目黒区北部地区 すこやか歩こう会

東横線中目黒駅周辺を拠点に活動するウォーキングクラブです。みんなで歩くと楽しいですよ!時々遠出もしています!!

【下見】野川源流

2018-04-29 09:59:49 | ウォーキング
先月、野川シリーズの序章として「古代の歴史、武蔵国府・国分寺コース 約6.9km」を歩き、5月からいよいよの川沿いを歩くためその下見に行ってきました。おさらいを兼ねて国分寺市観光協会のページを引用します。
741年、聖武天皇の命により全国に国分寺が建立される際、武蔵国の国府(現在の府中市)の近くに良い土地はないかと選ばれたのが現在の国分寺市です。なぜ選ばれたのか?それは、帰国した遣唐使から伝えられた「四神相応(ししんそうおう)の地」の考えに基づきます。「四神相応」の「四神」とは、東西南北の四方を守護するとされる聖獣のことで
青龍(せいりゅう)
白虎(びゃっこ)
朱雀(すざく)
玄武(げんぶ)
のことを指し、それぞれ特徴のある土地に棲むと言われています。その特徴を説明すると
東:青龍…豊かな川の流れがある
西:白虎…大きな道があり交通の便がよい
南:朱雀…広大な平野や海があり開けている
北:玄武…山や丘陵がある
四神相応の地というのは、古代中国に始まった風水における四聖獣(四神)が東西南北の各方向の地形とフィットする地のことです。国分寺は、東に清流があり、西には当時の大動脈といえる東山道武蔵路、南には広大な平野が広がり、北には国分寺崖線がそびえるという理想の地相であったのです。


ということで今シリーズのタイトルを「古代の青龍、野川下りコース」としました。


写真:ストレッチを予定している公園


写真:恋ヶ窪東遺跡
野川は国分寺崖線からの豊富な湧水を集めて源流としており、その場所は日立中央研究所内に見ることができます。研究所は年二回開放日があり、その日に合わせれば本当の源流を見ることができるのですが、ウォーキングの趣旨とはちょっと違ってしまうので研究所見学は興味を持った会員さんが個人で行ってもらえばいいかなぁ。
一般的に野川源流に一番近づける場所を探し、それに近い中央研究所に隣接するこの公園をストレッチ場所として利用させてもらいたいと思っています。


写真:ウツギ
万葉植物園にウツギがたくさん咲いていました。


写真:日立中央研究所

写真:野川の説明
中央研究所から野川が流れ出る場所は自転車置き場になっていました。
野川の水源/国分寺市本町
ここ「日立中央研究所内」の湧水が野川の始まりです。この坂のあたりは国分寺崖線(通称ハケ)の一部です。ハケ下の周辺には湧き水がいたるところに見られ、「姿見の池」「真姿の池湧水群」などの水が集まって野川の流れとなっています。

国分寺崖線
国分寺崖線は通称“ハケ”と呼ばれています。この崖線は古多摩川の浸食によって出来た崖の連なりで、国分寺市の西町五丁目あたりから目立ち始め、世田谷区あたりまで続いています。国分寺市にいちばんはっきりあらわれているので「国分寺崖線」と呼ばれていました。

湧水
ハケ上の台地に降った雨は水を通しやすい火山灰層(関東ローム層)を通り、下の砂利層(礫層)にたまります。その下には水を通しにくい地層があるため、たまった地下水は砂利層を横に流れ、崖線のすそからしみ出してきます。これが湧水です。野川の両岸では旧石器時代から縄文時代の遺跡が数多く発掘されています。野川は古代から豊かな実りをもたらす大切な川であったのだとされています。




写真:中央研究所内を覗き見る
研究所のフェンスに阻まれてなかなか水の流れを見ることができませんが、カメラを差し入れて写真を撮ってみました。研究所を出た後、中央線の線路を横断してゆくため暗渠になって野川を確認できません。



写真:野川の流れが作った谷
先のこんもりしているところが野川かと思うとそうでもなく、ここは国分寺崖線の一部のようです。




写真:押切橋
野川にかかる最初の橋が押切橋です。中央研究所を出たばかりの野川の水量はそれほど多くなく、支流を集めて徐々に水量を増してゆきます。


写真:国分寺市のマンホール
国分寺市の花「サツキ」がデザインされており、色付きもあるようです。



写真:多喜窪通りから見た野川

写真:通り沿いのお屋敷
車が多いこの通りはかさ上げされており、その分野川が遠くなっています。このあたりはまだいい雰囲気のお屋敷が残っていていいですね。目黒区あたりはみんなマンションになってしまいましたから。


写真:あやめ橋

写真:アヤメ

写真:あやめ橋から見た野川

写真:シラン

写真:支流
支流は三月に訪れた真姿の池湧水群を水源とするものです。そちらにも「ホタルのすむ川」の看板がありましたね。


写真:野川の不動明王と庚申塚


写真:野川とこいのぼり
野川は国分寺街道と交差する地点でかぎ型に曲がっていて、そのわきに庚申塚があります。近くの交差点名に「一里塚」とあり、古くからの街道だったことが想像できます。


写真:もみじ橋




写真:川沿いの道
ここまで川沿いには家が立ち並び川を眺められる場所は橋の上しかなかったのですが、もみじ橋の先から川沿いを歩くことができました。東京経済大学から先は遊歩道が整備されているようですが、今回のウォーキングはここまでとして国分寺駅へ戻ります。


写真:東京経済大学から先の野川

写真:東経の森


写真:新次郎池
東経(東京経済大学)の森や新次郎池は公開され誰でも入ることができます。東京経済大学の前身は大倉商業学校で、創設者はホテルオークラ創業者である大倉喜八郎なのですね。
新次郎池
 池を取り囲むように5箇所から水が湧出しています。以前はわさび田として利用されていました。
 北澤新次郎学長(1957~1967年在任)の時代に池として整備され、新次郎池と呼ばれるようになりました。
 2003年1月、都内の名湧水の保全・回復を目的として東京都により選定された「東京の名湧水57選」に選ばれました。
 湧水の量は季節によって変化します。
   東京経済大学



写真:バラ

写真:ツツジ

写真:南町ひだまり公園
国分寺駅までは上り坂、国分寺崖線を体験です。


写真:殿ヶ谷戸庭園


写真:ボタン

写真:国分寺駅前の彫像「ひだまり」
殿ヶ谷戸庭園は都立の庭園です。ここに寄るかどうかはちょっと微妙な感じ。ウォーキングの距離としては5kmに満たず庭園に寄ってもいい感じはするのですが、最後の上り坂でちょっと疲れるかな。ハケに作った庭園で、園内もアップダウンがありそうだし。Wikipediaから引用します。
殿ヶ谷戸庭園(とのがやとていえん)は、東京都国分寺市にある有料の都立庭園である。園内は自然の地形を生かした回遊式庭園となっている。国の名勝に指定されている。

沿革
1913年(大正2年)から1915年(大正4年)にかけて、江口定条の別荘として庭師・仙石の手で作庭される。1929年(昭和4年)に三菱財閥創業家の岩崎彦弥太が別邸として買い取り、津田鑿の設計で洋風邸宅、数奇屋風の茶室(紅葉亭)などを追加整備した。昭和40年代に再開発計画が持ち上がったが、保存を求める住民運動をきっかけとして1974年(昭和49年)東京都が買収、公園として整備の後に1979年(昭和54年)4月より有料庭園として公開した。

園内
国分寺崖線と呼ばれる段丘崖と豊富な湧水を巧みに生かして築かれた、回遊式林泉庭園である。様々な木々が植えられており、園内には池や周遊順路が存在し、カメラマンや地元住民、近隣で働く人間の憩いの場として利用される。


このコースのウォーキングは5月5日の予定です。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


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