メリークリスマス!
昭和55年の記録的な豪雪もクリスマスイブの話です。
「久しぶりにホワイトクリスマスだね~」と喜んだのも束の間でした。
ロマンチックな夢は消え、町中真っ暗なクリスマスになったのです。
例の外車ですか?
それはそれは丁重に扱わせていただきましたよ。
いつ持ち主が戻られても良いように、
降りしきる雪を車に傷がつかないよう静かに払い、
そして、外車の周りもすぐに出やすいように雪かきをして・・・
(5)最終章
完全武装して出て行く夫を、私は2階の窓から見送りました。
雪道を2キロメートル先まで歩いていくには、
相当の時間がかかると予想されます。
こんなわけで、より一層不安が募りました。
私は冷たい布団の中でただ一人まんじりともせず、夫の帰りを待ちました。
テレビも見れないので寝てるしか方法がありません。
どのくらい経ったでしょう?
うとうととしていると、玄関が開き、夫が帰ってきました。
愛車コロナは、ようやく無事に我が家へ帰ってきたのです。
深々と雪の降る真夜中のことでした。
それから3、4日して、道路の雪も駐車場の雪もほとんど消えた頃、
外車の持ち主から車を取りに来る旨の連絡がありました。
そのとき、恥ずかしながらある期待を持つ私がいました。
「いわきの人だから、活きの良いお魚のおみやげがあるかもしれない」
「いわきの名物、じゃんがらでもいいかな~」
電話の内容によると、我が家へ到着する頃はもう暗くなっているはずです。
お出でになったら先ず温かいコタツに入ってもらおう。
熱いお茶を入れてあげよう。
それから、話も聞きたい。
福島から帰る途中にどんなことがあったのか?
何故車を置いて行ったのか?
いわきまでどのようにして帰って行ったのか?
さて、もう辺りは真っ暗です。
街灯も看板の電気も点きませんから本当に真っ暗です。
地元の人なら感で分かりますが、土地勘のない人は何を目標に来るのでしょう。
心配になった私たち夫婦は、軽トラのライトを国道側に向けて
道路を照らしながらその人の到着を待ちました。
私も夫と二人で軽トラの中で待っていましたが、
何か思いつくことがあり、家の中に戻りました。
すると数分して、夫も家に入り玄関の鍵を閉める音がしました。
「あら?どうしたの?」
「うん、帰った」
「ええっ、もう帰ったの?」
実にあっけない幕切れでした。
用意していた温かいコタツもお茶も無駄になってしまいました。
詳しい話も聞けませんでした。
夫は知らない人に対して無愛想です。
私も外にいれば、こんなことにならなかったかもしれません。
中に入ったことが悔やまれましたが、もう後の祭りです。
欲を言えば、
私たち家族にも一言お礼を言ってもらえれば・・・と思いました。
<クイズの解答>
豪雪は膝上までありました。
50センチメートル前後です。
中通り地方には、このような大雪が降ることはめったにありません。
ですから、大雪に対しての備えがないのです。
備えがない故に、50センチメートルぐらいで慌ててしまいます。
備えがない故に、交通が麻痺してしまいます。
電気が点いたのは約一週間後でした。
拙い文章を読んでくださりありがとうございました。
長い間、胸の奥にしまっておいたものを
何らかの形で吐き出したいと思っておりましたが、
ようやくこんな形で表現することが出来ました。
これで、「昭和55年のクリスマス豪雪」は終了です。
皆様の感想をお聞かせいただければ幸せに思います。
P.S
今日は、27年前のクリスマスイブとは違います。
寒さは厳しいですが、雪は降っていません。
そして、嬉しいことにサンタがやってくるような気配がするのです。
我が家では久しぶりのことです。
2006年のクリスマスイブ「Merry Christmas!!」
(4)
一週間電気が点かないということは、
市内全域、一週間のキャンドルナイトみたいなものです。
いえ、キャンドルナイトなら明るい見通しがありますが、
この時は見通しが全くなく、長く暗い生活の始まりでした。
電気が点かない、井戸から動力ポンプで汲み上げている水が出ない。
電気釜でご飯が炊けない。お風呂に入れない。
コタツもファンヒーターも使えない。のないない尽くしです。
暖を取るには、唯一練炭の掘りごたつがありました。
店の棚からは売り切れが続出です。
先ずろうそくが消えました。
懐中電灯や乾電池が消えました。
即席ラーメンが消えました。
菓子パンは、なくならないうちに取っておきました。
夕方、知らない男性が来ました。
「四ツ倉まで帰りたいのだが、車が進まないので泊めてもらえないか」
“○○屋”なら富山の薬屋さんも泊めていることだし、ま、聞いてみな、
と何処かで我が家をすすめられたらしいです。
四ツ倉に行くには国道49号線を真っ直ぐ走り、途中三坂峠を超えなければなりません。この峠越えが結構厳しいのです。そして、いわき市平(たいら)まで一時間ほど、そこから6号線を北上しなければならないのです。
そんな厳しい条件を考えれば、
というか、立ち往生しているのですから泊めないわけには行きません。
しかし、未だ新婚当時のうら若い私には知らないオジサンを泊めるなんて・・・
何が起こるかわからないし、とても不安でした。
家族会議の結果、
二階の座敷ではなく、階下の茶の間で寝てもらうことにして了解しました。
食事はパンとラーメンでした。
この男性、四ツ倉の自動車整備工場の方で、福島まで車検に行った帰りでした。
翌日、雪かきを手伝い、道路が正常に近い状態に戻ってから帰って行きました。
さて、心配事はもう一つ。愛車のコロナ2000GTです。
国道は除雪車が走っているので、少しずつながらも前へ進めますが、
困ったのは横道で、横道に入りたくても入れない車が国道に溢れています。
すぐそこに自宅が見えても入れなくて国道に置き去りにしなければなりません。
誰かが、「コロナが国道に停めてあったよ」と教えてくれました。
なんと我が家の愛車が2キロメートルも先の国道に置き去りにされたのです。
夫は、雪の降る中、一目散に家を飛び出して行きました。
* 次回(5)は最終章の予定です
<おまけ> 在りし日のトヨペットコロナ2000GT
(3)
駐車場に残された名も知らぬ外車に目は白黒、胸はワクワクですが、
恐れ多くてドアに触れることさえ出来ません。
今日はクリスマスイブです。
当時はアイスクリームのデコレーションケーキに人気が殺到し(大げさ?)
メーカーからもらったパンフでデコレーションアイスの注文を受けていました。
家族従業員に「何個の注文をとること」なんてノルマを課したわけではないので、
幸いなことに一桁の(明確に言えばたった一個だけの)受注ということで、
今になって考えてみればこれは大変ラッキーなことで、
私たちは顔を見合わせて苦笑いをしたのでした。
夫は大のアイス好きのIさんのお宅へケーキをぶら下げて歩いて行きました。
約一キロもないので軽トラで行けば片道およそ2分の所ですが、
雪道なので20分位(?)かかったそうです。
夕方になっても雪はやまず、国道は渋滞し、
路線バスは一時間以上も遅れています。
預かった外車は降り続いた雪にすっぽりと埋もれてしまいました。
さあ、心配なのは愛車のコロナです。
今頃どの辺を走っているのでしょう?
この日から一週間、「電気がつかない」「水が出ない」の
2重苦の生活を強いられることになりました。
さて、ここで久々の問題です。
タイトルの「クリスマス豪雪」は、一体どの位積もったのでしょうか?
答えは最終回までに発表いたします。
当選された方には・・・和三盆または中華まんを進呈いたします。
ただし、最近大きなネズミが出没してちょびちょびと手を出していますので、
最終回までには全部なくなるでしょう。
その際は、それらの画像だけで我慢していただきたいと思いますので、
どうぞ悪しからず・・・。
<おまけ> 100万人のキャンドルナイト 2007・12・22 午後8時~10時
2007年6月22日のキャンドルナイト
今日は冬至です。
餡かけの冬至カボチャを作りました。
お風呂は柚子湯にしました。
これで、年末年始を元気に過ごせそうです。
(2)
あっという間に夫の愛車コロナが走り去り、
我が家の駐車場には相応しくない白い外車が残されました。
見たこともない外車に目を白黒、胸はワクワクですが、
しかし、預かった車なので指一本触れることは出来ません。
雪は一向にやむ気配がなく、どんどん積もっていく一方です。
やがて庭の植木や盆栽にも雪が積もり、それはそれは重たそうに見えます。
心配した義父は竹箒でその雪を払い落としております。
さらさらした雪ではなく、水分を含んで霙がかった重たい雪なので、
さつきの大事な枝があっちでもこっちでも折れてしまいました。
暫くして向かいの山から時折「ぽき~~ん」と大きな音がします。
杉の木の枝が折れる音です。
やがてその音はいくつもいくつも連続して聞こえるようになり、
向かいの山に目を移すと、それはまるで塔婆がたったような異様な光景でした。
今日はクリスマス。アイスのデコレーションケーキの注文ももらっています。
夕方までには配達しなければなりません。
<おまけ> 中華まん
明日(22日)は、100万人のキャンドルナイトに参加します。
はじめに
昭和55年のクリスマスイブに、私たちの地方(福島県中通り地方)も近年稀に見る豪雪に見舞われました。
そのことについて記事にすることをあるブログ友と約束してましたが、未だ果たせないまま月日が経ち、今年もまたクリスマスがやってきます。
今日から何回か小分けにして、27年前のクリスマスイブを振り返ってみたいと思いますので、
もしコメントをいただけますなら、最終回にお願いしたいと思います。
(1)
昭和55年12月24日の早朝、目覚めると外は雪でした。
義父は未だ未だ元気で、うっすらと積もった店の前の雪かきをしておりました。
我が家の前には国道49号線(通称にっぺい線 新潟~平)が走っています。
ふと見ると、知らない男性が、店の前にいた夫に話しかけてきました。
「福島市内まで行きたいのだが、自動車のチェーンはないか」と言ってるらしいです。
雪の少ないいわき方面から来る車は、殆どノーマルタイヤです。
夫は、相手の外車を預かり、54年式のトヨペットコロナ2000GTを貸すことにしました。
今考えれば、全く知らない人に自分の車を貸すのはあまりにもお人よし過ぎます。
しかし、家族の誰も反対する者はおりませんでした。
例え知らない人でも、他人のために奉仕することを美徳にさえ思えたのです。
<おまけ> 大好きな和三盆
(記事との関係はありません)