うむ、やっぱり印象がある映画なんだよなあ…「観たよ」と言うと、
皆さんからいろいろな感想を聞きます
そのたびに己の心の中の何かが揺れ動き、ああでもない、こうでもない、
「金あるからできるんだ」そーなんです!
誰に話しても、それが一番かな?
ああいうことは、生活していくほかにお金が無ければできませんし、
お金だけあっても言ってみれば“偏屈”でなければああいう方向へはいきません
“偏屈”ではなく言葉を選ぶと、“意志”がなければできません
お金が無ければ庭など求めようもなく、この頃は建蔽率も容積率も大分に緩和されているから、
敷地一杯家を建てることも不可能ではなくなっている
お家の中が広いのはゆったりするからいい!
庭なんて、維持がとても変で、時間と労力とお金がかかる
私の東京の家 できるだけ庭を残してほしいと希望を出した…
区の保護樹木の指定を受けている木が1本あるし、ほかにも、
素人が脚立に乗って始末できるようなのでないのが何本かある
植木屋さんを年に一度くらい頼むようにしているが、請求書が届くたびに心臓が痛む
身の丈に余る贅沢なんだとひしひしと感じている
私が小さい頃、あの地域には大きな家が並んでいた
代が変わると形が変わる家があり、
一つの大きな家が割られて、三軒も四軒もになったり、
それが又代替わりを迎えてまた半分に割られて、
今では20から25坪程度の今風の家が並んでいたりする
そんな家並みは最新の施工技術をもってしても、
日当たり風通しを十分にと望んでも、なかなか難しいようだ
私は家に夢を見ます
夏は風が通り、冬はお日様の光でぽかぽかとして、
木陰で本を読み、うとうととまどろみ
野良猫が時折顔を出し、季節の花をめでる
香りのよいお茶を飲み、鳥が飛んできて、
季節によって様子を変える自然がそばにあってほしい
多分、それを都会でやるのはとても贅沢なのだろう
私は、お金がそれほどあるわけでないから、
お金がかからずに津端さんのような、ああいう生活ができればいいなと思う
そうするとやはり地方か…
地方ならなんでもなく手に入る生活が、都会ではお金をかけないと手に入らない
ああ、そういうことなのか…なるほど、そうかあ、
我が家の利用する地下鉄の駅
その二つ先の駅の近く、歩いて5分ほどの場所に畑がある
一丁歩ほどの広さがある
周りは次々と高い建物に変わっていく中、変わらずに
ジャガイモ、玉ねぎ、トウモロコシなどが生産されている
それぞれの考え方だからなんとも言えないが、
どうなんだろう?
畑はそこでなくてもいいんじゃないか?と思うときがあるし、
いやいや、こういう場所だからこそ畑をやる意味があると思うこともある
いずれの生き方にせよ、頑固でなければやり通せない
さあ、私はどちらに向いて頑固であるべきか…
身の丈にあう選択をしたいと思っている
*札幌は車で30分も行けば、いろいろな畑があります
ですが、そこは、公共交通機関がほとんどありません。