二十四節季の大寒の前日とあって、朝方から強く風が吹き体感温度はかなり低いと感じられ、少し心配しましたが、スタート時間の午後1時頃になると風もおさまり、幸いなことに絶好のウォーキング日和に変わっていました。
祐天寺駅
今日のスタート地点である祐天寺駅のビルは、建替が終わり昨年10月1日「エトモ祐天寺」の名称で開業したばかりです。立替え前は、古くてぱっとしない駅ビルだったのですが、これで少しは格が上がるのではないでしょうか。
謡坂
謡坂(うたいざか)を登り、葦毛塚之碑に立ち寄ります。目黒区の資料によると、「謡坂(うたいざか)」の名前の由来は定かではないとの事です、この名前の坂は、近畿以東に40余りもあると言われており、そのひとつが目黒区にあるこの坂です。
葦毛塚
葦毛塚之碑は、源頼朝が、葦毛の馬に乗ってこの地を通ったとき、その馬が何かに驚いて沢に落ちこんで死んだという説と、鎌倉将軍の世ここの地の領主北条左近太郎が仏経をもって出かけたとき、その葦毛の乗馬が突然たおれたのでここに埋めたとの説があります。この近辺には、上馬、下馬と言う地名が残っています。どうも鎌倉街道沿いであった事との関連が有りそうです。
蛇崩川緑道
駒繋神社
蛇崩川緑道を伝って駒繋神社に到着します。この神社は天喜四年(1056)四月、源義家が父頼義公とともに朝廷の命をうけ奥州に向かう途中、この地を通過するさいに、祈願参拝休憩したと伝えられているとの事。また、文治五年(1189)七月源頼朝が藤原泰衝征伐のため立ち寄り祈願したさい、愛馬を繋いだ松を駒繋とよび、のちに駒繋神社と称するようになったとされています。
西澄寺
西澄寺の山門は、大正11年本堂の改築の時、港区三田四国町にあった旧蜂須賀家屋敷門を移築したと伝えられており、5~10万右の大名の屋敷門の形式、構造、装飾等を備える数少ない武家屋敷門の遺構として貴重なものです。
大山道道標
キャロットタワー
三軒茶屋駅のランドマークキャロットタワーとかつてのランドマーク(大山道 道標)です。赤坂見附から始まる大山道の新道と旧道の分岐点が三軒茶屋です。かつての大山道の新道は世田谷通りと名称が変わり、そして旧道は国道246号線となっています。
目青不動
教学院にある不動明王像は江戸五色不動の1つので「目青不動」と呼ばれています。世田谷線の線路ぎわにあり、門前の、道が狭くて目立ちにくいのは、世田谷線が門前を塞ぐように横切るようになったからなのでしょうか。江戸五色不動と言われた名刹にしては参拝客も少なく質素なお不動様に見えてしまいます。
太子堂八幡神社
七草
太子堂八幡神社の神楽殿
太子堂八幡神社の手水舎には、今年も七草のざるが置かれていました。そう言えばここの所何年も七草粥を口にしていない事を思い出しました。
聖徳太子参道
林芙美子
円泉寺
太子像
騎兵第一連隊
秋山好古
この後は、聖徳太子参道に入り林芙美子旧居(「放浪記」「晩菊」等の作者)、円泉寺(太子堂のあるお寺)、三宿神社、「騎兵第一連隊碑」(司馬遼太郎の作品「坂の上の雲」の主人公秋吉好古が連隊長)を訪ねました。(この碑に秋山好古の名前を確認し写真に収めたのですが名前の左半分が欠けてしまいました)相変わらず写真はど下手だと痛感しております。
目黒川基点
目黒川のカモ
烏山川緑道を下り烏山川緑道と北沢川緑道の分岐点へ、この二つの川が合流し下流が目黒川となります。目黒川を更に少しくだれば、ゴール地点の池尻大橋に到着です。
天候にめぐまれ、この時期にしては珍しく少々汗もかきましたので、ゴールの後、アルコール好き?且つ喉の渇きが強い有志5人、大橋の餃子の店で生ビールとハイボールをたらふく飲んで大いに喉を潤しました。
吉井
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
すこやか歩こう会活動スケジュール
祐天寺駅
今日のスタート地点である祐天寺駅のビルは、建替が終わり昨年10月1日「エトモ祐天寺」の名称で開業したばかりです。立替え前は、古くてぱっとしない駅ビルだったのですが、これで少しは格が上がるのではないでしょうか。
謡坂
謡坂(うたいざか)を登り、葦毛塚之碑に立ち寄ります。目黒区の資料によると、「謡坂(うたいざか)」の名前の由来は定かではないとの事です、この名前の坂は、近畿以東に40余りもあると言われており、そのひとつが目黒区にあるこの坂です。
葦毛塚
葦毛塚之碑は、源頼朝が、葦毛の馬に乗ってこの地を通ったとき、その馬が何かに驚いて沢に落ちこんで死んだという説と、鎌倉将軍の世ここの地の領主北条左近太郎が仏経をもって出かけたとき、その葦毛の乗馬が突然たおれたのでここに埋めたとの説があります。この近辺には、上馬、下馬と言う地名が残っています。どうも鎌倉街道沿いであった事との関連が有りそうです。
蛇崩川緑道
駒繋神社
蛇崩川緑道を伝って駒繋神社に到着します。この神社は天喜四年(1056)四月、源義家が父頼義公とともに朝廷の命をうけ奥州に向かう途中、この地を通過するさいに、祈願参拝休憩したと伝えられているとの事。また、文治五年(1189)七月源頼朝が藤原泰衝征伐のため立ち寄り祈願したさい、愛馬を繋いだ松を駒繋とよび、のちに駒繋神社と称するようになったとされています。
西澄寺
西澄寺の山門は、大正11年本堂の改築の時、港区三田四国町にあった旧蜂須賀家屋敷門を移築したと伝えられており、5~10万右の大名の屋敷門の形式、構造、装飾等を備える数少ない武家屋敷門の遺構として貴重なものです。
大山道道標
キャロットタワー
三軒茶屋駅のランドマークキャロットタワーとかつてのランドマーク(大山道 道標)です。赤坂見附から始まる大山道の新道と旧道の分岐点が三軒茶屋です。かつての大山道の新道は世田谷通りと名称が変わり、そして旧道は国道246号線となっています。
目青不動
教学院にある不動明王像は江戸五色不動の1つので「目青不動」と呼ばれています。世田谷線の線路ぎわにあり、門前の、道が狭くて目立ちにくいのは、世田谷線が門前を塞ぐように横切るようになったからなのでしょうか。江戸五色不動と言われた名刹にしては参拝客も少なく質素なお不動様に見えてしまいます。
太子堂八幡神社
七草
太子堂八幡神社の神楽殿
太子堂八幡神社の手水舎には、今年も七草のざるが置かれていました。そう言えばここの所何年も七草粥を口にしていない事を思い出しました。
聖徳太子参道
林芙美子
円泉寺
太子像
騎兵第一連隊
秋山好古
この後は、聖徳太子参道に入り林芙美子旧居(「放浪記」「晩菊」等の作者)、円泉寺(太子堂のあるお寺)、三宿神社、「騎兵第一連隊碑」(司馬遼太郎の作品「坂の上の雲」の主人公秋吉好古が連隊長)を訪ねました。(この碑に秋山好古の名前を確認し写真に収めたのですが名前の左半分が欠けてしまいました)相変わらず写真はど下手だと痛感しております。
目黒川基点
目黒川のカモ
烏山川緑道を下り烏山川緑道と北沢川緑道の分岐点へ、この二つの川が合流し下流が目黒川となります。目黒川を更に少しくだれば、ゴール地点の池尻大橋に到着です。
天候にめぐまれ、この時期にしては珍しく少々汗もかきましたので、ゴールの後、アルコール好き?且つ喉の渇きが強い有志5人、大橋の餃子の店で生ビールとハイボールをたらふく飲んで大いに喉を潤しました。
吉井
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
すこやか歩こう会活動スケジュール
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