目黒区北部地区 すこやか歩こう会

東横線中目黒駅周辺を拠点に活動するウォーキングクラブです。みんなで歩くと楽しいですよ!時々遠出もしています!!

水無川下見

2017-10-24 16:13:32 | ウォーキング
ここで何度か書いていますが、烏山川を、終点である池尻からさかのぼってゆく企画をやっています。11月に水源の一つである高源院に到着して企画のゴールと思っていたのですが、蘆花公園近くで合流する支流もけっこう先までたどれることがわかり、下見をしてきました。


写真:蘆花公園
京王線八幡山駅から蘆花公園まで歩き、川跡にたどり着きました。蘆花公園のあたりが支流の合流点に当たり、台風の後にできた水たまりを見て「ここはかつて湿地だったのかなぁ」などと考えました。


写真:世田谷自動車学校とガスタンク
自動車学校は一段高くなっており、その反対側を見ても上り坂で、この道路が谷底にあることがわかります。それ以外にここに川が流れていた形跡は見当たらないのですが、上流へ向かって進みます。


写真:暗渠

写真:水辺の散歩道の看板

写真:暗渠
バス通りを渡ると川跡が現れます。水辺の散歩道の看板には、この川の名前は書いてありません。


写真:水無川の説明


写真:水無川暗渠
「これも烏山川」と思って歩いていた私には意外でしたが、水無川という名前のようです。看板から引用してみると
水無川は、旧烏山村と旧給田村のさかいを概ね南東方向に流れ、旧粕谷村、旧船橋村を経て、現在の千歳清掃工場付近で、北烏山寺町にある高源院鴨池等を水源とする本来の烏山川(本流)に合流していた川です。
この水無川は、河川法上の名称は烏山川となっていますが、もともと烏山川(本流)とは別の支流であり、江戸時代には、水無川沿いに帯状に広がっていた水田は、水無田圃とよばれ、武蔵国烏山村検地帳に北水無、南水無と記載されています。
水無川の由来は、旧烏山村字出井向(現在の世田谷区北烏山8丁目付近)や旧北野村(現在の三鷹市北野)の湧水と天水を水源としていたため、雨期以外は流れが細り、いつしか「水無川」と呼ばれるようになったと言われています。

烏山川との関係も詳しく書かれていました。


写真:自転車置き場になっています
千歳烏山駅付近では暗渠は自転車置き場に転用されていました。ここは大勢では通れないので、代わりの道を探しておかなければなりません。


写真:南烏山六丁目のお地蔵様
お地蔵さまがあったので撮っておきましたが、改めて地図を見ると旧甲州街道沿いで、「それでお地蔵様があるんだ」と納得しました。首が無いのは廃仏毀釈の影響でしょうか?教育テレビの「百分で名著『歎異抄』」の中で釈先生が「宗教は差別性と暴力性を内包している」と解説しておられましたが、そんなことの表れですかね。「そうならないよう、それぞれの教えにはリミッターがあるが、いろいろな宗教をつまみ食いするとそのリミッターが外れてしまう」ともおっしゃっていました。首のないお地蔵様を見て、この言葉を思い出したいと思います。




写真:北烏山九丁目
甲州街道を越えると畑が目につくようになってきます。「この先どこへ行くのかな」と思っていると、きちんと緑道の入り口が示されわかりやすくなっています。中央高速の下では道路工事が行われているため、緑道を見失いやすいかもしれません。






写真:中川遊歩道
三鷹市に入ると川の名前は中川に変わるようです。東八道路の三鷹台団地南口交差点あたりで、遊歩道は終わっています。三鷹台団地の中を探せば、まだ川跡が残っているかもしれませんが、ウォーキングはここから久我山駅へ向かうことにします。


写真:牟礼一丁目の栗林
十数年前によくテニスに来ていた朝日生命スポーツクラブの近くで、何となく車で走った記憶のある場所でした。現在工事中の大きな道路に車が走り始めると、このあたりの雰囲気も大きく変わってくるのでしょう。

地図を引いてみると久我山駅まで7.3kmと、よいウォーキングコースになりそうです。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


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