つれづれおもふ

思えば遠くに来たもんだ~ぼつぼつ語る日々の出来事

悩んじゃうなあ

2016年03月19日 | 日記

東京の家の建て替え話、大分に話が進んできている。

ああでもない、こうでもないとやり取りが続いている。

お金の工面をしながらの、出された図面をくまなく見ながら・・・・

だが、どうも私は家にこだわりがあまりないのだ。

子どもの頃、父親の仕事の関係でひどい時には2年で引っ越しをした。

どんなになじんだ家でも離れなければならないという経験を何度もしたせいかとも思う。

 

この家は、祖父母からのもので、

父親の異動先が東京の時には何年住んだが、腰を据えたのは父が定年を迎えてからだった。

それにしても30年以上の歳月が流れている。

増改築が重ねられ、先の地震で土台の部分に不安もあり、

父が亡くなってからは大きな手入れを怠ったつけがきて、修理よりは建て替えを選択させたものです。

結婚してこの家を離れた私ですが、私が住まなくなってからも改築があったので、

家そのものにそれほどこだわりがあったわけはないので、思い切りよく建て替えと決断することができた。

ただ、祖父母や父母が、姉が愛でた庭はいくらかでも残してもらいたいと初めからそのように要望してきている。

だがなああ、そりゃあこれだけ大きいものの話だから、

いってみりゃあ、全部平らにして、家建ててから、新しい木を植え込んだ方が手間はかからないのだろう?

話が進んで図面にあれこれ疑問を入れていると、遠まわしにそのような話が持ってこられる。

そのたびに、この木も倒すの?

これもこのままでは置けないの?

と目が点になっている。

ふううううううう?

それともう一つ、

私と姉は子どもの頃ピアノを習っていた。

転勤族だったため、祖父母のもとに残った姉に一台。

両親について歩いた私に一台アップライトのピアノがあった。

姉の物は祖父母の家を手放したときに、そこに置いてあった家具と一緒に処分をした。

私の物は家の片隅に、物置場として置かれっぱなしになっている。

調律することもなく、処分するのも面倒くさいというりゆうからだったのだろう。

当然これを機会に思いきることにしていた。

それが、図面を見たらびっくりぽん!

ピアノの置き場所が用意されていた!

さあああああ、今、最大に悩んでいる。

もう○十年も調律もしていないし、手入れもしていない、おんぼろのアップライトのピアノ。

弾く人もいない・・・でも、しかし、・・・・と悩んでいる。

 

家への愛着って、こういう事の積み重ねかもしれない。

明日、東京に行きます。

庭木のことや、ピアノの事、そばに行ってようおおおく考えるしかないようです。

コメント (2)
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