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渋谷川コースを設定してはじめに歩いたのは2014年5月、二回目は2017年3月でした。2017年には国立競技場の建て替えが決まり、解体が始まる前に見ておこうという企画でした。今回新国立競技場の建設が終了したので三回目ということになりますが、金王八幡、渋谷氷川神社をめぐるコースを一部変更し、渋谷川沿いを歩くコースを設定しました。2017年、渋谷駅付近で渋谷川沿いを歩くことが出来ませんでしたが、渋谷ストリーム、渋谷ブリッジができ渋谷川沿いの東横線の線路があった場所に歩道が整備さたので、そちらを歩いてみるコースを設定しました。
渋谷川は源流からいくつかの川を集めて東京湾に注ぐのですが、大きな合流があるたびに名前を変えてゆきます。源流を穏田川、渋谷駅付近で宇田川が合流するとそこから渋谷川、天現寺で笄川が合流すると古川になります。今回はこの名称で紹介してゆきたいと思います。
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新宿御苑大木戸門
中目黒→東横線・副都心線→新宿三丁目→丸ノ内線→新宿御苑のルートで到着し大木戸門までやってきたら新宿御苑は閉園していました。Googleで見たら営業中になっておりGoogleの情報は年末年始の休みは反映されていないようです。1月1日は休日のため「時間変更の可能性」と表示されています。都立公園かと思っていたら環境省の管轄でした。浜離宮恩賜庭園のように管理を地方自治体に移した公園は「恩賜」、国立で天皇家とゆかりがある場所は「御苑」なのでしょうか。新宿御苑は12月29日から1月3日まで閉園だそうです。
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四谷区民センター
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水道碑記
四谷区民センターの土地は水道局の持ち物だろうと思い調べたのですが、はっきり書いたものは見つからず。現代建築研究所のページから引用します。一部誤字があるようですがそのまま引用します。
東京都水道局の事務所と450席の区民ホールを含む新宿区施設との複合施設である。地下鉄の振動から守るために9回まで持ち上げられたホールと、敷地南側の玉川上水暗渠を避けた片持ち吊り構造で構成されている。新宿通り側のファサードには、町並みに対する圧迫感を和らげ背後の新宿御苑の自然が見え隠れするように、様々な開口と窪みによって変化を与えている。
水道碑記については新宿観光振興協会のページから引用します。
『水道碑記』は、新宿通りの新宿区四谷区民センター内にある東京都指定文化財です。
ここは、江戸時代に玉川上水の水量や水質を管理した水番所のあったところ。それを記念して、明治28年(1895年)に石碑が建てられました。高さは4.6メートルにもおよぶ大碑で、碑文は漢文です。玉川上水建設の理由や、請け負った玉川兄弟の事績をたたえた内容が記されています。 玉川上水はここで水量を調整され、地下へともぐり、石樋や木樋で城下へと配分されました。主として江戸の西南部の飲料水として使用されており、明治以降も近代水道設備に衣がえしながら使用され続けてきました。地下鉄工事などで出土した石樋や木樋が新宿歴史博物館に保存されています。
新宿歴史博物館にも一度行ってみたいです。四谷大木戸の設置が1616年、水番所は1653年で玉川上水が完成した年、内藤新宿の設置が1699年です。甲州街道の一つ目の宿場が高井戸では遠すぎると名目でしたが、浅草の商人が新たな繁華街を開発したい狙いがあったようです。しかし内藤新宿は1718年に廃止、1772年に再開と紆余曲折があったようです。現在は浅草を上回る日本一の繁華街ですね。なにしろ新宿駅は乗降客三百万人/日の世界一のターミナル駅ですから。
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元サンミュージック本社
アイドル歌手が投身自殺した場所で、今でもここを訪れるファンがいるようです。
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穏田川源流部
玉川上水ができるまで小川だったと思われ、谷が形成されていません。水番所から余った水を流すようになりこの川幅が必要になったのでしょう。
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内藤町の表札
内藤町は広いのですが大部分が新宿御苑なので戸数は限られており一丁目しかありません。大京町、左門町、須賀町、信濃町、南元町と小さな町があります。古くは四谷区だったんですね。
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多武峰(とうのみね)内藤神社
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駿馬
駿馬について大成建設のページから引用します。
天正十八年(一五九〇)、江戸に入った徳川家康は、まだ原野だった西郊に出て、功臣の内藤清成(ないとうきよなり)、青山忠成(あおやまただなり)の二人に「馬で駆けまわっただけの土地を与える」と言ったという。二人は一日駆け続けて約束どおり広大な邸地を拝領した。これが内藤新宿(現在の新宿御苑を中心にする新宿区西部一帯)と青山(港区西部から渋谷区東部)の始まりである。
走った後駿馬は死んでしまうのですが広大な敷地を手にした功績でこうして神社に祀られています。青山でも同じような話があると思っていたのですが、内藤さんと青山さんが競って駆け回ったのですね。
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鉛筆の碑
明治20には新宿御苑近くのこの場所で水車が回るほどの水が流れていたということです。北斎の富嶽三十六景「穏田の水車」はこれより下流になります。
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外苑西通り沿いの穏田川
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新宿御苑正門
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大番児童遊園
新宿御苑沿いに南下した穏田川は正門の少し北側で外苑西通りを渡り、四谷第六小学校の敷地内を通り、児童公園の先で中央線の高架下を通り、外苑西通りを南下します。国立競技場がある霞ヶ丘は穏田川が削った西向きの丘ということになります。外苑西通りは谷筋を通っていますが、このあたりではそれほど大きな谷とは言えません。
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新国立競技場が映るビル
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新国立競技場
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嘉納治五郎
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長野オリンピック聖火台(レプリカ)
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札幌オリンピック聖火台(レプリカ)
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東京オリンピック1964聖火台(レプリカ)
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五輪と新国立競技場
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クーベルタン男爵
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岸清一先生
外苑西通りから霞ヶ丘を登り新国立競技場の南端にやってきました。以前は「日本青年館前」という交差点で、一本北に霞岳町という交差点がありましたが、新国立競技場が元日本青年館、明治公園があった場所まで大きくなってしまい道が一本無くなりました。この一角は17年前の第一回お鷹狩りウォークの休憩地点に予定していたもの、当日ナビスコカップでレッズ対アントラーズ観戦のサポーターで埋まっており休憩できなかったことが今でも語り草になっています。そんな思い出の地が無くなったことも感慨深いです。
新国立競技場の南側、スタジアム通りに面してJAPAN SPORT OLYMPIC SQUARE、日本青年館の二つのビルが新築されました。嘉納治五郎像から岸清一先生の銅像までJAPAN SPORT OLYMPIC SQUAREの敷地内にあります。
大河ドラマ「いだてん」を見るまで知らなかった岸清一先生は嘉納治五郎に続き第二代の日本体育協会会長となり、私費を寄付して岸記念体育館が駿河台下に建設され、我々のなじみが深いファイヤー通り沿いの岸記念体育館は二代目になります。東京オリンピック1964に合わせて建設された二代目岸記念体育館でしたが、同じ場所での建て替えを断念しこちらへ移ってきました。東京オリンピック2020でもこの場所は象徴的な撮影ポイントとなることでしょう。
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明治神宮野球場
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秩父宮ラグビー場
秩父宮ラグビー場は東京オリンピック2020のあとすぐに解体工事に入るのかと思ったらそうではないようです。Wikipediaから一部引用します。
2020年東京オリンピック・パラリンピックの翌2021年に神宮第二球場を解体し、2022年以降に新たなラグビー場の建設を開始する。新たなラグビー場の工事が一旦完了する2024年以降に現在の秩父宮ラグビー場を解体し、その跡地に新たな野球場を建設する。新たな野球場が完成する2027年以降に現在の神宮球場を取り壊して、ラグビー場の観客席を増設するという。神宮外苑地区の再開発は2030年秋ごろに完了予定である。
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青山熊野神社
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原宿橋
熊野通りを通り外苑西通りを横断して穏田川に戻ってきました。外苑西通りは仙寿院から南は上り坂になります。穏田川は西にそれて裏原宿となってゆくのですがその先に笄川の源流があるはずです。調べて見ると梅窓院のあたりが源流で外苑西通りの谷を流れ天現寺で渋谷川に合流します。穏田川と笄川はこのあたりでニアミスしているということですね。
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裏原宿
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キャットストリート
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宮下公園
宮下公園は現在改修が行われており来年オープンの予定です。見た感じ公園には見えないのですが、“広場と緑の共存”をコンセプトに整備が行われているとのことです。
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渋谷キャスト
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渋谷スクランブルスクエア
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東京メトロ銀座線
日に日に変わる渋谷についてはまだ尋ねてもいないしよくわからないのですが、そのうち探検してみたいと思います。銀座線渋谷駅についてはヒカリエ隣りの地上に改札口が工事中で、新年早々運用開始となると思います。東横線との乗り換えが楽になりますが、ここで乗り換えると運賃が高くなるのであまり使わないでしょう。
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セルリアンとマークシティ
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渋谷ストリーム
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渋谷川
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渋谷川沿いの歩道
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八幡通り
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並木橋から渋谷方面を望む
穏田川と宇田川が合流して渋谷川となりました。渋谷ストリームから先の遊歩道ではこの場所に東横線が通っていたことを示すように線路のオブジェがあります。それほど広くない道を横断する場所に横断歩道がないので、少し遠回りをしなくてはならないのが不便です。早々に横断歩道の整備をしてほしい。八幡通りは中途半端に高さがあるので横断する際には明治通りに出る必要があります。明治通り沿いのビルにとって渋谷川側は見る人がいない面だったので現在は裏側感満載です。人目につくようになり徐々に改善されてゆくことでしょう。
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渋谷ブリッジと清掃工場
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ベンチ
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渋谷川
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庚申橋付近
庚申橋は江戸時代から渋谷川に橋が架けられ目黒や世田谷の農民が朝野菜を担いで通っていた道にあり、通り沿いに多くの庚申塔が残ります。
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恵比寿東公園
駒沢通りを渡り、こちらでストレッチをして解散です。
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日暈
ストレッチで空を見上げると虹が出ていました。年内最後のウォーキングを終えライオンで納会。本年もお世話になりました。いよいよやってくるオリンピックイヤーも楽しく歩きましょう。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
すこやか歩こう会活動スケジュール
渋谷川は源流からいくつかの川を集めて東京湾に注ぐのですが、大きな合流があるたびに名前を変えてゆきます。源流を穏田川、渋谷駅付近で宇田川が合流するとそこから渋谷川、天現寺で笄川が合流すると古川になります。今回はこの名称で紹介してゆきたいと思います。
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新宿御苑大木戸門
中目黒→東横線・副都心線→新宿三丁目→丸ノ内線→新宿御苑のルートで到着し大木戸門までやってきたら新宿御苑は閉園していました。Googleで見たら営業中になっておりGoogleの情報は年末年始の休みは反映されていないようです。1月1日は休日のため「時間変更の可能性」と表示されています。都立公園かと思っていたら環境省の管轄でした。浜離宮恩賜庭園のように管理を地方自治体に移した公園は「恩賜」、国立で天皇家とゆかりがある場所は「御苑」なのでしょうか。新宿御苑は12月29日から1月3日まで閉園だそうです。
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四谷区民センター
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水道碑記
四谷区民センターの土地は水道局の持ち物だろうと思い調べたのですが、はっきり書いたものは見つからず。現代建築研究所のページから引用します。一部誤字があるようですがそのまま引用します。
東京都水道局の事務所と450席の区民ホールを含む新宿区施設との複合施設である。地下鉄の振動から守るために9回まで持ち上げられたホールと、敷地南側の玉川上水暗渠を避けた片持ち吊り構造で構成されている。新宿通り側のファサードには、町並みに対する圧迫感を和らげ背後の新宿御苑の自然が見え隠れするように、様々な開口と窪みによって変化を与えている。
水道碑記については新宿観光振興協会のページから引用します。
『水道碑記』は、新宿通りの新宿区四谷区民センター内にある東京都指定文化財です。
ここは、江戸時代に玉川上水の水量や水質を管理した水番所のあったところ。それを記念して、明治28年(1895年)に石碑が建てられました。高さは4.6メートルにもおよぶ大碑で、碑文は漢文です。玉川上水建設の理由や、請け負った玉川兄弟の事績をたたえた内容が記されています。 玉川上水はここで水量を調整され、地下へともぐり、石樋や木樋で城下へと配分されました。主として江戸の西南部の飲料水として使用されており、明治以降も近代水道設備に衣がえしながら使用され続けてきました。地下鉄工事などで出土した石樋や木樋が新宿歴史博物館に保存されています。
新宿歴史博物館にも一度行ってみたいです。四谷大木戸の設置が1616年、水番所は1653年で玉川上水が完成した年、内藤新宿の設置が1699年です。甲州街道の一つ目の宿場が高井戸では遠すぎると名目でしたが、浅草の商人が新たな繁華街を開発したい狙いがあったようです。しかし内藤新宿は1718年に廃止、1772年に再開と紆余曲折があったようです。現在は浅草を上回る日本一の繁華街ですね。なにしろ新宿駅は乗降客三百万人/日の世界一のターミナル駅ですから。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/51/731d911dcbbac765c13245063a914fff.jpg)
元サンミュージック本社
アイドル歌手が投身自殺した場所で、今でもここを訪れるファンがいるようです。
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穏田川源流部
玉川上水ができるまで小川だったと思われ、谷が形成されていません。水番所から余った水を流すようになりこの川幅が必要になったのでしょう。
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内藤町の表札
内藤町は広いのですが大部分が新宿御苑なので戸数は限られており一丁目しかありません。大京町、左門町、須賀町、信濃町、南元町と小さな町があります。古くは四谷区だったんですね。
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多武峰(とうのみね)内藤神社
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駿馬
駿馬について大成建設のページから引用します。
天正十八年(一五九〇)、江戸に入った徳川家康は、まだ原野だった西郊に出て、功臣の内藤清成(ないとうきよなり)、青山忠成(あおやまただなり)の二人に「馬で駆けまわっただけの土地を与える」と言ったという。二人は一日駆け続けて約束どおり広大な邸地を拝領した。これが内藤新宿(現在の新宿御苑を中心にする新宿区西部一帯)と青山(港区西部から渋谷区東部)の始まりである。
走った後駿馬は死んでしまうのですが広大な敷地を手にした功績でこうして神社に祀られています。青山でも同じような話があると思っていたのですが、内藤さんと青山さんが競って駆け回ったのですね。
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鉛筆の碑
明治20には新宿御苑近くのこの場所で水車が回るほどの水が流れていたということです。北斎の富嶽三十六景「穏田の水車」はこれより下流になります。
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外苑西通り沿いの穏田川
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新宿御苑正門
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大番児童遊園
新宿御苑沿いに南下した穏田川は正門の少し北側で外苑西通りを渡り、四谷第六小学校の敷地内を通り、児童公園の先で中央線の高架下を通り、外苑西通りを南下します。国立競技場がある霞ヶ丘は穏田川が削った西向きの丘ということになります。外苑西通りは谷筋を通っていますが、このあたりではそれほど大きな谷とは言えません。
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新国立競技場が映るビル
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新国立競技場
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嘉納治五郎
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長野オリンピック聖火台(レプリカ)
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札幌オリンピック聖火台(レプリカ)
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東京オリンピック1964聖火台(レプリカ)
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五輪と新国立競技場
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クーベルタン男爵
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岸清一先生
外苑西通りから霞ヶ丘を登り新国立競技場の南端にやってきました。以前は「日本青年館前」という交差点で、一本北に霞岳町という交差点がありましたが、新国立競技場が元日本青年館、明治公園があった場所まで大きくなってしまい道が一本無くなりました。この一角は17年前の第一回お鷹狩りウォークの休憩地点に予定していたもの、当日ナビスコカップでレッズ対アントラーズ観戦のサポーターで埋まっており休憩できなかったことが今でも語り草になっています。そんな思い出の地が無くなったことも感慨深いです。
新国立競技場の南側、スタジアム通りに面してJAPAN SPORT OLYMPIC SQUARE、日本青年館の二つのビルが新築されました。嘉納治五郎像から岸清一先生の銅像までJAPAN SPORT OLYMPIC SQUAREの敷地内にあります。
大河ドラマ「いだてん」を見るまで知らなかった岸清一先生は嘉納治五郎に続き第二代の日本体育協会会長となり、私費を寄付して岸記念体育館が駿河台下に建設され、我々のなじみが深いファイヤー通り沿いの岸記念体育館は二代目になります。東京オリンピック1964に合わせて建設された二代目岸記念体育館でしたが、同じ場所での建て替えを断念しこちらへ移ってきました。東京オリンピック2020でもこの場所は象徴的な撮影ポイントとなることでしょう。
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明治神宮野球場
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秩父宮ラグビー場
秩父宮ラグビー場は東京オリンピック2020のあとすぐに解体工事に入るのかと思ったらそうではないようです。Wikipediaから一部引用します。
2020年東京オリンピック・パラリンピックの翌2021年に神宮第二球場を解体し、2022年以降に新たなラグビー場の建設を開始する。新たなラグビー場の工事が一旦完了する2024年以降に現在の秩父宮ラグビー場を解体し、その跡地に新たな野球場を建設する。新たな野球場が完成する2027年以降に現在の神宮球場を取り壊して、ラグビー場の観客席を増設するという。神宮外苑地区の再開発は2030年秋ごろに完了予定である。
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青山熊野神社
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原宿橋
熊野通りを通り外苑西通りを横断して穏田川に戻ってきました。外苑西通りは仙寿院から南は上り坂になります。穏田川は西にそれて裏原宿となってゆくのですがその先に笄川の源流があるはずです。調べて見ると梅窓院のあたりが源流で外苑西通りの谷を流れ天現寺で渋谷川に合流します。穏田川と笄川はこのあたりでニアミスしているということですね。
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裏原宿
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キャットストリート
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宮下公園
宮下公園は現在改修が行われており来年オープンの予定です。見た感じ公園には見えないのですが、“広場と緑の共存”をコンセプトに整備が行われているとのことです。
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渋谷キャスト
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渋谷スクランブルスクエア
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東京メトロ銀座線
日に日に変わる渋谷についてはまだ尋ねてもいないしよくわからないのですが、そのうち探検してみたいと思います。銀座線渋谷駅についてはヒカリエ隣りの地上に改札口が工事中で、新年早々運用開始となると思います。東横線との乗り換えが楽になりますが、ここで乗り換えると運賃が高くなるのであまり使わないでしょう。
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セルリアンとマークシティ
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渋谷ストリーム
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渋谷川
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渋谷川沿いの歩道
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八幡通り
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並木橋から渋谷方面を望む
穏田川と宇田川が合流して渋谷川となりました。渋谷ストリームから先の遊歩道ではこの場所に東横線が通っていたことを示すように線路のオブジェがあります。それほど広くない道を横断する場所に横断歩道がないので、少し遠回りをしなくてはならないのが不便です。早々に横断歩道の整備をしてほしい。八幡通りは中途半端に高さがあるので横断する際には明治通りに出る必要があります。明治通り沿いのビルにとって渋谷川側は見る人がいない面だったので現在は裏側感満載です。人目につくようになり徐々に改善されてゆくことでしょう。
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渋谷ブリッジと清掃工場
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ベンチ
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渋谷川
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庚申橋付近
庚申橋は江戸時代から渋谷川に橋が架けられ目黒や世田谷の農民が朝野菜を担いで通っていた道にあり、通り沿いに多くの庚申塔が残ります。
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恵比寿東公園
駒沢通りを渡り、こちらでストレッチをして解散です。
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日暈
ストレッチで空を見上げると虹が出ていました。年内最後のウォーキングを終えライオンで納会。本年もお世話になりました。いよいよやってくるオリンピックイヤーも楽しく歩きましょう。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
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