僅かな良識者で総ての非常識を拭う。芸能界がまさにそんな状況だ。1970年代「ロッテの歌のアルバム」と言う番組で名司会者と言われた玉置宏氏が常に口にしていたフレーズに「芸能界の地位向上に貢献されました」と言うものがあった。ここで言う「地位の向上」とは子供の頃は気にもかけずにこのフレーズの真似をしていた。が、大人になるとこの意味が理解できてくる。芸能界が被差別出身者や在日出身者が殆どであることが、その「地位の向上」の意味だったと。芸能界が非常識な業界であることは多くの方が認識している。
今話題のモー娘出身の矢口マリ、彼女の非常識さに流石の芸能界も開いた口が塞がらないようである。しかし冷静に見るとモー娘の非常識さは彼女だけではない。逆に一般人の言う常識的な生活をしているのは少数派である。そして一人慶応大学からTV局に入社した事例で、「グループ総てが真ともな人間」との主張は無理がある。
他のグループも似たり寄ったりである。故山城信吾氏が「芸能人に常識を求めるのが間違い」との名言を残している。極々一部の常識的人間を表に出し全体の非常識さを隠す。信長に焼き討ちされた比叡山が当時そのような状況であった。腐った世界はどこでも行動パターンが似てくるということか?
私は芸能人の広告塔に引っかかる一般市民の心情を理解できない。これではヒットラーの言う「優秀な人間と無能な人間とどちらが多いと思うか?そう無能な人間が多い。では無能な人間が決定権を持つ多数決できめることは良いことか?」と言う考えを否定できなくなる。もう一度民主主義の基本が市民の良識に立脚していることを思い出して欲しい。マックス・ウェバーやJ.S.ミルの言葉を思い出して欲しい。