っていったのか、ということを考えぬき、研究を重ねてこられた方です。

開戦当初の計画通りに陸海軍が動いていれば、戦局はどうなったかわからない、という理論が展開される。

開戦当初の計画とはインド洋方面に展開する、という作戦である。

太平洋方面に展開して全面的に米国と戦うことはしない。

1、東南アジアを植民地支配していた欧米軍を制圧したあとは

2、インド洋方面に軍主力を展開する。

3、インドの独立志向する勢力と連携して、英軍をインドから駆逐する。

4、インド洋の制海権を把握、紅海・ペルシャ湾をうかがう。

5、エチオピアのイタリア軍と連携して(当時まだ死守していたらしい)、チュニジアのロンメルを支援。

6、エジプトの英軍を挟撃して駆逐する。

7、引き続きロンメル軍・イタリア軍と連携し北上、中近東の英軍を駆逐。イランを牽制。

8、インド洋・イラン経由で流れ込んでいた援ソ物資の流れを止める。

9、ロンメル軍・イタリア軍と連携し北上、ロシア南部、カスピ海・バクー方面を攻略。

10、さらに、当時ドイツ軍のスターリングラード侵攻と連携しソ連スターリンを降伏に追い込む

11、英国を降伏させる、もしくは休戦に持ち込む。

12、その間、米軍主力は大西洋・ヨーロッパ方面に置かれているので、太平洋方面は米軍の様子をみながらジリジリとさがっていきながら、敵勢力を漸減させる。

13、こういう戦略があったにもかかわらず、なぜが連合艦隊は軍令部のいうことをきかず真珠湾、ミッドウェーに進出した。

14、しかも補給の利かない攻勢終末点といわれる範囲の外、ガダルカナル、ニューギニアに関東軍から陸軍を引き抜いて次々送り込んで補給をしない。どころか、輸送艦の護衛をおろそかにして途中で沈められる。

15、戦果についても嘘を重ね、そのため作戦に齟齬をきたした。

16、島嶼での防衛戦でも陣地構築を行わなかったため、惨敗を繰り返した(硫黄島を守備され強固な陣を築いて米軍に立ち向かわれた栗林将軍は陸軍の将軍です)。

17、ミッドウェーについては、空母群を守るべき戦艦・駆逐艦がずっと後方で待機してた。米軍の空母を中心とした輪形陣とは全く異なる、防御力の弱い空母をさらけ出す陣形。

等など、基本的に海軍が駄目だった、という論調である。ここまで書いてあることがある程度真実だとすれば、山本五十六や米内光政など連合艦隊司令部は売国奴だったのではないか、とすら思える。

真珠湾攻撃が1941年12月8日、

スターリングラード攻防戦が1942年6月から1943年2月まで

なので、タイミング的には間違っていない。

エチオピアのイタリア軍は、1941年11月28日に降伏したらしいが、1943年9月まで7000人がゲリラ戦を展開した、とネット情報にあるので、こちらも間違ってないと言えば言える。

真珠湾攻撃ではなくインド洋方面への展開を試みていれば、もしかしたら結果は違っていたかもしれない。

決死て無駄な戦いでなかった、と思うのだ。

 

 

 

 

 

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