昔からよく聞く話です。
唄は世相や時代を表すわけですが、唄が時代を造るということもあるのだろうと思います。
少し違うかもしれませんが「あの歌を聞いていると、青春のあの時を思い出す」ってことはよくあります。
逆に「〇〇という作業をしていると頭の中で誰それの曲がリフレインする」ということもあります。
私の場合、後者が多いように思います。
唄があって何かを思い出す、というのもあるにはありますが脳内は意外に冷静で、行動に伴って唄が浮かぶ場合は深く入っていく感じかなぁと・・・・
かつても書きましたが、父母が堺市鳳の弟のマンションにいた頃のこと、駅からの道を歩いていると中学生の頃に叔父の家で聞いたちあきなおみさんの「喝采」が浮かび、そして私も中学生に戻ってしまいます。
休み日の夕方に西に向かって顔をあげた時に夕陽が見えると「しぼったばかりの~、夕陽のあ~かが~」と拓郎さんの「落陽」が聞こえてきます。
しかし「喝采」も「落陽」も家でYouTubeで聞いても、その情景は浮かばないのです。
私だけでしょうか?
あ、感傷的になっているわけでもないんです。
私の場合、そういう想い出を食事とワインを通じて皆様に提供できるのだろうか?
唄は無いけれど、ある種のワインを口にしたお客様がその頃のご自身の何かを思い出されるとか、料理の香りを嗅いだ時に人生の契機を浮かべるとか・・・・
今のところ、そんな立派な仕事をしている自信はありません。
表題の「唄は世につれ、世は唄につれ」とは離れた話になりましたが、ふと帰りの自転車で感じた備忘録です。
樋口誠
唄は世相や時代を表すわけですが、唄が時代を造るということもあるのだろうと思います。
少し違うかもしれませんが「あの歌を聞いていると、青春のあの時を思い出す」ってことはよくあります。
逆に「〇〇という作業をしていると頭の中で誰それの曲がリフレインする」ということもあります。
私の場合、後者が多いように思います。
唄があって何かを思い出す、というのもあるにはありますが脳内は意外に冷静で、行動に伴って唄が浮かぶ場合は深く入っていく感じかなぁと・・・・
かつても書きましたが、父母が堺市鳳の弟のマンションにいた頃のこと、駅からの道を歩いていると中学生の頃に叔父の家で聞いたちあきなおみさんの「喝采」が浮かび、そして私も中学生に戻ってしまいます。
休み日の夕方に西に向かって顔をあげた時に夕陽が見えると「しぼったばかりの~、夕陽のあ~かが~」と拓郎さんの「落陽」が聞こえてきます。
しかし「喝采」も「落陽」も家でYouTubeで聞いても、その情景は浮かばないのです。
私だけでしょうか?
あ、感傷的になっているわけでもないんです。
私の場合、そういう想い出を食事とワインを通じて皆様に提供できるのだろうか?
唄は無いけれど、ある種のワインを口にしたお客様がその頃のご自身の何かを思い出されるとか、料理の香りを嗅いだ時に人生の契機を浮かべるとか・・・・
今のところ、そんな立派な仕事をしている自信はありません。
表題の「唄は世につれ、世は唄につれ」とは離れた話になりましたが、ふと帰りの自転車で感じた備忘録です。
樋口誠