酒酒楽楽

酒店のオバちゃんが、商工会活動や家族のことなどをマイペースで綴っていきます。

「衣食足りて・・・」と言うけれど

2011-03-31 20:00:14 | 東日本大震災



義母が見つけたふきのとうは、ふきのとう味噌に

*画像は全てクリックで拡大します

職場のある石巻市で被災した仙台市の親友Sさん、
3日間避難所で暮らし、2日間は全く食べ物がなかった。
3日目、幸い車が無事だったし現金もあったので、スーパーへ買い出しに向かい、
途中道路が寸断されたりしてたが、う回路を見つけながらようやく辿り着き、
何と8時間も並んで23、000円もの食料品を買い込み、
避難所のみんなと分けあって食べたと話してくれた。

(その間、仙台の家族や石巻の親戚とは全く連絡が取れず、
今でも二人のお姉さんの行方は分からない)

少しは落ち着いたかな?と思いながら電話をすると、いつもの元気な声が返ってきた。
あれ以来、親戚など13人もで生活していたのだとか。
若い頃からテニスやスキーなどで鍛えていたし、
いまでも里山歩きで足腰を鍛錬している彼女だからこそ、
この試練をなんなく乗り越えられたのかもしれない。


彼女がそんな風に苦しんでいる中、私たち家族はと言うと・・・
断水のためやはり少しの苦労はあったものの、お腹は「はら八分目」に満たされていた。

なるべく水を使わないよう、お皿にはラップを敷いて、
ポリコップと割り箸は、濡れティッシュで拭きながら2,3回使ったり。

  
ハムや玉子は貴重なたんぱく質源。
富山の薬屋さんのお土産(かまぼこやホタルイカの佃煮)や、
八街市の姉からもらった魚たちも。

昨年暮れにいただいた5箱ものハムのセットがこんなにも役に立つとは。
うわっ、こんなに沢山?と思いながら冷凍していたものが、
工夫次第でいろいろな料理に変身していった。

aさんから戴いた苗で育てた玉ねぎや、
実家からもらって保存していた白菜や山芋やカボチャ等々、
お陰で餓死を免れた。

それから、写真は撮らなかったのだが、地震の数日前からお彼岸用のあんこを作ったり、
お稲荷さん用のあぶらげを煮たり、五目ご飯用の具を煮たり・・・
申告も済んで時間に余裕があったので、こうなることを予想していたかのように
パタパタ働いていたことも記録しておきたい。

↓気が向いた時に写したものをUP




水道が復旧すると、心にゆとりが出て来てデザートも作ったり、
お陰で家族全員風邪もインフルエンザも関係なく、
おまけに、体重は減りもせず増えもせず、現状を維持したままだ。(* ̄∇ ̄*)エヘヘ



早朝の交差点。
ふと見ると・・・ん?!



信号待ちの時に捨てられたものなのか、
コンビニ弁当の食べカスとたばこの吸い殻。

衣食足りて・・・というけれど、礼節を知らない輩がいる。
節度をわきまえた大人になりたいものである。


東北関東大震災県内被害状況(3月30日午後4時現在)
福島県内の死者 1043人 行方不明者 1481人 重軽症者 205人 
避難者 88558人 住宅全壊 1118棟



4月8日(金)より「自然酒の古里・田村」(限定品)の発売を開始いたします。

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笑える話

2011-03-30 19:46:35 | 東日本大震災
 
 
Iさんから戴いた小松菜とYさんから戴いたホウレン草
青菜が不足している中、新鮮でシャキッとして何とも言えない美味しさo(*^▽^*)o~♪

*画像はクリックで拡大します

↓は、頼もしい応援団です。

脳トレの川島隆太東北大学教授
「基準値を超えた放射能の付いた食品の出荷をとめるのであれば、
タバコの出荷を止めた方が明らかに国民の健康に良い影響があります。」

理学博士の大槻義彦早稲田大学名誉教授(宮城県出身)
「私はホーレンソウも牛乳も平気です。」



3月29日付けの福島民報「あぶくま抄」より抜粋
東京の知人宅に避難している主婦が、若い女性たちの会話を聞いて凍りついた。
 『被ばく者に触れたら嫌だよね』
『福島から来た人は分かるようにゼッケン付けてほしいよね』


??? なんかおかしいな~

200万の福島県民は、東京電力第一原発の事故のために苦しめられています。
避難なんてしたくないのに避難させられたり・・・
「原発なんていらない!」と言いたいのに、でも、我慢強いのでじっと辛抱しているのです。

5月に上京の予定があります。
「福島県人です!」と心に大きなゼッケンをつけて、
大手を振って、表参道ヒルズや青山近辺を歩いてきましょう。

賢明なブログ友の皆様、
風評に惑わされることのなきよう、どうぞよろしくお願いいたします。



3、4日前から国道の車の往来が元のように激しくなってきた。
いわき方面へも重機や物流のトラック、保冷車などが何台も連なって走って行く。
自宅前の信号機の下で、いつもならイライラしながら早く行け!って思っていたのだが、
今は晴れ晴れした気持ちで笑顔で見送る私がいる。


東北関東大震災県内被害状況(3月29日午後4時現在)
死者 1012人  行方不明者 1497人  避難者 88799人



4月8日(金)より「自然酒の古里・田村」(限定品)の発売を開始いたします。

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記念日(* ̄∇ ̄*)

2011-03-27 20:15:33 | 東日本大震災
 朝の雪景色(撮影:2011.3.26)


そう言えば、あの日も急に冷たい雪が飛んできたっけ。
慌てて外へ飛び出し・・・地震に慄き、寒さに震え、
気が付くと柊の葉っぱにつかまっていた。
ちくちく痛い柊につかまるなんて、普通には考えられないことなんだけれど。

相変わらずガソリン不足の日々で、
昨日、磐越西線で郡山駅に到着した「石油列車」、
その静かにゆっくりと入ってくる様が、救世主みたいにカッコよく頼もしく見えた。

急いでカメラを用意したが、間に合わず・・・

来週には、この不安も解消されるに違いない。

*棚倉町のスタンドで、午前3時ごろから順番待ちをしていた82歳の男性が、
軽トラの中で一酸化中毒のため(練炭火鉢を焚いて)亡くなっていたという
悲しいニュースも。
何故? 
もう少し待っていられなかったの?



東京の義妹とお互いに「おめでとう!!」と言いあった。
こんな中なのだが、義妹夫婦も私たちもこの日が30何回目かの記念日なのだ。

あの日、義妹は郡山市内開成山のレストランで巨大地震に遭遇、
携帯が繋がらず心配していると、
夜になってようやく我が家にたどり着き、お互いの無事を確かめあったのだった。
翌日帰る予定だったのだが、新幹線も高速バスも運休となり、
17日の福島空港~羽田便でようやく帰ることが出来た。
東京のマンション(13階)は、箪笥が倒れたり電子レンジが壊れたり・・・
我が家以上にひどい状態だったらしい。
幸い家族全員が外出していたため、誰にも怪我がなかった。

*3月26日は福島原発の誕生日(営業運転開始から40年経過)


すっかりバタバタしていたけれど、
このアドレス、このテンプレートで始めたブログが4周年を迎えた。
旧「酒酒楽楽」は、もうすぐ6周年となる



東北関東大震災県内被害状況(3月26日午後5時現在)
死者 910人  行方不明者 1542人  避難者 89156人



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あれから2週間

2011-03-25 21:14:09 | 東日本大震災
 

昨日、娘の車にガソリンが少しだけ入ったので、約一カ月ぶりの外出。
実家方面と美容室(姪の店)へ。

実家の蔵のグシも隣近所の母屋や土蔵と同じように瓦が落ちて、
ブルーシートと土嚢で覆われ、当面の間に合わせの補修(携帯カメラで撮影)
また、白壁にも亀裂が入っていたが、怪我人が出なかったのが幸いである。

姪の美容室では、避難されている人たちのために、
シャンプー&トリートメントを無料サービスしているとのことで、
原発事故のために富岡町から郡山ビッグパレットふくしまに避難している二人の女性が来ていた。

Aタクシーの運転手が、10分以内の場所なら無料で送迎してくれるとのこと。
無料シャンプーも無料送迎も、
やむを得ず避難されている方々にとっては大変嬉しいサービスだ。

美容室で丁寧にやってもらえるシャンプーは凄く気持ち良く、至福の時間でもあるのだが、
私は、朝シャンもしてきたことだし、
こんな時なのでカットだけにしてもらった。

原発から50キロ圏内の郡山市でも、原発の恐れから県外へ脱出している家族もあると聞く。
実はこの姪の家族も一度は脱出を試みた組で、しかし、途中で思い留まり、
今は、避難されている人たちのためにボランティアをしているのだ。
最近、このようないい話を聞くと、瞼がじわ~っとなる。

*美容室クララ・ボウ 郡山市安積町日出山(956)0559




「街の中や須賀川なんてこんなもんじゃないよ、行ってみ~。」
って、業者のEさんが言ってたけど、
街の中のビルやショーウィンドーなどは、すさまじいらしい。
郡山市役所の本庁舎、須賀川市役所、須賀川市内の道路なども。

あの日、我が家の娘と、たまたま郡山へ来ていた義妹とが口をそろえて、
「帰り道で怖い光景を見てきたので、絶対につぶれている~と思っていたらしい。
可哀想に・・・


震度6弱に踏ん張ってくれた築40数年の我が家


吹き抜けの空間が、物干し場と化して・・・(ё_ё)キャハ


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大堀相馬焼の里

2011-03-23 21:13:42 | 東日本大震災
 
平成9年6月14日 女性部の仲間たちと相馬方面へ旅行した時、
ある窯元で大堀相馬焼の絵付け体験をした。
絵心もセンスもない私の唯一の作品(右)をUP

先日の地震のため壊れてしまったが、これだけはどうしても捨てることが出来ない。
大地震と津波のあと、この町は一体どうなっているのだろうか?

浪江町観光協会 大堀相馬焼の里




*23日現在 福島県内の死者 776人 行方不明者 4,443人



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「浜通り」はどうなったのか?

2011-03-21 15:26:23 | 東日本大震災

10年以上も蔵で眠っていた折りたたみ自転車。そろそろ出番かな~(*´∇`*)


東北関東大地震については、連日報道されているとおりで、
岩手・宮城県の各地については毎日のように繰り返し映像が流されているが、
ここ福島県については、何と言っても福島第一原発のニュースがトップで、
他に双葉町の町ごと移動のニュースなど。

先日「つぶやき古道」の玉井人ひろたさんも「映像がない・・・」と記事にされていたが、福島県浜通り、特に双葉郡浪江町についてはどうなっているのか、私たち県内にいるものにさえ全く知らされていない。


浪江町で津波に遭い、二本松市へ避難していたオトウサン、
その後、迎えに来た親戚の方に連れられて県外へ避難して行く途中、
我が家へ寄ってくださった。
「知っている人が何人も死んでいった・・・」
震えるような声と寂しそうな顔が忘れられない。

浪江町の行方不明者が917人と報道されたのは、地震が起きて数日後だったが、
その後一体どうなっているのだろう?


今朝の福島民報「あぶくま抄」にはこんな事が書いてあった。

「相双地方に届けた今月初めの紙面をめくれば、ようやくフクジュソウが咲いたという知らせがあり、開花を控えてサクラの枝を整えた取り組みが載っていた。穏やかな季節の移り変わりを伝える紙面が一変したのは12日付だった。▼大震災当日の紙面には、浪江町の請戸港(うけどこう)で水揚げされ、釜ゆでしたシラウオの天日干しの写真があった。シラウオ漁は浜通りの春の風物詩だ。天ぷらやあえ物など味わい方は様々。地元では半透明の魚体を生で食べる趣向もあるが、命をかみ砕くことのほろ苦さがある。▼今となれば、穏やかな日差しの中、たゆとう海で船が網を引くさまを思い浮かべるのは難しい。浜通りの被災地で避難や屋内退避が指示された地域には捜索の手が入らず、この世を離れられないおびただしい魂が漂う。何より、身動きできないままかすかな意気遣いが続いているかも知れないのだ。宮城県石巻市で救助された二人は寒さの中、九日間も耐え抜いた。▼今日は彼岸の中日だ。古里の風景が一変した今、昨年と同じ気持ちで先祖の墓に手を合わせられる人は少なかろう。来年の彼岸にはどんな命を思っているだろう。シラウオはもっと苦く感じるか。




今日は彼岸の中日。
でも、実家のお墓参りには行けなかった。

振り返ってみると、
先月末から約一カ月間、早朝のウォーキングを除いて、
家から一歩も外へ出ていない。

そんなことは今までにもざらにあったことなのだが、
今回は訳が違う。

4台の車(乗用車と軽トラ等)に入っていたガソリンは、
仕入れと配達を優先にした。

明日辺りからは見通しがつくのだろうか?  
さて・・・・・




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当たり前のこと

2011-03-19 21:49:50 | 東日本大震災

余震が治まるまでこのままにしておこうヾ(@~▽~@)ノ


三度の食事をいつもの時間にとれること、
蛇口をひねるとお湯や水が出ること、
おトイレの水が流せること、
温かい布団で寝られること、
今まで当たり前にしていたことが、
今日もまた当たり前にできることの幸せ。

避難所で寒い思い、辛い思いをしている多くの人たちに
この幸せを少しでも分けてあげたい。






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東日本巨大地震

2011-03-12 10:35:18 | 東日本大震災
ご心配おかけしております。

昨夜は余震が続き眠れませんでした。


多少の被害がありましたが、家族全員元気でいられることを幸せに思っております。

不自由なことと言えば、断水していることと携帯が繋がらないこと。


今も時々余震に脅かされて、家の中はなんとか片づきましたが、
あとは何をして良いものやら・・・・・


皆様のご無事を祈っております。