文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

しかし、少なくとも私の研究ではその反対の事実を示す結果を見出している。 

2018年05月04日 18時36分01秒 | 日記

以下は前章の続きである。

学者の思い込みに人工知能で反撃 

この調査で得られた結果は、私の経験則に合致する部分が多い。

筆者は大学時代に理学部で生物化学を学び、大学院では工学系研究科で人工知能に関する研究に取り組んだが、その頃から学問論や科学論について強い関心を持っていた。

それで科学哲学の本を多数読み、関連する研究室の勉強会にも参加したのだが、そこで遭遇したある発言に驚いたことを今でも鮮明に覚えている。 

「これは○○先生が言っているから正しい。」 

権威主義に落胆した瞬間である。

この種の発言は理系の研究室では考えられない。

しかし、この出来事は序章に過ぎなかった。 

大学で教職に就いてから、われわれが受けた教育とは全く別の価値観で動いている「学問」があることを知った。

自然科学においては、できるだけ主観を排して実験結果を解釈するように厳しく訓練される。

当然ながら、政治的配慮で実験結果をいじったり、その解釈を歪めたりすることなど、もってのほかである。

だからこそ、学問は政治から独立していなければならない。

ところが、文系学問の中には、理系の私から見ると、学問をしているのか政治をしているのか見分けがつかないような「学問」が横行していることに気づいた。 

同じ学問を名乗りながら、全く違う規範に基づく活動が行われている。

この混乱を収拾するには、学問の定義から始めなければならない。

そこで2005年に執筆したのが『学問とは何か』(大学教育出版)である。

同著では、人文科学、社会科学、自然科学など、「科学」と名のつく学問は「予測する力を持つ体系的知識」という要件を満たす必要があるとした。

実験結果を都合よく操作するような学問は、当然ながら予測力は持ちえない。 

最近では、小保方女史の研究不正問題をきっかけに、研究倫理が厳しく問われるようになったが、先日、研究倫理の教育推進に関するシンポジウムでまた驚愕のシーンに遭遇した。

医学系出身で長年国立大学の学長を務めた人物が、研究不正が起きる背景として壇上でこう述べたのである。 

「集団思考に陥ると不正が起きる。自民党と一緒である。」 

こういう場で政治的発言をすることの不適切さに気付かない人が、研究倫理教育の中心にいるのかと思うと、暗澹たる気持ちにならざるをえない。 

もちろん、自民党が他党に比べ集団思考に陥っている客観的な証拠があって言っているなら話は別である。

しかし、少なくとも私の研究ではその反対の事実を示す結果を見出している。 

10年前より、筆者らの研究グループでは、文系学問に科学の手法を持ち込むべく、情報工学を用いた文書分析の研究を行っている。

一般には、ビッグ・データ、データ・マイニング、テキスト・マイニングなどと呼ばれる分野である。

その研究の多くはビジネスへの応用を想定しているが、筆者は国会会議録など主に政治に関する文書の分析に取り組んでいる。

その一環として行ったのが、国会での発言がどの党の議員によるものなのかを言い当てる人工知能の作成である「2」。

この稿続く。


こういう場で政治的発言をすることの不適切さに気付かない人が、研究倫理教育の中心にいるのかと思うと、暗澹たる気持ちに

2018年05月04日 18時35分16秒 | 日記

以下は前章の続きである。

学者の思い込みに人工知能で反撃 

この調査で得られた結果は、私の経験則に合致する部分が多い。

筆者は大学時代に理学部で生物化学を学び、大学院では工学系研究科で人工知能に関する研究に取り組んだが、その頃から学問論や科学論について強い関心を持っていた。

それで科学哲学の本を多数読み、関連する研究室の勉強会にも参加したのだが、そこで遭遇したある発言に驚いたことを今でも鮮明に覚えている。 

「これは○○先生が言っているから正しい。」 

権威主義に落胆した瞬間である。

この種の発言は理系の研究室では考えられない。

しかし、この出来事は序章に過ぎなかった。 

大学で教職に就いてから、われわれが受けた教育とは全く別の価値観で動いている「学問」があることを知った。

自然科学においては、できるだけ主観を排して実験結果を解釈するように厳しく訓練される。

当然ながら、政治的配慮で実験結果をいじったり、その解釈を歪めたりすることなど、もってのほかである。

だからこそ、学問は政治から独立していなければならない。

ところが、文系学問の中には、理系の私から見ると、学問をしているのか政治をしているのか見分けがつかないような「学問」が横行していることに気づいた。 

同じ学問を名乗りながら、全く違う規範に基づく活動が行われている。

この混乱を収拾するには、学問の定義から始めなければならない。

そこで2005年に執筆したのが『学問とは何か』(大学教育出版)である。

同著では、人文科学、社会科学、自然科学など、「科学」と名のつく学問は「予測する力を持つ体系的知識」という要件を満たす必要があるとした。

実験結果を都合よく操作するような学問は、当然ながら予測力は持ちえない。 

最近では、小保方女史の研究不正問題をきっかけに、研究倫理が厳しく問われるようになったが、先日、研究倫理の教育推進に関するシンポジウムでまた驚愕のシーンに遭遇した。

医学系出身で長年国立大学の学長を務めた人物が、研究不正が起きる背景として壇上でこう述べたのである。 

「集団思考に陥ると不正が起きる。自民党と一緒である。」 

こういう場で政治的発言をすることの不適切さに気付かない人が、研究倫理教育の中心にいるのかと思うと、暗澹たる気持ちにならざるをえない。 

もちろん、自民党が他党に比べ集団思考に陥っている客観的な証拠があって言っているなら話は別である。

しかし、少なくとも私の研究ではその反対の事実を示す結果を見出している。 

10年前より、筆者らの研究グループでは、文系学問に科学の手法を持ち込むべく、情報工学を用いた文書分析の研究を行っている。

一般には、ビッグ・データ、データ・マイニング、テキスト・マイニングなどと呼ばれる分野である。

その研究の多くはビジネスへの応用を想定しているが、筆者は国会会議録など主に政治に関する文書の分析に取り組んでいる。

その一環として行ったのが、国会での発言がどの党の議員によるものなのかを言い当てる人工知能の作成である「2」。

この稿続く。


医学系出身で長年国立大学の学長を務めた人物が、研究不正が起きる背景として壇上でこう述べたのである。 

2018年05月04日 18時33分41秒 | 日記

以下は前章の続きである。

学者の思い込みに人工知能で反撃 

この調査で得られた結果は、私の経験則に合致する部分が多い。

筆者は大学時代に理学部で生物化学を学び、大学院では工学系研究科で人工知能に関する研究に取り組んだが、その頃から学問論や科学論について強い関心を持っていた。

それで科学哲学の本を多数読み、関連する研究室の勉強会にも参加したのだが、そこで遭遇したある発言に驚いたことを今でも鮮明に覚えている。 

「これは○○先生が言っているから正しい。」 

権威主義に落胆した瞬間である。

この種の発言は理系の研究室では考えられない。

しかし、この出来事は序章に過ぎなかった。 

大学で教職に就いてから、われわれが受けた教育とは全く別の価値観で動いている「学問」があることを知った。

自然科学においては、できるだけ主観を排して実験結果を解釈するように厳しく訓練される。

当然ながら、政治的配慮で実験結果をいじったり、その解釈を歪めたりすることなど、もってのほかである。

だからこそ、学問は政治から独立していなければならない。

ところが、文系学問の中には、理系の私から見ると、学問をしているのか政治をしているのか見分けがつかないような「学問」が横行していることに気づいた。 

同じ学問を名乗りながら、全く違う規範に基づく活動が行われている。

この混乱を収拾するには、学問の定義から始めなければならない。

そこで2005年に執筆したのが『学問とは何か』(大学教育出版)である。

同著では、人文科学、社会科学、自然科学など、「科学」と名のつく学問は「予測する力を持つ体系的知識」という要件を満たす必要があるとした。

実験結果を都合よく操作するような学問は、当然ながら予測力は持ちえない。 

最近では、小保方女史の研究不正問題をきっかけに、研究倫理が厳しく問われるようになったが、先日、研究倫理の教育推進に関するシンポジウムでまた驚愕のシーンに遭遇した。

医学系出身で長年国立大学の学長を務めた人物が、研究不正が起きる背景として壇上でこう述べたのである。 

「集団思考に陥ると不正が起きる。自民党と一緒である。」 

こういう場で政治的発言をすることの不適切さに気付かない人が、研究倫理教育の中心にいるのかと思うと、暗澹たる気持ちにならざるをえない。 

もちろん、自民党が他党に比べ集団思考に陥っている客観的な証拠があって言っているなら話は別である。

しかし、少なくとも私の研究ではその反対の事実を示す結果を見出している。 

10年前より、筆者らの研究グループでは、文系学問に科学の手法を持ち込むべく、情報工学を用いた文書分析の研究を行っている。

一般には、ビッグ・データ、データ・マイニング、テキスト・マイニングなどと呼ばれる分野である。

その研究の多くはビジネスへの応用を想定しているが、筆者は国会会議録など主に政治に関する文書の分析に取り組んでいる。

その一環として行ったのが、国会での発言がどの党の議員によるものなのかを言い当てる人工知能の作成である「2」。

この稿続く。


最近では、小保方女史の研究不正問題をきっかけに、研究倫理が厳しく問われるようになったが、

2018年05月04日 18時32分53秒 | 日記

以下は前章の続きである。

学者の思い込みに人工知能で反撃 

この調査で得られた結果は、私の経験則に合致する部分が多い。

筆者は大学時代に理学部で生物化学を学び、大学院では工学系研究科で人工知能に関する研究に取り組んだが、その頃から学問論や科学論について強い関心を持っていた。

それで科学哲学の本を多数読み、関連する研究室の勉強会にも参加したのだが、そこで遭遇したある発言に驚いたことを今でも鮮明に覚えている。 

「これは○○先生が言っているから正しい。」 

権威主義に落胆した瞬間である。

この種の発言は理系の研究室では考えられない。

しかし、この出来事は序章に過ぎなかった。 

大学で教職に就いてから、われわれが受けた教育とは全く別の価値観で動いている「学問」があることを知った。

自然科学においては、できるだけ主観を排して実験結果を解釈するように厳しく訓練される。

当然ながら、政治的配慮で実験結果をいじったり、その解釈を歪めたりすることなど、もってのほかである。

だからこそ、学問は政治から独立していなければならない。

ところが、文系学問の中には、理系の私から見ると、学問をしているのか政治をしているのか見分けがつかないような「学問」が横行していることに気づいた。 

同じ学問を名乗りながら、全く違う規範に基づく活動が行われている。

この混乱を収拾するには、学問の定義から始めなければならない。

そこで2005年に執筆したのが『学問とは何か』(大学教育出版)である。

同著では、人文科学、社会科学、自然科学など、「科学」と名のつく学問は「予測する力を持つ体系的知識」という要件を満たす必要があるとした。

実験結果を都合よく操作するような学問は、当然ながら予測力は持ちえない。 

最近では、小保方女史の研究不正問題をきっかけに、研究倫理が厳しく問われるようになったが、先日、研究倫理の教育推進に関するシンポジウムでまた驚愕のシーンに遭遇した。

医学系出身で長年国立大学の学長を務めた人物が、研究不正が起きる背景として壇上でこう述べたのである。 

「集団思考に陥ると不正が起きる。自民党と一緒である。」 

こういう場で政治的発言をすることの不適切さに気付かない人が、研究倫理教育の中心にいるのかと思うと、暗澹たる気持ちにならざるをえない。 

もちろん、自民党が他党に比べ集団思考に陥っている客観的な証拠があって言っているなら話は別である。

しかし、少なくとも私の研究ではその反対の事実を示す結果を見出している。 

10年前より、筆者らの研究グループでは、文系学問に科学の手法を持ち込むべく、情報工学を用いた文書分析の研究を行っている。

一般には、ビッグ・データ、データ・マイニング、テキスト・マイニングなどと呼ばれる分野である。

その研究の多くはビジネスへの応用を想定しているが、筆者は国会会議録など主に政治に関する文書の分析に取り組んでいる。

その一環として行ったのが、国会での発言がどの党の議員によるものなのかを言い当てる人工知能の作成である「2」。

この稿続く。


人文科学、社会科学、自然科学など、「科学」と名のつく学問は「予測する力を持つ体系的知識」という要件を満たす必要がある

2018年05月04日 18時31分57秒 | 日記

以下は前章の続きである。

学者の思い込みに人工知能で反撃 

この調査で得られた結果は、私の経験則に合致する部分が多い。

筆者は大学時代に理学部で生物化学を学び、大学院では工学系研究科で人工知能に関する研究に取り組んだが、その頃から学問論や科学論について強い関心を持っていた。

それで科学哲学の本を多数読み、関連する研究室の勉強会にも参加したのだが、そこで遭遇したある発言に驚いたことを今でも鮮明に覚えている。 

「これは○○先生が言っているから正しい。」 

権威主義に落胆した瞬間である。

この種の発言は理系の研究室では考えられない。

しかし、この出来事は序章に過ぎなかった。 

大学で教職に就いてから、われわれが受けた教育とは全く別の価値観で動いている「学問」があることを知った。

自然科学においては、できるだけ主観を排して実験結果を解釈するように厳しく訓練される。

当然ながら、政治的配慮で実験結果をいじったり、その解釈を歪めたりすることなど、もってのほかである。

だからこそ、学問は政治から独立していなければならない。

ところが、文系学問の中には、理系の私から見ると、学問をしているのか政治をしているのか見分けがつかないような「学問」が横行していることに気づいた。 

同じ学問を名乗りながら、全く違う規範に基づく活動が行われている。

この混乱を収拾するには、学問の定義から始めなければならない。

そこで2005年に執筆したのが『学問とは何か』(大学教育出版)である。

同著では、人文科学、社会科学、自然科学など、「科学」と名のつく学問は「予測する力を持つ体系的知識」という要件を満たす必要があるとした。

実験結果を都合よく操作するような学問は、当然ながら予測力は持ちえない。 

最近では、小保方女史の研究不正問題をきっかけに、研究倫理が厳しく問われるようになったが、先日、研究倫理の教育推進に関するシンポジウムでまた驚愕のシーンに遭遇した。

医学系出身で長年国立大学の学長を務めた人物が、研究不正が起きる背景として壇上でこう述べたのである。 

「集団思考に陥ると不正が起きる。自民党と一緒である。」 

こういう場で政治的発言をすることの不適切さに気付かない人が、研究倫理教育の中心にいるのかと思うと、暗澹たる気持ちにならざるをえない。 

もちろん、自民党が他党に比べ集団思考に陥っている客観的な証拠があって言っているなら話は別である。

しかし、少なくとも私の研究ではその反対の事実を示す結果を見出している。 

10年前より、筆者らの研究グループでは、文系学問に科学の手法を持ち込むべく、情報工学を用いた文書分析の研究を行っている。

一般には、ビッグ・データ、データ・マイニング、テキスト・マイニングなどと呼ばれる分野である。

その研究の多くはビジネスへの応用を想定しているが、筆者は国会会議録など主に政治に関する文書の分析に取り組んでいる。

その一環として行ったのが、国会での発言がどの党の議員によるものなのかを言い当てる人工知能の作成である「2」。

この稿続く。


文系学問の中には、理系の私から見ると、学問をしているのか政治をしているのか見分けがつかないような「学問」が横行していることに

2018年05月04日 18時30分57秒 | 日記

以下は前章の続きである。

学者の思い込みに人工知能で反撃 

この調査で得られた結果は、私の経験則に合致する部分が多い。

筆者は大学時代に理学部で生物化学を学び、大学院では工学系研究科で人工知能に関する研究に取り組んだが、その頃から学問論や科学論について強い関心を持っていた。

それで科学哲学の本を多数読み、関連する研究室の勉強会にも参加したのだが、そこで遭遇したある発言に驚いたことを今でも鮮明に覚えている。 

「これは○○先生が言っているから正しい。」 

権威主義に落胆した瞬間である。

この種の発言は理系の研究室では考えられない。

しかし、この出来事は序章に過ぎなかった。 

大学で教職に就いてから、われわれが受けた教育とは全く別の価値観で動いている「学問」があることを知った。

自然科学においては、できるだけ主観を排して実験結果を解釈するように厳しく訓練される。

当然ながら、政治的配慮で実験結果をいじったり、その解釈を歪めたりすることなど、もってのほかである。

だからこそ、学問は政治から独立していなければならない。

ところが、文系学問の中には、理系の私から見ると、学問をしているのか政治をしているのか見分けがつかないような「学問」が横行していることに気づいた。 

同じ学問を名乗りながら、全く違う規範に基づく活動が行われている。

この混乱を収拾するには、学問の定義から始めなければならない。

そこで2005年に執筆したのが『学問とは何か』(大学教育出版)である。

同著では、人文科学、社会科学、自然科学など、「科学」と名のつく学問は「予測する力を持つ体系的知識」という要件を満たす必要があるとした。

実験結果を都合よく操作するような学問は、当然ながら予測力は持ちえない。 

最近では、小保方女史の研究不正問題をきっかけに、研究倫理が厳しく問われるようになったが、先日、研究倫理の教育推進に関するシンポジウムでまた驚愕のシーンに遭遇した。

医学系出身で長年国立大学の学長を務めた人物が、研究不正が起きる背景として壇上でこう述べたのである。 

「集団思考に陥ると不正が起きる。自民党と一緒である。」 

こういう場で政治的発言をすることの不適切さに気付かない人が、研究倫理教育の中心にいるのかと思うと、暗澹たる気持ちにならざるをえない。 

もちろん、自民党が他党に比べ集団思考に陥っている客観的な証拠があって言っているなら話は別である。

しかし、少なくとも私の研究ではその反対の事実を示す結果を見出している。 

10年前より、筆者らの研究グループでは、文系学問に科学の手法を持ち込むべく、情報工学を用いた文書分析の研究を行っている。

一般には、ビッグ・データ、データ・マイニング、テキスト・マイニングなどと呼ばれる分野である。

その研究の多くはビジネスへの応用を想定しているが、筆者は国会会議録など主に政治に関する文書の分析に取り組んでいる。

その一環として行ったのが、国会での発言がどの党の議員によるものなのかを言い当てる人工知能の作成である「2」。

この稿続く。


当然ながら、政治的配慮で実験結果をいじったり、その解釈を歪めたりすることなど、もってのほかである。

2018年05月04日 18時29分51秒 | 日記

以下は前章の続きである。

学者の思い込みに人工知能で反撃 

この調査で得られた結果は、私の経験則に合致する部分が多い。

筆者は大学時代に理学部で生物化学を学び、大学院では工学系研究科で人工知能に関する研究に取り組んだが、その頃から学問論や科学論について強い関心を持っていた。

それで科学哲学の本を多数読み、関連する研究室の勉強会にも参加したのだが、そこで遭遇したある発言に驚いたことを今でも鮮明に覚えている。 

「これは○○先生が言っているから正しい。」 

権威主義に落胆した瞬間である。

この種の発言は理系の研究室では考えられない。

しかし、この出来事は序章に過ぎなかった。 

大学で教職に就いてから、われわれが受けた教育とは全く別の価値観で動いている「学問」があることを知った。

自然科学においては、できるだけ主観を排して実験結果を解釈するように厳しく訓練される。

当然ながら、政治的配慮で実験結果をいじったり、その解釈を歪めたりすることなど、もってのほかである。

だからこそ、学問は政治から独立していなければならない。

ところが、文系学問の中には、理系の私から見ると、学問をしているのか政治をしているのか見分けがつかないような「学問」が横行していることに気づいた。 

同じ学問を名乗りながら、全く違う規範に基づく活動が行われている。

この混乱を収拾するには、学問の定義から始めなければならない。

そこで2005年に執筆したのが『学問とは何か』(大学教育出版)である。

同著では、人文科学、社会科学、自然科学など、「科学」と名のつく学問は「予測する力を持つ体系的知識」という要件を満たす必要があるとした。

実験結果を都合よく操作するような学問は、当然ながら予測力は持ちえない。 

最近では、小保方女史の研究不正問題をきっかけに、研究倫理が厳しく問われるようになったが、先日、研究倫理の教育推進に関するシンポジウムでまた驚愕のシーンに遭遇した。

医学系出身で長年国立大学の学長を務めた人物が、研究不正が起きる背景として壇上でこう述べたのである。 

「集団思考に陥ると不正が起きる。自民党と一緒である。」 

こういう場で政治的発言をすることの不適切さに気付かない人が、研究倫理教育の中心にいるのかと思うと、暗澹たる気持ちにならざるをえない。 

もちろん、自民党が他党に比べ集団思考に陥っている客観的な証拠があって言っているなら話は別である。

しかし、少なくとも私の研究ではその反対の事実を示す結果を見出している。 

10年前より、筆者らの研究グループでは、文系学問に科学の手法を持ち込むべく、情報工学を用いた文書分析の研究を行っている。

一般には、ビッグ・データ、データ・マイニング、テキスト・マイニングなどと呼ばれる分野である。

その研究の多くはビジネスへの応用を想定しているが、筆者は国会会議録など主に政治に関する文書の分析に取り組んでいる。

その一環として行ったのが、国会での発言がどの党の議員によるものなのかを言い当てる人工知能の作成である「2」。

この稿続く。


大学で教職に就いてから、われわれが受けた教育とは全く別の価値観で動いている「学問」があることを知った。

2018年05月04日 18時28分43秒 | 日記

以下は前章の続きである。

学者の思い込みに人工知能で反撃 

この調査で得られた結果は、私の経験則に合致する部分が多い。

筆者は大学時代に理学部で生物化学を学び、大学院では工学系研究科で人工知能に関する研究に取り組んだが、その頃から学問論や科学論について強い関心を持っていた。

それで科学哲学の本を多数読み、関連する研究室の勉強会にも参加したのだが、そこで遭遇したある発言に驚いたことを今でも鮮明に覚えている。 

「これは○○先生が言っているから正しい。」 

権威主義に落胆した瞬間である。

この種の発言は理系の研究室では考えられない。

しかし、この出来事は序章に過ぎなかった。 

大学で教職に就いてから、われわれが受けた教育とは全く別の価値観で動いている「学問」があることを知った。

自然科学においては、できるだけ主観を排して実験結果を解釈するように厳しく訓練される。

当然ながら、政治的配慮で実験結果をいじったり、その解釈を歪めたりすることなど、もってのほかである。

だからこそ、学問は政治から独立していなければならない。

ところが、文系学問の中には、理系の私から見ると、学問をしているのか政治をしているのか見分けがつかないような「学問」が横行していることに気づいた。 

同じ学問を名乗りながら、全く違う規範に基づく活動が行われている。

この混乱を収拾するには、学問の定義から始めなければならない。

そこで2005年に執筆したのが『学問とは何か』(大学教育出版)である。

同著では、人文科学、社会科学、自然科学など、「科学」と名のつく学問は「予測する力を持つ体系的知識」という要件を満たす必要があるとした。

実験結果を都合よく操作するような学問は、当然ながら予測力は持ちえない。 

最近では、小保方女史の研究不正問題をきっかけに、研究倫理が厳しく問われるようになったが、先日、研究倫理の教育推進に関するシンポジウムでまた驚愕のシーンに遭遇した。

医学系出身で長年国立大学の学長を務めた人物が、研究不正が起きる背景として壇上でこう述べたのである。 

「集団思考に陥ると不正が起きる。自民党と一緒である。」 

こういう場で政治的発言をすることの不適切さに気付かない人が、研究倫理教育の中心にいるのかと思うと、暗澹たる気持ちにならざるをえない。 

もちろん、自民党が他党に比べ集団思考に陥っている客観的な証拠があって言っているなら話は別である。

しかし、少なくとも私の研究ではその反対の事実を示す結果を見出している。 

10年前より、筆者らの研究グループでは、文系学問に科学の手法を持ち込むべく、情報工学を用いた文書分析の研究を行っている。

一般には、ビッグ・データ、データ・マイニング、テキスト・マイニングなどと呼ばれる分野である。

その研究の多くはビジネスへの応用を想定しているが、筆者は国会会議録など主に政治に関する文書の分析に取り組んでいる。

その一環として行ったのが、国会での発言がどの党の議員によるものなのかを言い当てる人工知能の作成である「2」。

この稿続く。


学者としてというよりも、教育者として、さらには人として問題がある。それを大量の大学教員が公然と行っているのである

2018年05月04日 18時10分08秒 | 日記

以下は5/1に発売された月刊誌「正論」に、受験生も保護者も必読!大学政治偏向ランキング、数値化で分かった意外な傾向とは?学者の政治活動を徹底批判、と題して掲載された、近来稀に見る労作と言っても過言ではない筑波大学准教授掛谷英紀氏の見事な論文からである。

自分が知性を持った人間であると思っている日本国民全員は、今すぐ、最寄りの書店に購読に向かうべきだろう。

活字が読める日本国民全員の必読の論文である。

見出し以外の文中強調と*~*は私。

学問は政治から独立していなければならない。

このテーゼに表立って反対する人はまずいないだろう。

しかし、現実には学者がその肩書を使って、自ら進んで政治にコミットすることも少なくない。

それを象徴するのが、2015年の「安全保障関連法に反対する学者の会」である。

安保法制が国会で成立した際、反対・抗議する学者たちが名を連ねた多分に政治的な団体だが、筆者は、これに署名した人の所属機関と専門とする学問分野を集計すれば、学問の政治バイアスを定量化できると考えた。

以下に、筆者らが行った調査内容【1】について紹介する。 

われわれは、「安全保障関連法に反対する学者の会」に、201561120時から同年9249時までの期間に署名した14261名の学者について、所属する大学や専門分野にどのような傾向があるのかを調査した。

署名者の一覧をホームページより入手し、名誉教授および現役の教員を集計の対象とした。

署名の際に所属大学等を記載しなかった人については、大学名の政治利用はないので集計の対象から除外した。 

右の基準で集計した結果、868の機関に所属する9409名のデータが得られた。

表1は所属大学の上位30位までのリストである。

この30大学中、国公立大学が3分の2を占めている。

しかしながら国公立大学は一般に教員数が多く、実数が大きいことがその大学の政治バイアスの大きさをそのまま表しているとはいえない。

「安保反対の会」の署名トップは東大、比率は立教 

*この見出しを見ただけで、頷いた人も少なくないはずである。わざわざ国連にまで出向いて従軍慰安婦について、慰安婦ではない性奴隷だなどと噴飯物の事を得意げに発言して、朝鮮半島と中国の全体主義たちの反日プロパガンダに格好の材料を提供したのが当時日弁連の要職に在った戸塚悦朗は立教大学の卒業生だからである。*

そこで署名者実数が上位75位までに入る大学に絞って、201551日現在、各大学に所属する教員数を各大学のサイトから入手し、全教員数に占める署名した教員の比率を調べた。

なお母数とした教員数は、専任教員の教授、准教授、講師、助教、助手の合計としている。この基準で得られた大学別比率を次のページの表2に示す。 

1位の立教大学、3位の佛教大学をはじめとして、宗教系の大学が上位に多いことが分かる。

宗教系の大学は、その性質上、学問の価値中立が希薄になりやすいことは、ある意味自然なことかもしれない。

その一方で、東京外国語大学や一橋大学、福島大学などの国立大学も上位に位置していることは注目に値する。

*やたらに笑顔を振りまいてごまかしてはいるが、明らかに自虐史観と似非モラリズムの持ち主であるNHKwatch9の司会者である桑子は上記の東京外国語大学卒業…実態は北朝鮮党のスパイだったと言っても全く過言ではない元朝日新聞記者で、あのこれ以上ないほどに言語道断な北朝鮮の工作員たちが関係した女性国際戦犯法廷の主催者である松井やよりの後輩でもある* 

分子にだけ名誉教授を含み、分母には含まないため正確な比率ではないものの(署名者数のうち名誉教授は約1割)、概算で2割を超える教員が署名している大学が8校、1割を超える教員が署名している大学が75校中31校にも上ることは、現在の日本の大学において、学問の政治からの独立を放棄する動きがいかに深刻化しているかを示している。 

次に、署名者の数を専門分野別に集計したうちの上位20の分野を右の表3に示す。

文系学問が上位を占める中で、理系からは物理学、数学、生物学がランクインしている。

理系のうち、工学、農学などの実学は上位に入っていない。 

憲法学は17位の94名である。

この点について署名が公表された当時、この問題の専門である憲法学者はほとんどいないことへの揶揄がネットを中心に多く見られた。しかし、その批判はピントがずれている。

法学者がすべきは、この法案にはこういう問題がある、法案のこの部分を変えるとその問題は解消される、現状を放置するとこういう問題が残るといった学問的議論である。

その上で個人的にはこの法案に賛成・反対と述べるぐらいなら許容範囲であろう。

しかし、個人としてではなく法学者の肩書で政治運動に署名するのは、明らかに学問の政治的独立を棄損する行為である。 

安保法制について法学以外の学者として署名することには、学問の政治的独立の観点以外でも問題がある。

たとえば、私は安保法制についてある程度は勉強しているが、さすがに学者の肩書でそれについて意見することは畏れ多くてできない。ある分野について詳しいからといって、学者の権威を振りかざして、あらゆることについて自分が一般の人より正しい判断ができるという不遜な態度を示すことは、学者としてというよりも、教育者として、さらには人として問題がある。

それを大量の大学教員が公然と行っているのである。

中でも最も多いのが教育学の教員であるというのも皮肉である。

この稿続く。


安保法制について法学以外の学者として署名することには、学問の政治的独立の観点以外でも問題がある。

2018年05月04日 18時06分56秒 | 日記

以下は5/1に発売された月刊誌「正論」に、受験生も保護者も必読!大学政治偏向ランキング、数値化で分かった意外な傾向とは?学者の政治活動を徹底批判、と題して掲載された、近来稀に見る労作と言っても過言ではない筑波大学准教授掛谷英紀氏の見事な論文からである。

自分が知性を持った人間であると思っている日本国民全員は、今すぐ、最寄りの書店に購読に向かうべきだろう。

活字が読める日本国民全員の必読の論文である。

見出し以外の文中強調と*~*は私。

学問は政治から独立していなければならない。

このテーゼに表立って反対する人はまずいないだろう。

しかし、現実には学者がその肩書を使って、自ら進んで政治にコミットすることも少なくない。

それを象徴するのが、2015年の「安全保障関連法に反対する学者の会」である。

安保法制が国会で成立した際、反対・抗議する学者たちが名を連ねた多分に政治的な団体だが、筆者は、これに署名した人の所属機関と専門とする学問分野を集計すれば、学問の政治バイアスを定量化できると考えた。

以下に、筆者らが行った調査内容【1】について紹介する。 

われわれは、「安全保障関連法に反対する学者の会」に、201561120時から同年9249時までの期間に署名した14261名の学者について、所属する大学や専門分野にどのような傾向があるのかを調査した。

署名者の一覧をホームページより入手し、名誉教授および現役の教員を集計の対象とした。

署名の際に所属大学等を記載しなかった人については、大学名の政治利用はないので集計の対象から除外した。 

右の基準で集計した結果、868の機関に所属する9409名のデータが得られた。

表1は所属大学の上位30位までのリストである。

この30大学中、国公立大学が3分の2を占めている。

しかしながら国公立大学は一般に教員数が多く、実数が大きいことがその大学の政治バイアスの大きさをそのまま表しているとはいえない。

「安保反対の会」の署名トップは東大、比率は立教 

*この見出しを見ただけで、頷いた人も少なくないはずである。わざわざ国連にまで出向いて従軍慰安婦について、慰安婦ではない性奴隷だなどと噴飯物の事を得意げに発言して、朝鮮半島と中国の全体主義たちの反日プロパガンダに格好の材料を提供したのが当時日弁連の要職に在った戸塚悦朗は立教大学の卒業生だからである。*

そこで署名者実数が上位75位までに入る大学に絞って、201551日現在、各大学に所属する教員数を各大学のサイトから入手し、全教員数に占める署名した教員の比率を調べた。

なお母数とした教員数は、専任教員の教授、准教授、講師、助教、助手の合計としている。この基準で得られた大学別比率を次のページの表2に示す。 

1位の立教大学、3位の佛教大学をはじめとして、宗教系の大学が上位に多いことが分かる。

宗教系の大学は、その性質上、学問の価値中立が希薄になりやすいことは、ある意味自然なことかもしれない。

その一方で、東京外国語大学や一橋大学、福島大学などの国立大学も上位に位置していることは注目に値する。

*やたらに笑顔を振りまいてごまかしてはいるが、明らかに自虐史観と似非モラリズムの持ち主であるNHKwatch9の司会者である桑子は上記の東京外国語大学卒業…実態は北朝鮮党のスパイだったと言っても全く過言ではない元朝日新聞記者で、あのこれ以上ないほどに言語道断な北朝鮮の工作員たちが関係した女性国際戦犯法廷の主催者である松井やよりの後輩でもある* 

分子にだけ名誉教授を含み、分母には含まないため正確な比率ではないものの(署名者数のうち名誉教授は約1割)、概算で2割を超える教員が署名している大学が8校、1割を超える教員が署名している大学が75校中31校にも上ることは、現在の日本の大学において、学問の政治からの独立を放棄する動きがいかに深刻化しているかを示している。 

次に、署名者の数を専門分野別に集計したうちの上位20の分野を右の表3に示す。

文系学問が上位を占める中で、理系からは物理学、数学、生物学がランクインしている。

理系のうち、工学、農学などの実学は上位に入っていない。 

憲法学は17位の94名である。

この点について署名が公表された当時、この問題の専門である憲法学者はほとんどいないことへの揶揄がネットを中心に多く見られた。しかし、その批判はピントがずれている。

法学者がすべきは、この法案にはこういう問題がある、法案のこの部分を変えるとその問題は解消される、現状を放置するとこういう問題が残るといった学問的議論である。

その上で個人的にはこの法案に賛成・反対と述べるぐらいなら許容範囲であろう。

しかし、個人としてではなく法学者の肩書で政治運動に署名するのは、明らかに学問の政治的独立を棄損する行為である。 

安保法制について法学以外の学者として署名することには、学問の政治的独立の観点以外でも問題がある。

たとえば、私は安保法制についてある程度は勉強しているが、さすがに学者の肩書でそれについて意見することは畏れ多くてできない。ある分野について詳しいからといって、学者の権威を振りかざして、あらゆることについて自分が一般の人より正しい判断ができるという不遜な態度を示すことは、学者としてというよりも、教育者として、さらには人として問題がある。

それを大量の大学教員が公然と行っているのである。

中でも最も多いのが教育学の教員であるというのも皮肉である。

この稿続く。


法学者がすべきは、この法案にはこういう問題がある、法案のこの部分を変えるとその問題は解消される、

2018年05月04日 18時03分40秒 | 日記

以下は5/1に発売された月刊誌「正論」に、受験生も保護者も必読!大学政治偏向ランキング、数値化で分かった意外な傾向とは?学者の政治活動を徹底批判、と題して掲載された、近来稀に見る労作と言っても過言ではない筑波大学准教授掛谷英紀氏の見事な論文からである。

自分が知性を持った人間であると思っている日本国民全員は、今すぐ、最寄りの書店に購読に向かうべきだろう。

活字が読める日本国民全員の必読の論文である。

見出し以外の文中強調と*~*は私。

学問は政治から独立していなければならない。

このテーゼに表立って反対する人はまずいないだろう。

しかし、現実には学者がその肩書を使って、自ら進んで政治にコミットすることも少なくない。

それを象徴するのが、2015年の「安全保障関連法に反対する学者の会」である。

安保法制が国会で成立した際、反対・抗議する学者たちが名を連ねた多分に政治的な団体だが、筆者は、これに署名した人の所属機関と専門とする学問分野を集計すれば、学問の政治バイアスを定量化できると考えた。

以下に、筆者らが行った調査内容【1】について紹介する。 

われわれは、「安全保障関連法に反対する学者の会」に、201561120時から同年9249時までの期間に署名した14261名の学者について、所属する大学や専門分野にどのような傾向があるのかを調査した。

署名者の一覧をホームページより入手し、名誉教授および現役の教員を集計の対象とした。

署名の際に所属大学等を記載しなかった人については、大学名の政治利用はないので集計の対象から除外した。 

右の基準で集計した結果、868の機関に所属する9409名のデータが得られた。

表1は所属大学の上位30位までのリストである。

この30大学中、国公立大学が3分の2を占めている。

しかしながら国公立大学は一般に教員数が多く、実数が大きいことがその大学の政治バイアスの大きさをそのまま表しているとはいえない。

「安保反対の会」の署名トップは東大、比率は立教 

*この見出しを見ただけで、頷いた人も少なくないはずである。わざわざ国連にまで出向いて従軍慰安婦について、慰安婦ではない性奴隷だなどと噴飯物の事を得意げに発言して、朝鮮半島と中国の全体主義たちの反日プロパガンダに格好の材料を提供したのが当時日弁連の要職に在った戸塚悦朗は立教大学の卒業生だからである。*

そこで署名者実数が上位75位までに入る大学に絞って、201551日現在、各大学に所属する教員数を各大学のサイトから入手し、全教員数に占める署名した教員の比率を調べた。

なお母数とした教員数は、専任教員の教授、准教授、講師、助教、助手の合計としている。この基準で得られた大学別比率を次のページの表2に示す。 

1位の立教大学、3位の佛教大学をはじめとして、宗教系の大学が上位に多いことが分かる。

宗教系の大学は、その性質上、学問の価値中立が希薄になりやすいことは、ある意味自然なことかもしれない。

その一方で、東京外国語大学や一橋大学、福島大学などの国立大学も上位に位置していることは注目に値する。

*やたらに笑顔を振りまいてごまかしてはいるが、明らかに自虐史観と似非モラリズムの持ち主であるNHKwatch9の司会者である桑子は上記の東京外国語大学卒業…実態は北朝鮮党のスパイだったと言っても全く過言ではない元朝日新聞記者で、あのこれ以上ないほどに言語道断な北朝鮮の工作員たちが関係した女性国際戦犯法廷の主催者である松井やよりの後輩でもある* 

分子にだけ名誉教授を含み、分母には含まないため正確な比率ではないものの(署名者数のうち名誉教授は約1割)、概算で2割を超える教員が署名している大学が8校、1割を超える教員が署名している大学が75校中31校にも上ることは、現在の日本の大学において、学問の政治からの独立を放棄する動きがいかに深刻化しているかを示している。 

次に、署名者の数を専門分野別に集計したうちの上位20の分野を右の表3に示す。

文系学問が上位を占める中で、理系からは物理学、数学、生物学がランクインしている。

理系のうち、工学、農学などの実学は上位に入っていない。 

憲法学は17位の94名である。

この点について署名が公表された当時、この問題の専門である憲法学者はほとんどいないことへの揶揄がネットを中心に多く見られた。しかし、その批判はピントがずれている。

法学者がすべきは、この法案にはこういう問題がある、法案のこの部分を変えるとその問題は解消される、現状を放置するとこういう問題が残るといった学問的議論である。

その上で個人的にはこの法案に賛成・反対と述べるぐらいなら許容範囲であろう。

しかし、個人としてではなく法学者の肩書で政治運動に署名するのは、明らかに学問の政治的独立を棄損する行為である。 

安保法制について法学以外の学者として署名することには、学問の政治的独立の観点以外でも問題がある。

たとえば、私は安保法制についてある程度は勉強しているが、さすがに学者の肩書でそれについて意見することは畏れ多くてできない。ある分野について詳しいからといって、学者の権威を振りかざして、あらゆることについて自分が一般の人より正しい判断ができるという不遜な態度を示すことは、学者としてというよりも、教育者として、さらには人として問題がある。

それを大量の大学教員が公然と行っているのである。

中でも最も多いのが教育学の教員であるというのも皮肉である。

この稿続く。


宗教系の大学は、その性質上、学問の価値中立が希薄になりやすいことは、ある意味自然なことかもしれない。

2018年05月04日 17時59分23秒 | 日記

以下は5/1に発売された月刊誌「正論」に、受験生も保護者も必読!大学政治偏向ランキング、数値化で分かった意外な傾向とは?学者の政治活動を徹底批判、と題して掲載された、近来稀に見る労作と言っても過言ではない筑波大学准教授掛谷英紀氏の見事な論文からである。

自分が知性を持った人間であると思っている日本国民全員は、今すぐ、最寄りの書店に購読に向かうべきだろう。

活字が読める日本国民全員の必読の論文である。

見出し以外の文中強調と*~*は私。

学問は政治から独立していなければならない。

このテーゼに表立って反対する人はまずいないだろう。

しかし、現実には学者がその肩書を使って、自ら進んで政治にコミットすることも少なくない。

それを象徴するのが、2015年の「安全保障関連法に反対する学者の会」である。

安保法制が国会で成立した際、反対・抗議する学者たちが名を連ねた多分に政治的な団体だが、筆者は、これに署名した人の所属機関と専門とする学問分野を集計すれば、学問の政治バイアスを定量化できると考えた。

以下に、筆者らが行った調査内容【1】について紹介する。 

われわれは、「安全保障関連法に反対する学者の会」に、201561120時から同年9249時までの期間に署名した14261名の学者について、所属する大学や専門分野にどのような傾向があるのかを調査した。

署名者の一覧をホームページより入手し、名誉教授および現役の教員を集計の対象とした。

署名の際に所属大学等を記載しなかった人については、大学名の政治利用はないので集計の対象から除外した。 

右の基準で集計した結果、868の機関に所属する9409名のデータが得られた。

表1は所属大学の上位30位までのリストである。

この30大学中、国公立大学が3分の2を占めている。

しかしながら国公立大学は一般に教員数が多く、実数が大きいことがその大学の政治バイアスの大きさをそのまま表しているとはいえない。

「安保反対の会」の署名トップは東大、比率は立教 

*この見出しを見ただけで、頷いた人も少なくないはずである。わざわざ国連にまで出向いて従軍慰安婦について、慰安婦ではない性奴隷だなどと噴飯物の事を得意げに発言して、朝鮮半島と中国の全体主義たちの反日プロパガンダに格好の材料を提供したのが当時日弁連の要職に在った戸塚悦朗は立教大学の卒業生だからである。*

そこで署名者実数が上位75位までに入る大学に絞って、201551日現在、各大学に所属する教員数を各大学のサイトから入手し、全教員数に占める署名した教員の比率を調べた。

なお母数とした教員数は、専任教員の教授、准教授、講師、助教、助手の合計としている。この基準で得られた大学別比率を次のページの表2に示す。 

1位の立教大学、3位の佛教大学をはじめとして、宗教系の大学が上位に多いことが分かる。

宗教系の大学は、その性質上、学問の価値中立が希薄になりやすいことは、ある意味自然なことかもしれない。

その一方で、東京外国語大学や一橋大学、福島大学などの国立大学も上位に位置していることは注目に値する。

*やたらに笑顔を振りまいてごまかしてはいるが、明らかに自虐史観と似非モラリズムの持ち主であるNHKwatch9の司会者である桑子は上記の東京外国語大学卒業…実態は北朝鮮党のスパイだったと言っても全く過言ではない元朝日新聞記者で、あのこれ以上ないほどに言語道断な北朝鮮の工作員たちが関係した女性国際戦犯法廷の主催者である松井やよりの後輩でもある* 

分子にだけ名誉教授を含み、分母には含まないため正確な比率ではないものの(署名者数のうち名誉教授は約1割)、概算で2割を超える教員が署名している大学が8校、1割を超える教員が署名している大学が75校中31校にも上ることは、現在の日本の大学において、学問の政治からの独立を放棄する動きがいかに深刻化しているかを示している。 

次に、署名者の数を専門分野別に集計したうちの上位20の分野を右の表3に示す。

文系学問が上位を占める中で、理系からは物理学、数学、生物学がランクインしている。

理系のうち、工学、農学などの実学は上位に入っていない。 

憲法学は17位の94名である。

この点について署名が公表された当時、この問題の専門である憲法学者はほとんどいないことへの揶揄がネットを中心に多く見られた。しかし、その批判はピントがずれている。

法学者がすべきは、この法案にはこういう問題がある、法案のこの部分を変えるとその問題は解消される、現状を放置するとこういう問題が残るといった学問的議論である。

その上で個人的にはこの法案に賛成・反対と述べるぐらいなら許容範囲であろう。

しかし、個人としてではなく法学者の肩書で政治運動に署名するのは、明らかに学問の政治的独立を棄損する行為である。 

安保法制について法学以外の学者として署名することには、学問の政治的独立の観点以外でも問題がある。

たとえば、私は安保法制についてある程度は勉強しているが、さすがに学者の肩書でそれについて意見することは畏れ多くてできない。ある分野について詳しいからといって、学者の権威を振りかざして、あらゆることについて自分が一般の人より正しい判断ができるという不遜な態度を示すことは、学者としてというよりも、教育者として、さらには人として問題がある。

それを大量の大学教員が公然と行っているのである。

中でも最も多いのが教育学の教員であるというのも皮肉である。

この稿続く。


Il vaut mieux le voir comme

2018年05月04日 16時28分31秒 | 日記

Ce qui suit est la suite du chapitre précédent.
Journal gouverné par le GQG
Takayama
Si vous êtes dans la position opposée à l'idéologie de votre adversaire, vous avez terminé. Hasegawa
Pourtant, avec une telle compréhension, cela a été d'une manière ou d'une autre, probablement parce que le gouvernement du PLD était long.
Takayama
Le Parti libéral-démocrate était si soulagé qu'il faisait de la politique stable quoi qu'il ait dit (rire).
Hasegawa
Alors pourquoi le journalisme gauchiste est-il devenu soudainement inutile depuis le rapport Morikake?
La raison fondamentale est que le parti d'opposition (Parti démocratique progressiste / Parti communiste) qui lutte contre le régime est devenu inutile, je pense.
En parlant de ce que je veux dire, «ni les gens ni les journalistes gauchers ne pensent que« le changement de gouvernement se produit maintenant »(rires).
Les journalistes de gauche sont donc convaincus que «nous allons poursuivre l'administration pour un parti d'opposition inutile».
En d'autres termes, ils entrent à moitié dans la zone de conflit politique.
Son symbole est le Reporter Mochizuki Isoko de Tokyo Shimbun.
Plutôt que le journalisme, c'est le mouvement gouvernemental anti-Abe
Ce qu'elle fait est loin plutôt que du journalisme, c'est le mouvement gouvernemental anti-Abe.
Elle se définit comme «un régime de combat de journaliste».
Il vaut mieux le voir comme un «activiste» plutôt que comme un journaliste qui transmet des faits.
Tout en portant un masque de journaliste, elle agit avec l'intention politique de «battre l'administration Abe».
Ce n'est pas limité au journaliste Mochizuki.
Beaucoup de journalistes de gauche sont en fait la même idée.
L'article de M. Komori Yoshihisa dans le numéro de Janvier de ce magazine
«Il est tombé ici la« sottise »d'Asahi Shimbun,« la sottise », cette série de biographies ridicules, morbides et obscènes.« Nous ne détestons pas l'administration Abe, nous ne pardonnerons pas », et c'est leur point de départ.
Takayama
Tout le monde grignote (rire).
Ce projet continue.


Es mejor verlo como un "activista" que como un periodista que transmite hechos.

2018年05月04日 16時27分56秒 | 日記

La siguiente es la continuación del capítulo anterior.
Periódico gobernado por GHQ
Takayama
Si te paras en la posición opuesta a la ideología de tu oponente, has terminado. Hasegawa
Aún así, con tal entendimiento ha sido de alguna manera u otra, probablemente porque el gobierno del PLD fue largo.
Takayama
El Partido Liberal Democrático estaba tan aliviado que estaba haciendo una política estable sin importar lo que dijera (risas).
Hasegawa
Entonces, ¿por qué el periodismo de izquierda de repente se volvió inútil desde el informe Morikake?
La razón fundamental es que el partido de la oposición (Partido Democrático Progresista / Partido Comunista) que lucha contra el régimen se ha vuelto inútil, creo.
Hablando de lo que quiero decir, "ni las personas ni los periodistas zurdos piensan que" ahora se produce el cambio de gobierno "(risas).
Así que los periodistas de izquierda están convencidos de que "vamos a perseguir a la administración por un partido de oposición inútil".
En otras palabras, están entrando a la mitad del área de conflicto político.
Su símbolo es el reportero Mochizuki Isoko de Tokyo Shimbun.
En lugar de periodismo, es el movimiento del gobierno Anti-Abe
Lo que está haciendo es mucho más que un periodismo, es el movimiento del gobierno Anti-Abe.
Ella se define a sí misma como "un régimen de lucha de periodistas".
Es mejor verlo como un "activista" que como un periodista que transmite hechos.
Mientras usa una máscara de reportero, ella está actuando con una intención política de 'vencer a la administración de Abe'.
Esto no se limita al reportero de Mochizuki.
Muchos de los periodistas de izquierda son en realidad la misma idea.
El artículo del Sr. Komori Yoshihisa en el número de enero de esta revista
'Cayó aquí La' estúpida 'serie de biografías de Asahi Shimbun' ridícula, morónica y lujuriosa 'fue muy interesante, en resumen:' No nos desagrada la administración de Abe, no vamos a perdonar ', y este es su punto de partida.
Takayama
Todos están discutiendo (risas).
Este borrador continúa.


Es ist besser, es als einen "Aktivisten" zu sehen, als einen Reporter, der Fakten vermittelt.

2018年05月04日 16時27分17秒 | 日記

Das Folgende ist die Fortsetzung des vorherigen Kapitels.
Zeitung von der GHQ regiert
Takayama
Wenn Sie in der entgegengesetzten Position von der Ideologie Ihres Gegners stehen, sind Sie fertig. Hasegawa
Dennoch, mit einem solchen Verständnis war es irgendwie oder anders, wahrscheinlich weil die LDP-Regierung lange war.
Takayama
Die Liberaldemokratische Partei war so erleichtert, dass er eine stabile Politik machte, egal was er sagte (lacht).
Hasegawa
Warum wurde der linke Journalismus seit dem Morikake-Bericht plötzlich nutzlos?
Der Hauptgrund ist, dass die Oppositionspartei (Demokratische Progressive Partei / Kommunistische Partei), die gegen das Regime kämpft, nutzlos geworden ist, denke ich.
Apropos, was ich meine, "weder die Leute noch die Linkshänder denken, dass der Regierungswechsel jetzt stattfindet" (lacht).
So sind linke Journalisten überzeugt: "Wir werden die Regierung für nutzlose Oppositionsparteien verfolgen."
Mit anderen Worten, sie betreten die Hälfte des politischen Konflikts.
Sein Symbol ist Reporter Mochizuki Isoko von Tokyo Shimbun.
Anstatt Journalismus ist es eine Anti-Abe-Regierungsbewegung
Was sie macht, ist weit mehr als Journalismus, es ist Anti-Abe-Regierungsbewegung.
Sie definiert sich selbst als "ein Kampfregime für Journalisten".
Es ist besser, es als einen "Aktivisten" zu sehen, als einen Reporter, der Fakten vermittelt.
Während sie die Maske eines Reporters trägt, handelt sie mit der politischen Absicht, die Abe-Regierung zu schlagen.
Dies ist nicht auf Mochizuki-Reporter beschränkt.
Viele der linken Journalisten sind eigentlich die gleiche Idee.
Der Artikel von Herrn Komori Yoshihisa in der Januar-Nummer dieses Magazins
"Es war hier Asahi Shimbun 'lächerlich, schwachsinnig, unzüchtige Person Reporter Reihe von Biografien" war wirklich interessant, kurz gesagt: "Wir mögen die Abe-Administration nicht, wir werden nicht vergeben", und das ist ihr Ausgangspunkt.
Takayama
Jeder quatscht (lacht).
Dieser Entwurf wird fortgesetzt.