まだ三月が始まったばかりというのに、道路が乾いている。
こうなると車の運転が荒っぽくなるから、怖い!
昨日、テレビドラマのような場面に遭遇した。
旦那と近所のスーパーに買い物に行った。水物がほしかったので車で出かけた。
買い物を終え、旦那の運転で駐車場の出口に向かった。
広いゆったりとしたつくりの駐車場で、込み合うと誘導員も配置するスーパーなので
めったに出入りで危ない思いはしないのだが、昨日は妙に出口に車が並んでいた。
出ていこうとする車が何かをよけるように回り込んでいく・・・様子がおかしい。
順番に動いて近くまで行ったら、
出口の半分をふさぐような形で、白い軽が歩道に乗り上げて止まっていた。
不思議なことに、助手席に女の子がいるが運転席に人の姿が見えない。
「エンストかあ?」
旦那がつぶやいたときに、道の向こう側からえらく興奮した感じの若い男の子が走ってきて、
車に八つ当たりをするかのように蹴とばし、殴りつけ、
荒っぽい動作で車に乗り込むと、そのあたりで順番待ちをしていた車を縫うようにものすごいスピードで中に入ってきた。
旦那は車を止めてその様子を眺めていたが、
「バカが、・・・」 と一言。
暴走車が近くにいなくなったのを確かめて、
「小学校中学校の先生というのは、あんなのも相手にしなければいけないからな…
平等にしなかったら怒られるし、でもな、あれは平等に扱えないだろうになあ」
とのたまわった。
今うちには義務教育の年ごろの子どもがいないから、実態がどうかは何とも言えないが、
公立小中学校の役割の大きな一つは
「世の中には色々な人間がいる」 という経験をすることだと考えている。
高等学校やさらにその上の教育機関というのは、もっと言えば就職だって、
経済的な面も、学力的な面も、究極の“習熟度別クラス替え”だと思う。
その中から社会で暮らしていく間に、苦手なもの価値観の違うものとは付き合わなくなり、・・・
と、考えていくと、子どもの頃のこの10年足らずが
赤も黒も緑も紫も・・・すべてが並べられたあの教室が、とても貴重な経験なんだと感じるのだ。
子どもが授かると、人生で二度目になるその貴重な体験ができる。
ああ、いろんな人がいるんだなあ…と隣の子育てに感心したり呆れたりする。
車を暴走させたあの子は、どんな人生を歩むのだろう?
幼稚園も小学校も中学校も、可能性という未来を開いていたはず なのだが、
何かつかんでくれているだろうか?
人生って、そう捨てたもんじゃない。
いいことも結構あるもんだ。
ばあさんと呼ばれてもおかしくないおばさんは、大きな声で若い人たちにそう伝えたいと思っている。