私の父親は、平成10年に亡くなっている
あの日は日曜日で、私は長男のサッカー少年団の練習を見学しに近くの小学校の体育館にいた
子どもたちが体育館一杯を使って練習をしているので、見学の保護者は舞台上にいて、
扉がガラガラと開き、娘たちと留守番をしているはずの旦那が顔をのぞかせた
手招きをされて出ていったら、
「お義父さんが…」
長男はその時ミニゲームをしていて、
旦那は顔見知りのコーチにゲームを止めてもらい、長男をコート外に出したっけ…
その日の最終便で家族そろって東京に向かったのだが、
後から聞いた話だと、
前の日に同期会があって楽しく過ごしたそうだ
いつもの通りの朝があり、前の日のことで同期会に出られなかった友人に電話をしていたそうだ
その電話のさなか具合が悪くなり、電話を切って動けなくなった
慌てて家族は救急車を呼んだのだが、
その日だったか、前の日か、東京に珍しく雪が降り、坂の上にある我が家に救急車が上ることができず、
隊員の方が担架や道具を片手に坂を駆け上がってくれたそうだ
真夜中に実家にたどり着きへとへとの私が観たものは、
午前中まで何もなく過ぎていた生活のあとだった
いつもの場所に父親の灰皿があり、いつものように新聞があり、
洗濯物が干してあった
ああ、あの時も大雪だったんだっけ……?
父親が逝った年に生まれた末っ子が…雪を片付けている…
ふううむ、時は、こうやって流れるんだ…
いつの日か、今日雪を片付けた末っ子に重なる出来事が起こる……のかしら?
そうだ、最終便に乗ろうと喪服を抱えて子ども三人と千歳空港を走ったっけ…
羽田についたのは深夜で、疲れ切った子どもたちを歩かせられなくて、
途中からタクシーを奮発したんだっけ、
ああ、次から次へと思い出がわいてきた…
こんな日もあるわなあ…東京の雪の風景が何かのスイッチを押したようだ