理論的に有り得ない事、道義的に有ってはならないことが現実には行われている、この様な場合現実に合わせた対応しか対処の方法がない。
福島原発の「全電源喪失」理論的には起こりえないことであったが、現実に起きてしまった。戦場で女子供を殺害した、と非難される。が、女子供でも立派な兵士でありそんな寝言を言っていては殺されるのが現実だ。
特に、問題なのが少年兵。人殺しと服従を徹底的に仕込まれているため大人の兵士より始末が悪い。買収にも応じないし機械の如く敵を殺していく。彼らに平和な世界は苦痛でしかないようだ。俗に言う「血が騒ぐ」と言う現象が彼らの人生について回る。優秀な少年兵ほどその傾向が強いそうだ。
故に、国際社会が「少年兵」を問題にしている。日本の「少年兵」に対する問題意識とのズレが大きい。
そのズレた感覚で、また現実を無視して机上の文言だけしか知らないくせに、論評する者がマスコミや国会で重宝される。
これは、危険な事象である。誤った判断の温床となる。企業でもその傾向が強い所ほど脆い。企業は倒産と言う形でその責任を採らされるが、国家の場合そういうわけにはいかない。多くの国民の命が供物となる。
政治が、特に安全保障や治安に於いて「机上の空論」が支配すると、多くの国民の命を「供物」として捧げなければならなくなる。しかしその責任者は「想定外」として逃げ切る。その無責任な者の筆頭が日本のマスコミと左翼の連中である。特に特亜三国への対応を見れば理解できる。現在のではない、過去の行動である。その行動の上に現在がある。まさか「あの時はそうだったが今は違う」などと社会常識的にも通用しない言訳をするのではあるまい。