目黒区北部地区 すこやか歩こう会

東横線中目黒駅周辺を拠点に活動するウォーキングクラブです。みんなで歩くと楽しいですよ!時々遠出もしています!!

とことん烏山川コースその1 約5.7Km

2017-03-14 16:40:43 | ウォーキング
今回は初めてのコースです。川に沿って歩くコースは下見をしなくてもいいのですが、このコースはずいぶん前に下見をしました。烏山川をさかのぼるコースは他にもあり、大部分がすでに歩いているコースとなるので、ハイライトとして世田谷区立郷土資料館を訪れます。この資料館おもしろい!


写真:東京燃料林産中央支店
池尻大橋駅に集合し、こちらの燃料屋さんの前をお借りしてストレッチをします。十年くらいずっと見ているのですが徐々に薪の扱いが増え始め、今回は手前にも積み上げられています。ピザを焼くための業務用に使われるのでしょう。


写真:菜の花


写真:ユキヤナギ

写真:北沢川烏山川合流点

写真:オオイワウチワ

写真:遊歩道案内

写真:清流復活
目黒川緑道を上流に向かって歩き始めると土手に咲く菜の花が鮮やかです。ユキヤナギは咲き始めですが一杯に花を咲かせている木を見つけました。ピンクがかったユキヤナギは種類が違うのでしょうかねぇ。
馬酔木のネームプレートに「アシビ」と読み仮名がふってあったのを「アセビじゃないの」と考えながら歩いていました。戻って写真を撮るほどではなかったのですが帰ってから気になって調べてみると「アセビ」が正解のようです。かつて馬酔木を「アシビ」と読ませる俳句雑誌があり、「アシビ」と入力するとIMEが「馬酔木」を候補として表示してくれます。
合流点は川をさかのぼる我々にとっては分岐点。今日は烏山川緑道へ向かいます。この緑道も清流復活事業により、落合水再生センターで高度に処理した再生水が流されています。


写真:マメザクラかな?

写真:環七にある世田谷線踏切

写真:国士舘大学

写真:柳の花

写真:品川橋
歩行者天国になっている茶沢通りを渡り、環七へ。茶沢通りから上流には人口のせせらぎは作られていませんでしたが、国士舘大学を過ぎると新たに整備されたせせらぎが現れ品川橋まで続いています。品川橋は品川と府中を結ぶ品川みちに架かる橋です。品川みちはいくつかあるのですが、ここはメジャーな道の一つです。新たに整備された緑道に植えられた柳の花はちょっとフライング気味ですかね。


写真:上町の和菓子屋さん



写真:大場家住宅の門

写真:大場家の由来
世田谷の領主だった吉良家の本姓は源氏。家系は清和源氏の一家系河内源氏の流れを汲む足利氏の一門とのこと。奥州(武蔵)吉良氏と呼ばれ、豊臣秀吉の小田原攻め際今川側について没落。徳川家康が江戸に入ると世田谷の領主は井伊氏に代わりました。忠臣蔵の吉良上野介は三河吉良氏と呼ばれ、もともとはつながっているものの南北朝時代に分かれたようです。大場家は吉良氏の代から代官をしており、吉良氏の没落により帰農したものの、井伊氏の支配となった際に再び代官として登用されたとのこと。今の大河ドラマはこれらの源流部になるのでしょうか。中流部かな。
どちらにしても寺社の管理地が多かった目黒区と異なり、守護大名が管理していた世田谷は異なる文化があったのかもしれません。


写真:白州門

写真:白州跡





写真:大場家住宅
お代官様のお屋敷には白州があるのですね。


写真:サンシュ

写真:ミツマタ

写真:ジンチョウゲ


写真:大山道道標
世田谷区を貫く主要街道大山道ですから、立派な道標が残っています。


写真:道標など
目黒区の四倍の面積がある世田谷区に現存する庚申塔の数は目黒区の十倍です。こちらにも良い状態の庚申塔や道標が残っていますね。


写真:郷土資料館


写真:玉川上水木樋
入った途端に大きな木樋。玉川上水から江戸市内へひかれた水道に使われていたのもので、四ツ谷で発掘されたとのこと。板を張り合わせて作られているそうです。


写真:立体地形図
最も興味をひかれたのがこの立体地形図です。呑川の支流に「芳窪川」とあり初めて聞く川の名でした。現在は暗渠になり呑川柿の木坂支流と呼ばれている部分です。目黒区東が丘に「芳窪街かど公園」があり、こんなところに忘れられた川の名前が残っていることに感心しました。かつての字名は「碑衾村大字衾字東上芳窪」といったもののようです。


写真:蛇?

写真:ゲーベル銃
説明はよく読まなかったのですが蛇でしょうか?鶴見に「蛇も蚊も祭り」という祭りがあり、その際にも同じような物体が写真に写っていたので同じような信仰があるのだなぁと思いました。


写真:庚申塔の説明
北府中道・南六郷道とあるので、品川みちにあったものと考えられます。「東目黒道」は現在のどの道路をさすのでしょう。目黒区のホームページにある「目黒のみち」にも「目黒道」の記述はなく、わかりません。世田谷の方言でしょうか。


写真:ボロ市通り

写真:世田谷線
大場家住宅の前はボロ市通りになります。Wikipediaで調べると
1578年、北条氏政の「楽市掟書」により世田谷城下で始まった楽市を嚆矢とする。江戸と小田原の間にある世田谷宿において伝馬の確保のため、宿場を繁栄させようという目的があったといわれる。当時は、毎月1日、6日、11日、16日、21日、26日に開かれた。
となっています。
世田谷三丁目で世田谷線を渡り、烏山川へ戻ります。


写真:烏山川緑道

写真:ボケの花

写真:豪徳寺橋
豪徳寺参道前に豪徳寺橋がありました。


写真:世田谷線宮の坂付近

写真:世田谷八幡宮

写真:力石

写真:八幡様の土俵
世田谷八幡にお参りをし、境内をお借りしてウォーキング後のストレッチです。「力石」は「ちからいし」であることは頭では理解しているのですが、思い浮かぶのが「力石徹」となってしまうのはあしたのジョー世代の宿命ですね。
新横綱稀勢の里が楽しみな春場所が初日を迎えるこの日、境内の土俵では親子の取り組みが行われています。この後行司役も取り組みに加わり、姉弟でお父さんに向かってゆきました。
どうしてこの神社に力石や土俵があるのだろうと漠然と考えてみると、八幡神が武家の守護神だからかなぁ。

この後有志は渋谷マークシティにある銀座ライオンへ向かい、先週の戦利品であるビール一杯無料券を目いっぱい活用して、大いに酔っぱらいました。


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


すこやか歩こう会活動スケジュール
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