私が大病したのは今から8年前。
体調がおかしくなり、まず、何がへんて生理が滞った。
だが、年齢が年齢だから当然「ああ更年期が始まったんだな」と思った。
お腹は下るし、時折吐き気もあり、どうも調子が悪く、
更年期外来にかかった。
医者の話にびっくりポン、目の玉飛び出るとはこういうことかとおもうほど驚いた。
「産婦人科の医師なので、生理が無くなり、吐き気がするとなると考えるのは、妊娠です」
血液検査の結果でもそれは導き出されるということだったが、
このたびのは正常なものではなく不正なものという診断から始まった。
医師の診察を受けるたびに、検査を受けるたびに、状況は大変なことを告げられて、
しまいには予定されていたMRIが機械の故障で延期されて、私はパニックを起こした。
私は生きていけるのでしょうか?
今振り返っても、あの時の不安はとてもとてもしんどかった。
これで大丈夫?これで大丈夫?と手術を繰り返したが、とうとう転移し化学療法の対象になってしまった。
それから1年近く時間をかけて治療を受けて、今に至るのだが、
先日、人間ドックを一緒に受けて結果が届いたときに旦那がぽろっと言ったのだ。
「母があんなことになったのは俺のせいもあるから」
ああ、やっぱり気にしていたのだ・・・
これまで私は一度も話題にしたことはなかった。
旦那が責任を感じているのはうすうす気がついていた。
でも、ね、言ってもしようがないことだし、大人だから、前を向いてよくなるように努力したほうがなんぼもいいと思った。
何より治療がしんどくて旦那にいちゃもんつけるとか、なぐさめるとかするゆとりがなかったから、
ほっといたというのが真相かなあ?
その時我が家には受験生が3人もいたし、私の不在の最中に長女がストレスを抱えて
学校に行けなくなるというおまけも付いた年だったのだ。
あ、長男が自然気胸で入院したのもこの時だった。
私も治療の合間に中学校や高校に進路相談に行ったが、長女のことは大事で旦那が頼りだった。
旦那にどうのこうのというよりは、身体のつらさが大変で、子どもたちを守っていてほしいというのが一番だった。
そして時間が流れ、穏やかな日々が今ある。
旦那が改めて言葉にしてくれて、今まで言い出せなかった旦那の苦しみのようなものを感じた。
私に縁のあったのがこの人ででよかったと思った。
腰が引けて引けて結局何事も大きくは実らすことが出来ない情けないところの多い人なのだが、
逃げ出しちゃいけない場面では絶対逃げ出さない。
そして、私も含めて家族を平等に大事にしてくれている。
うん、やっぱりとってもとってもいい奴だと思う。