先月下見の記事を書いたばかりなので、今回の本番ウォーキングであえて取り上げる事象は少ないのですが、重複を恐れず書いてみたいと思います。
中目黒GTに集合し、日比谷線で三ノ輪駅へ向かいました。メーリングリストで「整列乗車のお願い」を発信してあったので効果てきめん、周りの迷惑にならないよう日比谷線に乗車しました。整列乗車って、慣れないと気恥ずかしいところもあるのかもしれませんが、後ろに並ぼうとしている人にとっては整列していない団体はとても迷惑だと思っているのです。皆さんお疲れで座りたいですからね。
目黄不動
天台宗養光山金碑院永久寺の門が閉まっているので前回は表から写真を撮っただけでしたが、今回は通用口から入らせていただき目黄不動にお参りしました。このあたりは小さなお寺が多く、門が閉まっていることがよくあるようです。
寿永寺(布袋尊)
七福神一つ目は布袋様でした。
樋口一葉旧居の碑
一葉記念館
毎年歩く小石川植物園コースの伝通院近く安藤坂にも一葉の旧居があったような気がしますが、台東区に住んだのは短い期間で駄菓子屋をやっていたそうです。Wikipediaから一部抜粋で引用します。
三宅花圃の紹介で、『文学界』創刊号に『雪の日』を発表。同人の平田禿木の訪問を受け親しく語り合う。その後筆が進まない一葉は、生活苦打開のため1893年(明治26年)7月、吉原遊郭近くの下谷龍泉寺町(現在の台東区竜泉一丁目)で荒物と駄菓子を売る雑貨店を開く。この時の経験が後に代表作となる小説『たけくらべ』の題材となっている。年末、『琴の音』を文学界に発表。翌年1月には近所に同業者が開業したため、商売が苦しくなる。相場師になろうと占い師の久佐賀義孝に接近し、借金を申し込む。1894年(明治27年)5月には店を引き払い、本郷区丸山福山町(現在の文京区西片一丁目)に転居する。萩の舎と交渉し、月2円の助教料が得られるようになった。
飛不動正宝院(恵比寿神)
ヒンドゥー語だか何が書いてあるかわかりませんが、奇麗にかくものですね。
弁天院(弁財天)
弁天池の記
昔の弁天池は約八千平方米の広さを持ち常に蒼々とした底深い水をたたえ琵琶型に作られた約百六十平方米の中の島との間に長い木橋が架けられて風情を添え島には松柏の大樹がうっ蒼と茂る中に由緒深い本堂を仰ぎ見る景観は誠に荘厳を極めていた
然るに大正十二年関東大震災の直後当局はこの池を焼土の処分場に着目し地元をはじめ隣接数区の焼土により埋め立てられ細やかながらその名残をとどめているのが現在の池である
文豪久保田万太郎はこの池の変貌を惜しみ「水の谷の池埋められつ空に凧」と詠んでいる誠に今昔の感に堪えない所である
朝日山弁天院
割烹さいとう
下見の時には人がたくさん並んでいた、海鮮丼で有名なお店です。
法昌寺(毘沙門天)
ボクシンググローブの石像
たこ八郎さんの菩提寺でこのグローブの手前のお地蔵さまが「たこ八郎地蔵」でした。よく知らないからお地蔵さんを撮っていません。
英信寺(大黒天)
仏旗とか、根付やおみくじのガチャガチャなど興味深いものがありました。
入谷鬼子母神(福禄寿)
提灯はこれから修理に行くところで、この日は見られませんでした。
元三島神社(寿老神)
鰹木が七本は初めて見ました。鰹木の本数について以前神社で聞いた話の信ぴょう性が疑われる記事をWikipediaから引用します。
鰹木の数
鰹木の数は、神社によって2本から10本まで、いろいろある。
鰹木の数が奇数なら男神、偶数なら女神を祀っているという説があるが、全くの俗説である。神社本庁の公式見解でも「本数は神社によって異なります」としか言っておらず、つまり「鰹木の数は(祭神によってではなく)神社によって違う」というのが正しい。
カワヅザクラの花芽
子規の句碑
木を見ただけではわかりませんが、こんなに早いのはカワヅザクラでしょう。子規の句は「木槿咲て 絵師の家問ふ 三嶋前」
カワヅザクラの下の場所をお借りしてストレッチをして解散となりました。
このブログを見て「参加したい」と連絡をいただける方が時々いらっしゃいますが、今回もそんな参加者があり若くてびっくり。すこやか歩こう会の年齢構成は大雑把に見て、一位が70歳台、二位が60歳台、三位が80歳以上、四位が60歳未満といった感じです。さて若者は入会するのでしょうか?その彼も誘い御徒町の吉池食堂で佐渡のおいしい酒を飲んで楽しみました。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
すこやか歩こう会活動スケジュール
中目黒GTに集合し、日比谷線で三ノ輪駅へ向かいました。メーリングリストで「整列乗車のお願い」を発信してあったので効果てきめん、周りの迷惑にならないよう日比谷線に乗車しました。整列乗車って、慣れないと気恥ずかしいところもあるのかもしれませんが、後ろに並ぼうとしている人にとっては整列していない団体はとても迷惑だと思っているのです。皆さんお疲れで座りたいですからね。
目黄不動
天台宗養光山金碑院永久寺の門が閉まっているので前回は表から写真を撮っただけでしたが、今回は通用口から入らせていただき目黄不動にお参りしました。このあたりは小さなお寺が多く、門が閉まっていることがよくあるようです。
寿永寺(布袋尊)
七福神一つ目は布袋様でした。
樋口一葉旧居の碑
一葉記念館
毎年歩く小石川植物園コースの伝通院近く安藤坂にも一葉の旧居があったような気がしますが、台東区に住んだのは短い期間で駄菓子屋をやっていたそうです。Wikipediaから一部抜粋で引用します。
三宅花圃の紹介で、『文学界』創刊号に『雪の日』を発表。同人の平田禿木の訪問を受け親しく語り合う。その後筆が進まない一葉は、生活苦打開のため1893年(明治26年)7月、吉原遊郭近くの下谷龍泉寺町(現在の台東区竜泉一丁目)で荒物と駄菓子を売る雑貨店を開く。この時の経験が後に代表作となる小説『たけくらべ』の題材となっている。年末、『琴の音』を文学界に発表。翌年1月には近所に同業者が開業したため、商売が苦しくなる。相場師になろうと占い師の久佐賀義孝に接近し、借金を申し込む。1894年(明治27年)5月には店を引き払い、本郷区丸山福山町(現在の文京区西片一丁目)に転居する。萩の舎と交渉し、月2円の助教料が得られるようになった。
飛不動正宝院(恵比寿神)
ヒンドゥー語だか何が書いてあるかわかりませんが、奇麗にかくものですね。
弁天院(弁財天)
弁天池の記
昔の弁天池は約八千平方米の広さを持ち常に蒼々とした底深い水をたたえ琵琶型に作られた約百六十平方米の中の島との間に長い木橋が架けられて風情を添え島には松柏の大樹がうっ蒼と茂る中に由緒深い本堂を仰ぎ見る景観は誠に荘厳を極めていた
然るに大正十二年関東大震災の直後当局はこの池を焼土の処分場に着目し地元をはじめ隣接数区の焼土により埋め立てられ細やかながらその名残をとどめているのが現在の池である
文豪久保田万太郎はこの池の変貌を惜しみ「水の谷の池埋められつ空に凧」と詠んでいる誠に今昔の感に堪えない所である
朝日山弁天院
割烹さいとう
下見の時には人がたくさん並んでいた、海鮮丼で有名なお店です。
法昌寺(毘沙門天)
ボクシンググローブの石像
たこ八郎さんの菩提寺でこのグローブの手前のお地蔵さまが「たこ八郎地蔵」でした。よく知らないからお地蔵さんを撮っていません。
英信寺(大黒天)
仏旗とか、根付やおみくじのガチャガチャなど興味深いものがありました。
入谷鬼子母神(福禄寿)
提灯はこれから修理に行くところで、この日は見られませんでした。
元三島神社(寿老神)
鰹木が七本は初めて見ました。鰹木の本数について以前神社で聞いた話の信ぴょう性が疑われる記事をWikipediaから引用します。
鰹木の数
鰹木の数は、神社によって2本から10本まで、いろいろある。
鰹木の数が奇数なら男神、偶数なら女神を祀っているという説があるが、全くの俗説である。神社本庁の公式見解でも「本数は神社によって異なります」としか言っておらず、つまり「鰹木の数は(祭神によってではなく)神社によって違う」というのが正しい。
カワヅザクラの花芽
子規の句碑
木を見ただけではわかりませんが、こんなに早いのはカワヅザクラでしょう。子規の句は「木槿咲て 絵師の家問ふ 三嶋前」
カワヅザクラの下の場所をお借りしてストレッチをして解散となりました。
このブログを見て「参加したい」と連絡をいただける方が時々いらっしゃいますが、今回もそんな参加者があり若くてびっくり。すこやか歩こう会の年齢構成は大雑把に見て、一位が70歳台、二位が60歳台、三位が80歳以上、四位が60歳未満といった感じです。さて若者は入会するのでしょうか?その彼も誘い御徒町の吉池食堂で佐渡のおいしい酒を飲んで楽しみました。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
すこやか歩こう会活動スケジュール
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