酒酒楽楽

酒店のオバちゃんが、商工会活動や家族のことなどをマイペースで綴っていきます。

兄弟姉妹全員集合!!

2019-01-16 21:11:33 | 家族

少しは日が長くなっているのでしょうけれど、

ウォーキングの頃は未だ薄暗く、加えて逆光なので余計にこんな暗い写真になってしまいます(汗)

 

3連休初日のこの日、T君(甥)とMさんの結婚報告会がありました。

結婚報告会って初めて目(耳)にする言葉ですが、

既に入籍済みのT君とMさん、来月海外で結婚式を挙げるので、

その前に、私達近親者に入籍の報告をしようということになったのでしょう。

会場は梅の花郡山店 

 

新婚さんに会えるのは勿論、

施設にお世話になっている姉とただ一人県外に住む二番目の姉夫婦に会える事を、

ずっと楽しみにしていた私です。いや、他の兄弟も皆同じ思いだったでしょう。

 

札幌に住むT君のお姉ちゃん家族や

昨年出産した2番目のお姉ちゃん夫婦と赤ちゃんに会えるのも楽しみでした。

そういう意味で、この会を設定してくれたTくんMさんと弟夫婦に感謝しなければ。

 

乾杯~祝宴と続き、私は末永い幸せを願い、宮城県民謡の「さんさ時雨」を謡うことに。

20代の頃、職場の祝いの席で必ずと言って良いほど謡われていた祝い唄なので、

歌詞を見れば、大体歌えるのですが、

一応You Tubeを使って朝な夕なに練習しましたよ。祝い事ですからね

参会者全員に手拍子と「あ~めでたいめでたい」という掛け声をお願いし、

結果、まぁまぁの出来で歌い終え、大満足でした。これって自己満足というのかな?

その後、「四海波」を歌ったりかくし芸(手品)をしたりの叔父さんが現れ、

予想通りに盛り上がって大変愉しい会になった事は、言うまでもありません。

 

湯葉から始まり、次々に運ばれてくるお料理も絶品でした。

写真を撮る暇もなく、唯一の写真がこれ。 

 

周りを見ると、皆、紙の筒を覗いてジュージューと、

私も真似して・・・さっと焼いて口に運ぶと、それはそれは柔らかいお肉でした。

昼間から美味しいお酒を飲みご馳走をたらふく食べて、身も心もぽかぽかになりにけり。

 

 

 父親の命日が近いので、帰宅前に実家へ寄り、またまたお茶をしながらのおしゃべり。

話は尽きないものですね。

 

<追記>この日の夕ご飯、お土産にもらってきたお赤飯と味おこわと、

それから朝食の残り物などで簡単に済ませました

 

  

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子供の日に

2018-05-05 21:57:18 | 家族

 

相変わらずの雑用と遅々として進まない断捨離とで、私の肩はコリコリ。

昨夜、久し振りにm子さんの全身マッサージを受けました。

お陰様で、今日はスッキリ!です。

 

 

今日は子どもの日ですが、我が家には小さい子がいないので、義姉の孫たちのことを。 

 

 子供の日を前に、みちのくI市から義姉の家族が来郡しました。

義姉と長女のIちゃん、その子たち(5年生のR君と3年生のHちゃん)の総勢5人です。

おじいちゃんとパパは仕事の関係でお留守番。

車で来る予定でしたが、悪天候のために急きょ新幹線に変更。

 

R君、我が家に着くなり、目立つところに貼っておいた大安場史跡公園(市内田村町)の

チラシ「こどもオリンピック」を見つけ、「なにこれ?」と。

私の狙い通り、翌日4日には「勾玉作り」に参加することになりました。

 

夕食前の温泉で疲れを癒し、大好きなお肉でお腹を満たしたR君とHちゃん、

温泉&夕食を共にした義弟の車で大安場史跡公園へ向かったのです。

 

 RくんとHちゃんママから送られてきた画像

  

高学年になって野球に興味を持ち始めたR君と、部員一人の一輪車部を作ったHちゃん。

とっても仲良しな兄妹です。

 

 

みんなが帰って行き、すっかり静まり返った我が家。

テレビを観ながら食事をしていると、勾玉づくりのニュースが流れ、

なんと、Hちゃんが映っているではありませんか。しかもアップで!

傍にはHちゃんママと義弟も笑顔で映っています。

 

 事前に知っていれば、大きな方のテレビでカメラを構えて見ていたのに・・・残念‼

で、後で知ったのですが、義姉とR君もすぐそばにいたそうです。

可愛い子供を見守る幸せ家族が何組も参加していたのでしょうね。

子供は宝、痛切に思います。

 

雨降りの前に撮った庭の花たちをUP

 

 

 

 

 

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安積疏水 日本遺産認定 で思い出したこと

2017-02-04 21:18:28 | 家族

昨年の何月号だったか

JR東日本「大人の休日倶楽部」に特集記事が載ってましたし、

またこのブログでも簡単に紹介しましたが、

安積疏水はが 日本遺産に認定されました。

そのことに関して、思い出したことがあります。

 

極めて私的なと言うか、身内(母方の祖母)の話ですが、どうぞお付き合いの程をヽ`(~д~*)、ヽ`…(汗)

 

ここに、昭和53年2月14日の福島民報「大郡山版」の〝写し”があります。

見出しは、

「中条政恒邸跡 史跡公園に」〝安積開拓の父”永遠に 地権者、快く了解 と。


安積疏水(あさかそすい)と言えば、中条政恒とファンドールン、ですね。

 

旧米沢藩士 中条政恒は、 

安積疏水事業と安積平野開拓に情熱を注ぎ、郡山発展の道をひらいた。

作家の宮本百合子は、中条正恒の孫にあたり、

「貧しき人々の群れ」や「播州平野」は、郡山市を舞台にしている。 

(福島民報より抜粋)


この新聞報道から約2か月後の4月4日、

祖母(86歳)祖母の兄嫁(96歳)が、この史跡公園に、山桜の苗木4本の植樹をしました。

この史跡公園は、現在の開成郵便局の真ん前にあります。


この前年の4月から5月にかけて入院した義母。

病院に泊まり込みで看病したのは、私いっこんまでした。

 

これ ↓ は、身体が弱っていた祖母が、当時の市長高橋亮氏あてに書いたお礼状です。


『中條邸跡記念公園に植樹申し入れが、市長様のお許しを得て、

姉(スカ)と、市の木「山桜」四本植えさせて頂きました。

誠にありがとうございます。

歴史を大事にする市長様、地下の中條様と半右衛門と喜んで居る事と思います。

山桜の成長と百万都市の前途を祈願して止みません。

塩田様、忠花園の皆様にはお世話になりました。

今、旧邸跡に立ちて、

祖母(ウン)様に手を引かれて

帰桑毎に寄ってくれた子どもの頃(8、9才の頃)の百合子さんの色白な可愛い顔を思い起こしてゐます。

又、ウン様、開拓当時、政恒様と共に起居した裏の廃屋を見廻って、

当時のきびしさ、つらさを思い出してゐました。

私の13、4才の頃です。

七郎(甥)の嫁の背中で、ここは中條邸(サマ)の屋敷だなあ~と漏らし、

碑を読みだした姉の言葉には誠に驚きました。

皆の人が力を合わせて郡山の文化を守り続けますやう切に願い居ります。

姉共々長生きして、又山桜の節に必ずここをおとつれて来ます。

皆様ほんとうに有りがとうございました。

心より郡山の発展を祈って止みません。 

昭和五十三年四月四日

                  相楽 スカ(96才)

                  登梛 千代(86才)

植樹の日に記す』                (原文のまま)

 

 祖母の父は、大槻村最後の名主でした。

大槻村最後の名主 相楽半右衛門伝 矢部洋三

故に、上記民報新聞の「地権者」=相楽家となります。


上の手紙は何度読んでも私の胸にジンと来ます。

そして、気になること。

40年の時を経た今、google map  を開くと、この史跡公園は、開成緑地となってます。

史跡公園ではないのか?  4本の山桜はどうなっているのか?

山桜の咲く頃に、祖母に会いに行きます!



 <追記> 

この後、祖母の病気が悪化しました。

父の提案で、長女である母が引き取ることになり、4年間の自宅介護。

初め、お医者様が数回訪問してくださいましたが、

「このお歳ですから、もう薬は要らないでしょう」と。

母が殆ど一人で介護しておりました。

それでも寝たきりで4年間生き延びたのです。

毎日身体を拭いてあげたりと、献身的な介護が功を奏したのでしょう。

誤嚥も褥瘡もなく、見事な最後でした。

 

 

 

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春の叙勲祝賀会・オリジナル記念酒

2016-11-11 16:33:03 | 家族

 

10月末、午前6時ごろの宇津峰山

長雨が続いたためか、まだ稲刈りの済んでいない田んぼがチラホラと 

しかし、さすが11月初めにはコンバインのタイヤ痕のみが残されてました。

 

反対側にはこんな光景が

ついこの間まではこんなでした ↓

そう、これはトウモロコシ(牛用の餌)を刈り取り、乾燥させていたのですね。

とまぁこんな風景を眺めながらのウォーキングを続けていて、お陰さまで元気です!

 

 さて、10月のカレンダーも、家族3人それぞれいっぱいいっぱい書き込まれてました。

その中でも選りすぐりを。

福島民報に掲載された「ミセサキ市」は、娘の企画です。

 


他にも「たむらまち商工感謝祭」などいろいろありましたが、

何と言っても一番はこれ。

恥ずかしながらの投稿ですが、どうぞお許しください。

「春の叙勲祝賀会

私たち夫婦にとって、人生最大のと言ってよいほどの(もしかして30数年前の結婚式に次ぐ?)一大イベントでした。

大勢のお客様をお迎えしての祝賀会(只今準備中)

*私が撮った写真はこの一枚だけ。祝賀会の模様は、プロ並みの腕を持つ夫の従弟に任せました。

 

  記念品の一つ、加登屋酒店オリジナルの日本酒  乾杯酒としても使いました

 

地元若関酒造にお世話になり、福島県オリジナル品種〝天のつぶ”で醸された純米吟醸酒に

夫は、いろいろな想いを込めて「碧水」と名付けました。

その想いをラベルデザインに表現した娘、そして、

ギフトボックスの短冊を、義妹の手を借り乍ら一枚一枚丁寧に貼った私です。

 

大勢のお客様から祝福のお言葉やお褒めのお言葉をいただき、身の引き締まる思いがしました。

また、サプライズの花束贈呈では娘までもが登壇し、3人揃っての珍しい写真を撮ってもらえました。

(福島民報郡山版に掲載されたのは、正にその写真です)

 

35年の長きに亘り消防活動に身を置いてきた証の叙勲受章と思っております。

この度の祝賀会を開催するにあたり、

何から何までこまごまとお世話してくださった発起人会(田村地区隊長と地元消防団の方々)と

ご多用にもかかわらずご参会くださった多くの皆様に、心より感謝申し上げます。

 

    

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夫のお伴で東京へ o(*^▽^*)o~♪

2016-05-21 15:11:52 | 家族

東京メトロ銀座線赤坂見附駅 Dの出口を出ると、目の前に都道府県会館が見えました(ホッ!)

 

 昨夜遅くに投稿した記事を再編集して投稿します。昨夜のうちに早速コメントをくださったぐりさん、ごめんなさいね~。

 

15日、16日と東京へ行って来ました。 2年ぶりの上京です。

2014.5.21 谷根千と六本木(MIDTOWN周辺)ぶらり旅

 

今回は、夫の同伴者としてですから、色んな意味で今までの「」とは全く違います。

なので、カテゴリーは「旅」ではなく、「家族」でいいのかな?(ん!?それも可笑しい?)

あ、夫との二人旅は2007年5月にもありましたね。

2007.5.14 Nice to meet you!!


娘について行くだけの旅は楽ですが・・・

会議や総会続きの夫に代わり、

ホテルの予約、チケット購入、そのほか何から何まで、

もっと言えば夫の着替えまで準備しなければならないので気が許せません。

付いて行くというより、連れて行くみたいな?

 

なんと今回も2007年と同様、

上野駅で待っていてくださったブログ友のオヤジな私様との再会から。

でも、午後の説明会を控えていたので、あの「大統領」で飲むことは出来ません

また、東京都美術館では「伊藤若冲展」の開催中でもあり、どこも人、人、人でごった返しといった感じです。

食事場所を確保するのが困難でした。

(今、ル・コルビュジエの国立西洋美術館も世界文化遺産の候補になってますね)

 

 午後3時半から都道府県会館(写真上)で翌日のための説明会、

その後四ツ谷駅近くのホテルへチェックイン。

夕食はホテルへ来てくれた義妹夫婦と一緒に前夜祭を

 

翌16日は朝から分刻みのスケジュール

5時に起床し身支度を整え、義母の肩身の色留袖を着せてもらい、写真室で記念写真撮影、

その後タクシーでニッショウホールへ向かいました。

ここで伝達式のリハーサル⇒昼食後に福島県人(約40名)が集合して記念撮影⇒

そして、伝達式が無事終了し⇒16台のバスに分乗して皇居へ。

拝謁は16時56分からでした。

モーニング数百名(7列縦隊)と色留袖数百名(5列縦隊)が豊明殿に入ります。

壮観というか見事な光景ですが、写真は一切禁止です!

 

 

東京駅近辺でバスから降ろされた時にはもう午後6時近くでした。

     

そんなこんなで、帰宅するまでの約12時間、ずっと着物姿でいたことになります。

緊張の連続にもかかわらず、耐え抜いた我が身を褒めてあげたいです

毎日の早朝ウォーキングとm子さんの全身マッサージが功を奏したものと思われます。

 

待ち望んでいた二日間はあっという間に過ぎ去り、

帰宅後の3日間は、興奮冷めやらずというよりも、気が抜けたようにぼ~っとしておりました

明日からはまた通常の生活に戻って頑張ります

 

           

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6年の時が流れ・・・ (*⌒∇⌒*)

2015-04-01 08:25:28 | 家族

庭に咲いたミニサイズの水仙(撮影:2015.3.30)

今日は4月1日。
過去にいくつかエイプリルフールの記事を投稿したことがある私ですが、
これは、まじめな話です。ほんとに本当ですよ



地元の医院で定期的な胃カメラ検査を受け、
即入院、胃の3分の2摘出と、あわただしく時を過ごした2009年の4~5月でした。

あの当時咲き掛けた桜は、涙とともに散っていったのでしょうか?
記憶が定かではありません。

町の消防団地区隊長を引退し、ホッとしたのもつかの間の大惨事から、
間もなく6年の歳月が経とうとしております。

運が良かったのでしょう。
経過が順調に進み、抗がん剤の世話になることもなく、現在に至っております。


私たち夫婦は、地元のN先生(小中の同級生)を命の恩人と思っております。

一方、N先生は「胃カメラの予約をしたのは奥さん。命の恩人は奥さんの方だ」と。


「強運な夫、無事生還す」 2009・5・7

「元気!の証」2009・5・17

そうそう、以前、こんなこともあったっけ

「ブジカエル」 2006・5・13 (旧 酒酒楽楽)


そして、6年の時を経て・・・

この度の役員総入れ替えにより、
夫は地元の区長という大役を仰せつかり、本日より活動を開始します。

私は、文書作成など、家の中で出来ることを手伝うことになり、
自分用と公的なものと、二台のパソコンと仲良く暮らします

ここ数日の夫の背中を見ていると、
健康な体でこの日を迎えられた喜びを隠し切れないと言った様子です。

しかし、これからが勝負どころ、どこかの議員さん並みの忙しさが待ち受けています。
大過なく大役を果たせるよう、私も健康に気を付けて頑張りましょう‼


旧「酒酒楽楽」で始めた私の拙いブログが、
通算して丸10年が経過し、今日から11年目に突入しました。

今後とも、皆様の応援をよろしくお願い申し上げます。



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慈悲の心

2015-02-25 23:07:28 | 家族

義母の大好きなりんごのコンポート(赤ワイン煮)

義母を偲んでりんごの赤ワイン煮を作りました。

一瞬にしてリンゴの甘さが広がり、と同時に義母の笑顔が見えました。



22日に1ヶ月早めの一周忌法要を済ませました。
身近な人たちが高齢者となり、義母より先に他界した人もいて、
義父の時と比べて半分の数でしたが、それでも立派な法事になりました。

住職の説教は、いつも心に沁みいります。
が、書き留めておこうとすると、簡単にはまとまりません。

要約するとこんなことかな。

『慈悲の心とは、優しさや思いやりのことです。
その心で時々故人(仏様)を思い出しなさい。
そうすると、命の繋がり(縁)と命の尊さ、命の大切さに気づきます。
ご先祖様から頂いた命を大切にし、順送りで繋いでいかなければなりません。』


もてなしの隠れ家 すわやにて会食をしました。

古民家再生の温泉宿です。
古民家の雰囲気を出すためか、照明が少々暗すぎるような気がします。

↓にお料理の一部をUP



アルコールのドクターストップをかけられている人がいるため、
「今日はアルコールなしで、お料理を楽しもうね」といった私ですが、
みんなに隠れて、マッサンの「竹鶴」をいただきました。

「竹鶴」は、酒屋の我が家にはもう入ってきません。卸屋さんにもないそうです。
メニュー表を見ると、「竹鶴」の文字と画像が目に入り、
飲みたい気持ちを抑えられなくなってしまいました。


〈おまけの画像〉
クラニスムストアーの友美さんに注文して作ってもらったオリジナルの手さし

   

会津木綿、リバーシブルになってます。
兼業主婦としては、嬉しいデザインで、主婦業をしながらのお店番も楽しいです



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新盆が明けて

2014-08-17 22:26:25 | 家族



約3週間のご無沙汰でした。
お盆前は何かと忙しく、お掃除屋さん、洗濯屋さんは普段通りですが、
内装屋さん、ペンキ屋さん、そして木賃宿のまかない婦に早変わりのてんてこ舞いな日々でした。


13日の薄暮時、写真の高灯篭の下で、義姉妹たちと一緒に迎え火を炊きました。
8、9メートルもの高さのある高灯篭なので、たいへん目立ってます。
仏さまは迷うことなく帰ってきてくれました。

13日から14、15日にかけて親戚、知人、地元の方々などたくさんのお客様がありました。
お陰様で、長時間にわたりお線香が絶えることなく、先祖様も義父母も大変喜んでいると思います。

昨夜から家族3人の静かな生活に戻り、寂しさが一段と増してます。
いまだ嘗て海外旅行の経験のない私ですが、
時差ボケとは多分こんな感じではないかと、
疲れと眠たさと節々の痛さを感じながらの一日を過ごしました。


送り火を炊くのを忘れてしまいましたが、
雨のためにできなかったということで、勝手ながら20日盆まで延期しようと思います。


これでお盆の一連のセレモニーが終了。
盆棚と提灯などの片づけが残っているだけです。
泊りがけでお手伝いしてくれた義姉妹と義弟夫婦、来てくださった多くのお客様に感謝してます。


*auひかりの工事は9月5日に延期となりました*

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法要を終えて

2014-05-11 22:12:56 | 家族



4日は義母の49日と義父の17回忌の法要。
義姉妹など近親者20数名が集まり、好天の中、納骨を無事に済ませ、
その後の会食では義父母の在りし日の話題で大いに盛り上がり、
和やかなうちに散会となりました。

ちょっと残念だったのは、
前々からあんなに「落ち度のないように」と気を使っていたにもかかわらず、
会食会場へ持って行くはずの義父母のお位牌と遺影を忘れてしまったこと。
納骨の後、送迎バスに乗り換えた時に、車の中に忘れてしまったらしい。
私ではなく、夫の仕業です。

新しくできたお位牌、みんなに見てもらいたかったのですけれど、
納骨が済んで、ほっとして肩から力が抜けたからなのかも知れません。


桜、椿、ハナモモ、モクレン、木瓜の季節が去り、
今、我が家の庭には、シャクナゲや藤の花が咲き誇っています。
いずれも義父母が大事に育てていたものです。
義父母のような手入れはできませんが、
きれいに咲いた花々を写真に写してこうして皆様に見ていただければ、
義父母も喜んでくれるんじゃないかと、
そうすることが一番の供養になるんじゃないかと思います。
(昨日10日は義父の命日でした)


↓シャクナゲは種類によってそれぞれで、まだつぼみが固いものも。
   

↓ひときわ甘い匂いを放っている藤の花。
 


↓ツツジやイカリソウも美しい。
  


↓(左)今年もブルーベリーがいっぱい。 (右)ルバーブに花が咲いたのは初めて。
  


そして、私はこのたび携帯の機種変更をしました。
3年弱仲良くしていた携帯を手放し、晴れてスマホを手に入れたのです。

この数カ月間、タブレットにするべきかスマホにするべきか悩んでおりましたが、
タブレットを説明してくれた女性より、
スマホの説明をしてくれた男性の方が、はるかに丁寧で分かりやすかったことが決め手でした。

いつだったか、ラジオで
「アンチエイジングの秘訣は、毎年何か新しいことに挑戦すること」と聞いたので、
今後、これで脳のアンチエイジングを図っていきたいと思います。

只今、スマホで脳トレ中。
電話、メール、フェイスブックの閲覧は何とかできるようになりましたが、
ブログの編集はこれから、まだまだ悪戦苦闘してます。
因みに、この記事はもちろんPCでの編集です

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33年間ありがとう!!

2014-04-01 22:27:56 | 家族

ガーベラ(撮影:2014.3.26)

タイトルの「33年間ありがとう!!」は、義母の棺の中に入れたメッセージの一部です。
納棺当日に咲いた一輪のガーベラも、沢山の花とともに胸元にそっと入れました。


ご無沙汰してました。
3月20日午前9時43分、義母は家族に見守られながら静かに息を引き取り、
安らかな眠りにつきました。

朝方の4時半ごろ、
「何か飲む?」と聞くと、こっくりと頷いたので、
義妹と二人でとろみをつけたポカリスエットをひと匙、口に含ませました。
しかし、もう飲み込む力がありません。
ぐったりうなだれて、それでも瞼を開いてまん丸の大きな目で私の声をたどるかのように
私の方を見ました。
義妹が「お姉さんここにいるよ」と言うと、
再び私の方を見て、何か言いたげでしたが言葉を発することもできず、
このあと間もなく昏睡状態となったのです。


畑仕事が大好きな義母でした。
東日本大震災後に畑から遠ざかり、そのために急激に足が弱り・・・
なので、あの事故がなければもっと長生き出来たんではないかな、なんて思ったりしてます。


告別式の中でエレクトーンの生演奏をしてもらった「知床旅情」は、
義母の大好きな歌でした。
亡くなる数日前にもベッドの傍で歌うと、義母も調子よく首を振り、
一緒に歌っているようでした。
だから、葬儀が終わった今もこの歌を口ずさむと涙が溢れます。


今日は4月1日、エイプリルフールです。
この記事は明日UPすればいいのかもしれませんが、
どうしても区切りのよい今日から再開したいと思いますので…

相変わらず気まぐれでマイペースな更新となりますが、
またどうぞよろしくお願いします。

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