目黒区北部地区 すこやか歩こう会

東横線中目黒駅周辺を拠点に活動するウォーキングクラブです。みんなで歩くと楽しいですよ!時々遠出もしています!!

ウォーキング塾地区活動(北部) 菅刈、東山、上目黒コース 約5.4km

2023-05-27 15:13:27 | 東京都目黒区
5月19日からウォーキング塾がスタートしています。このウォーキングはその翌日、霧雨の中のウォーキングとなりました。


中目黒GT
塾の期間中中目黒の集合場所はわかりやすくGTです。船入場に移動してストレッチをしてスタートします。


目黒川とアトラスタワー

さいかち橋歩道橋から
目黒川沿いをさかのぼってゆきます。目黒川にかかる駒沢通りの橋が「皀樹橋」(さいかちばし)、読めないですね。樹木の「サイカチ」を調べると「皂莢」となっていますが、橋名の由来はこの樹木だと思っています。


菅刈公園

菅刈公園和庭園
西郷山公園とともに西郷従道邸があった場所で、明治天皇が何度か行幸されています。西郷邸以前江戸時代は豊後岡藩の下屋敷がありました。西郷邸の後国鉄の官舎があり、国鉄スワローズの合宿所もこちらにありました。小笠原諸島が連合軍の管轄下にあった時代に、島民の方がこのあたりに住んでいたという話を聞きますが資料を目にしたことはありません。


ミキモトさんのバラ

スターバックス
相変わらず多くの外国人が訪れるスターバックスです。ビールには興味がありますが、コーヒーは???


寿福寺
目黒川沿いを玉川通り近くまで歩き、東山貝塚公園を見て、目黒世田谷の区境、加藤家の墓地、旧帝国陸軍の馬料庫を利用しているクロネコさんの倉庫、国土地理院跡地などをめぐり寿福寺へ。ついでに寿福寺墓地にある川井権兵衛さんのお墓へ。権兵衛さん関連の記事を目黒区のサイトから引用します。
歴史を訪ねて 目黒の鷹狩り 2
更新日:2013年10月1日

「歴史を訪ねて」は、「月刊めぐろ」昭和54年6月号から昭和60年3月号の掲載記事を再構成し編集したものです。

◆駒場野
享保元年(1716年)の鷹狩り復活後、目黒筋の中で最も利用されたのは駒場野であった。現在、その大部分は東京大学教養学部が占めているが、当時の駒場野は人の背丈ほどもある笹が一面に生え、ところどころに松林が茂る広大な原野(約16万坪といわれる)で、キジやウズラなどの野鳥をはじめイノシシ、ウサギなどがたくさん生息していたといわれる。
八代将軍吉宗が駒場野で、初めて鷹狩りを催したのは享保3年(1718年)秋のことである。以後、吉宗の遊猟は15回を数えたという。また、駒場野では鷹狩りが中心であったが、次第にウズラ狩りやイノシシ狩りも行われるようになり、鉄砲を使う大がかりな狩りへと発展していった。

◆つらかった「ケラの御用」
このあおりを受け、付近の農民は、農事に使う牛馬の飼料である駒場野での秣採りを禁止された。そのうえ、鷹狩りの雑役や野鳥飼育用の大豆畑の仕事までも請け負わされ、鷹狩りが度重なるにつれて大きな負担となった。特に、鳥見が常駐していた上目黒村では、お触れが出ると、鷹の生餌であるケラを納めなければならなかった。
ケラ捕りは夜中に、ちょうちんの灯りで田畑のあぜを捜し回るのだが、なかなか捕まらない。そこで、炒り糠(いりぬか)をまき散らし、そのにおいに誘われ土中から出てくるケラを捕まえた。しかし、命ぜられた数量を確保するのは容易なことではなく、村方は再三、ケラ捕りの延期を願い出たほど、厳しく、そしてつらい御用であった。

◆各筋に綱差を設置
野鳥がどんなにたくさんいても、将軍は、一面の笹原や林の中を馬上で追うのであるから、そう簡単には捕まらない。狩りの度に一羽の鳥も捕れないようでは、将軍家のご威光にかかわる。しかも野鳥が減少するにつれ、御用役人の心配は一層強くなる。そこで一計を案じ、あらかじめ野鳥を捕まえて飼育しておき、いざというときの御用にと、飼付御用を務める綱差という役が各筋に設けられた。
目黒筋の初代綱差は、武州多摩郡野津田村(現在の町田市)の農民で、キジ捕りの名人といわれた川井権兵衛さん。権兵衛さんは、享保3年(1718年)に下命を受けて駒場野の近くに移り住み、将軍家遊猟の際の陰の演出者として活躍した。以後、目黒筋の綱差は、代々川井家が受け継ぎ、権兵衛を襲名した。

◆俗謡となった権兵衛さん
初代権兵衛さんのキジ捕りの方法は、まず、笹原を10坪ほど切り開き、キジの大好物の大豆をまいておく。そして、近くの番小屋で様子をうかがい、キジが大豆を食べる瞬間に引き綱を引いて網をかぶせる。しかし、肝心のキジよりも先にカラスがえさを失敬してしまう。こうした毎日を繰り返すので、ほとほと手を焼いた権兵衛さんは、6尺もある木刀(だんびら)を振り回してカラスを追う。
そんな情景をおもしろおかしくうたった、「権兵衛が種まきゃ、カラスがほじくる、三度に一度は追わずばなるまい、ズンベラ、ズンベラ…」という俗謡が生まれたという。 しかし、同じ俗謡が和歌山、福岡両県をはじめ各地方でもうたわれており、目黒で生まれたという説の真偽のほどは明らかではない。
かくて、徳川歴代将軍による目黒筋での鷹狩りは、綱差や農民の苦労をよそに、幕末まで続けられたのである。



アカンサス

蛇崩川緑道

シモツケ咲き始め

アジサイ
蛇崩川緑道を歩き、目黒銀座児童遊園でストレッチをして解散しました。

ウォーキング塾の実習と位置付けている地区ウォーク、この日塾生は一人も来ません。開催場所が西部地区の八雲体育館で北部地区から申し込んだ塾生が6名。塾初日に出席したのが3名でしたが、地区ウォークの参加がゼロはこれまでありませんでした。宿山を知るにはよいコースだったのに残念、次回はだれか来るかな?


すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。


すこやか歩こう会活動スケジュール

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