私は読書家ではありません。
というより、殆ど読みません。
ワインの本はいまだに必要に駆られて見はしますが、小説やエッセイ等はここ十年以上読んだことがない。
お恥ずかしい話ですね。
それでも小学校から中学校に掛けては親から伝記もの、哲学的な本等を与えられ読まされたものでした。
読みだすと止まらないのですね。
ですから、今読まない理由は「止まらなくなるのがイヤ」なのかも知れません。
そのわずかな読書歴の中で心に残っているのは哲学者三木清さんと「次郎物語」の著者である下村個人さんです。
何故か今日、その次郎物語の中に出てくる一節が浮かんできました。
「白鳥入蘆花=白鳥蘆花に入る」です。
背の高い芦の花が咲く河原に真っ白なハクチョウが滑り込みように降りてくると、ハクチョウのその姿は芦の中に消え行っていくけれども、大きくゆったりとした羽の起こした風は芦野原に大きな波を描いている。
白鳥は綺麗で大きな翼を持つけれど、自分を主張せず、芦野原に影響を残す。というものですね。
何故思い出したのかは判らずじまいですが、つい自分を主張してしまいそうな私に対する神の警鐘なのかな、なんて思ってしましました。
次郎物語の中には、もう一つ「飛び上がりもの」という表現も出てきます。
つまり飛び上がりものにならず、キッチリと為すことを為していれば、結果はついてくる、という事なのでしょうね。
40年以上前の記憶です。
解釈が違っていれば申し訳ありません。
しかし、「フッ」と思い起こさせてくれた神様。
有難いと思います。
ご存知の方はご存知の様に私は我を通してしまうタイプです。
飛び上がりもの、です。
よくぞ、思い起こさせてくれた、と感謝ですね。
これから何か言いだしそうな時に、思い出したい言葉です。