義母が見つけたふきのとうは、ふきのとう味噌に
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職場のある石巻市で被災した仙台市の親友Sさん、
3日間避難所で暮らし、2日間は全く食べ物がなかった。
3日目、幸い車が無事だったし現金もあったので、スーパーへ買い出しに向かい、
途中道路が寸断されたりしてたが、う回路を見つけながらようやく辿り着き、
何と8時間も並んで23、000円もの食料品を買い込み、
避難所のみんなと分けあって食べたと話してくれた。
(その間、仙台の家族や石巻の親戚とは全く連絡が取れず、
今でも二人のお姉さんの行方は分からない)
少しは落ち着いたかな?と思いながら電話をすると、いつもの元気な声が返ってきた。
あれ以来、親戚など13人もで生活していたのだとか。
若い頃からテニスやスキーなどで鍛えていたし、
いまでも里山歩きで足腰を鍛錬している彼女だからこそ、
この試練をなんなく乗り越えられたのかもしれない。
彼女がそんな風に苦しんでいる中、私たち家族はと言うと・・・
断水のためやはり少しの苦労はあったものの、お腹は「はら八分目」に満たされていた。
なるべく水を使わないよう、お皿にはラップを敷いて、
ポリコップと割り箸は、濡れティッシュで拭きながら2,3回使ったり。
ハムや玉子は貴重なたんぱく質源。
富山の薬屋さんのお土産(かまぼこやホタルイカの佃煮)や、
八街市の姉からもらった魚たちも。
昨年暮れにいただいた5箱ものハムのセットがこんなにも役に立つとは。
うわっ、こんなに沢山?と思いながら冷凍していたものが、
工夫次第でいろいろな料理に変身していった。
aさんから戴いた苗で育てた玉ねぎや、
実家からもらって保存していた白菜や山芋やカボチャ等々、
お陰で餓死を免れた。
それから、写真は撮らなかったのだが、地震の数日前からお彼岸用のあんこを作ったり、
お稲荷さん用のあぶらげを煮たり、五目ご飯用の具を煮たり・・・
申告も済んで時間に余裕があったので、こうなることを予想していたかのように
パタパタ働いていたことも記録しておきたい。
↓気が向いた時に写したものをUP
水道が復旧すると、心にゆとりが出て来てデザートも作ったり、
お陰で家族全員風邪もインフルエンザも関係なく、
おまけに、体重は減りもせず増えもせず、現状を維持したままだ。(* ̄∇ ̄*)エヘヘ
早朝の交差点。
ふと見ると・・・ん?!
信号待ちの時に捨てられたものなのか、
コンビニ弁当の食べカスとたばこの吸い殻。
衣食足りて・・・というけれど、礼節を知らない輩がいる。
節度をわきまえた大人になりたいものである。
東北関東大震災県内被害状況(3月30日午後4時現在)
福島県内の死者 1043人 行方不明者 1481人 重軽症者 205人
避難者 88558人 住宅全壊 1118棟
4月8日(金)より「自然酒の古里・田村」(限定品)の発売を開始いたします。
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