つれづれおもふ

思えば遠くに来たもんだ~ぼつぼつ語る日々の出来事

東京の話し   「タワーが迎えてくれたこと」

2013年03月22日 | 徒然に、

先週の木曜日午前中、二軒仕事をし、ちょうど月半ばの事務の締めにかかったので

書類の整理をし事務所に届けて、夕方の飛行機に乗るべく家を出た。

その時まだ札幌にいた長男は、友人と会うのにもう一日居るということだった。

こんなにあわただしい状況で、東京に向かうのは初めてで、あせあせしてしまった。

ああ、でも、お友達のもも吉さんの弾丸ツアーはもっとすごい!やっぱり彼女は凄いなあ~~

一目散に飛行場に向かい、土産を持って機上の人となった。

夜、ついた私をまず迎えてくれたのは

きれいだったなあ~~

ライトアップした東京タワーを観て 「ああ東京だなあ」 と思った。

おのぼりさんのように携帯を向けていたら、私につられたように何人かの人が足を止めて、

写真を撮りだした。

 

この日から始まった怒涛のような日々。

実はタワーが 「がんばれよ」 と応援してくれていたのかもしれない。

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季節が・・・

2013年03月21日 | 日記

いろいろなことをするために、1週間上京した。

朝から晩までよく動いてよく悩んだが、答えを見いだせていないまま時間切れで戻ってきた。

東京での出来事や思いは、ぼつらぼつら語ることができたらいいなあと思う。

しかし、それよりも今日のびっくりは 「日本は縦に長い国」 ということ。

桜満開の東京から戻った札幌は、地吹雪舞う真冬日だった!!!

季節が二つくらい違いますね、同じ日本の国の中。

びっくりするほど営みが違います。

 ⇒

 

 

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ばたばた

2013年03月10日 | 日記

先週の土曜日、次女が帰省した。

猛烈な吹雪であちらこちらで亡くなった方が出た、あのときだ。

暖かい東京からいきなりホワイトアウトの札幌だったせいか、着いた途端に39度近い熱を出した。

すわっインフルエンザか!? と思いきや、疲れが出ただけだったようで、

二日ほどゆっくりしていたらよくなった。

私の仕事は日によって出たり入ったりいろいろであわただしい。

娘も浪人していた友人たちの結果が出て、幸いにうれしい結果がほとんどで

元気になったこともあり、心おきなく毎日のように出かけ再会を楽しんでいる。

その合間に合間に飛び飛びに話をしている。この子は本当に面白い!

 

そして、昨日からまた吹雪いている。

とにかく凄い! 前が向けないほどの風が、地面から雪を舞いあげるように吹き上げてくる。

私、体重には自信があるのですが、それでもときにふわっと舞いあげられるような感じがある。

長靴はいて雪漕いで行きました!!

(ひざ丈ほども積もった雪の中、一歩一歩、道を確かめて歩くことを“雪を漕ぐ”と言います)

朝一番の利用者さんのお宅では、時間通りよくたどり着いたとほめていただきました!!

 

札幌の天候がこんなだからかなあ、

その先週の吹雪の日に、旦那の古くからの友人が亡くなっていたことがわかった。

昨年暮れ、一緒に仕事をしたばかりだった。私も覚えている。

ただ、その時は電話とメールと…そういうツールのやり取りで終えていた。

その時、お互いに体調の心配をしたらしい…旦那は先月、ふと 「電話しなくちゃ」 と思ったようだ。

あれやこれやで逸して、旦那はそれが悔やまれるようだ。

「あいつが俺をよんでいたのかもしれないのになあ」

今日も前が見えないほど天候は悪いが、残された90歳になるお母さまのところに飛んで行った。

 

そして、なんだかというグループの札幌公演のチケットを買ったと、長男が飛んでくる?…はず。

先ほど 「戻るかもしれないけれど、飛ぶって」 とメールが届いた。

そして、明日、十日ほどいた次女が東京に戻る・・・・・・・雪は大丈夫かなあ?

ま、千歳空港の除雪能力は半端ない。今日はともかく明日は大丈夫だろう!

それを追いかけるように私も上京する。準備しなくっちゃ!

目が回る! 頭がついていかないので、バタバタの度合いが激しい!

頑張ろう!

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つらい知らせは続く

2013年03月04日 | 子育て

赤ん坊のころからずっと知っている娘さんがいる。

何かのきっかけでお母さんと知り合い、同じ年の子どもがいることから仲良くなり、

以来ご縁が続いていた。ここしばらく音信がなかったが、私のほうが原因だと思っていた。

 

ところが・・・・絶句だ! こんなことが実際にあるんだ!

 

その子は順調に4年制大学を卒業し、就職活動もきちんと行い、

名前を聞けば誰もが知っている会社に入社した。

東京採用だったため、親元を離れ会社が用意してくれた社宅に入り、孤軍奮闘した。

新人研修では、同期100名ほどの上位10位に入るほど頑張ったそうだ。

配属が決まり、男性社員がほとんどの職場で営業の仕事を始めた。

それが・・・・鬱状態になって出社できなくなったという。

何があったのか、お母さんからとぎれとぎれに聞く出来事は耳を疑うものだった。

パワハラ、セクハラ、もし私が聞いたことの十分の一でもあったのなら

うちの旦那に言わせれば 「週刊誌に売れ!」 というものだ。

小学校や中学校じゃあるまいし、そんなことが正々堂々と行われているのか・・・言葉にならない。

くそっくらえ!! 大バカ者ども!!怒鳴りつけてやりたい!

「こんなことに負けて、辞めたくない」 と娘さんは言ったそうだが、段々出社することができなくなった。

せっかく夢をもって社会人になったのに・・・どうして、こんなことになったのだろう。

何度かお母さんが上京し話し合いをして、先月退職の手続きをとり社宅を引き上げてきたそうだ。

働く意欲のある若い人を大事にしない国は、 いつかつぶれてしまう。

年寄りも大事 子どもも大事  当たり前だ。

でも、若い世代がつぶれてしまったら、どうするんだ!!

いい加減にしよう! 「ゆとり世代」 といっていたぶってばかりいたら、

彼らはこの国を見捨てて出ていってしまうだろう!

そんな国に日本は向かっているのだとしたら、大人としてこんなにさびしいことはない。

 

 

 

 

 

 

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つらい知らせ

2013年03月02日 | 日記

私はここに書いたことがあるだろうか・・・・

私に病気にが見つかったとき、同じその時に乳癌が見つかったお友達がいる。

同じような時期に見つかり、同じような時期に摘出手術を受けている。

私が化学療法を受けていた同じような頃に、彼女も放射線治療を受けている。

ただ、とりあえずの治療が無くなった私と違い、その後ずっとホルモン療法を受けている。

 

何より忘れられないのは、

私の手術、初めは裾から手術をしておなかに傷が残らないようにしますと言われていたのが、

もう何日かで入院するという時、主治医が方針を変更。

何かおおごとになっていた時に対処できるのでおなかを開けますと言われた。

頭では理解できても、診察室を出たら、もうわっときて頭の中は真っ白。

その後に続く化学療法の苦しさに比べればなんてことないことなんですが、

あの時は、ああ、凄いなあとふらふらしてきたのです。 

帰れるかな?と思ったその時、彼女とばったり会ったのです。

彼女も当初は私と同じ病院の外科にかかっていましたが、

最新設備が少ないということから、専門病院に転院を決めていました。

手術も近いことも知っていて、だからこそそこで出会うとは思ってもいなかったのです。

少し不安そうなご主人が後ろにいらして、

「これから入院するの、最後の検査を受けて、明日手術するわ

今日は挨拶と、検査結果で必要なものがまだあって・・・」

不安に押しつぶされそうになっていた私は、涙があふれた。

そんな私の様子を察して、話をしてくれた。

そして約束した 「退院したら、ランチに行きましょうね」

彼女がいたから、あの時乗り越えることができたと思っている。

 

その人から、突然メールが届いた。

「昨日、退院しました。 再発したの!

摘出して病理結果がでてね・・・

結構顔つきの悪い奴で、でも、幸い分子標的薬が効くタイプのようで、

それと放射線治療が始まります」

 

絶句・・・・・・・

 

どうかどうか神様にお願いします。

治療に向かう心が疲れてしまわないように、穏やかな時間があるように、

どうかどうか笑って過ごせる時間がたくさんあるように・・・・

どうかどうか、お願いします。

彼女は私の大切な大切な友人の一人なんです。

 

 

 

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