1970年代の名著にイザヤベンダサン(山本七平氏と言われているが定かではない)の「日本人とユダヤ人」なる本があった。右翼で有名な山本七平氏に反論して多くの左翼系学者がこの本の批判や批判本を出版した。彼ら左翼は何が気に入らなかったのだろうか?
これは想像でしかないが、この本では「水や安全がタダと思っているのは日本人だけである」との主張がなされている。いずれ日本もこの2つが有料になるとされていた。現在では当り前のことである。1970年代「水」がスーパー等の小売店で売られるなど殆どの日本人が想像もしなかった。同様にこれほどの警備システムや警備会社の普及が進むとは思っている日本人は少なかった。この「安全にコスト」がかかるということが、安全に注意を喚起することが気に入らなかったようだ。
当時、左翼運動が激しく日本でも爆弾テロや赤軍派によるテロ、学生デモが頻発していた時代である。安全や警備など治安維持に協力的な事柄や関心を示すように進める本がベストセラー(300万部)になることが、左翼勢力には許せなかったのであろう。
しかし、現在「水」を買い「安全」を多くの日本国民が買っている。これらの批判を行った左翼系評論家の方が如何なる責任を取ったのか興味がある。恐らく何の責任も採っていないであろう。いやその内容より、「ユダヤ人に化けた手法が許せなかった」と主張するのであろう。擬人法など昔からある手法であり、その内容や主張が重要なのではないであろうか。恐らくこの批判をされた方がまだご存命ならば、ペットボトルの水を購入し飲まれることは無いことだと思う。また警備会社のお世話になることも無いのであろう。
批判をした評論家としてはそのくらいの矜持はお持ちであろう。いやしかし水はペットボトルのものしか飲んでいない、警備保障はセコムかアルソック。と言うのが日本の評論家実態ではないだろうか。