以下は前章の続きである。
野党の「文書改竄批判」は皮相的
―日本で扇動が幅を利かせやすくなっている背景には何かあるのでしょうか?
高井 私はマスコミの影響が大きいと思います。
マスコミは事実を国民に伝えることで民主主義社会を支えてきたのですが、最近はそうした責任を軽視しているように思えます。
実際、朝日新聞が誤りを認めた慰安婦報道などの影響で、少なくない数の国民が「マスコミは自分たちに都合の良い事実だけを知らせているのではないか」と不信感を抱くようになっています。
国民が「事実を知る手段がない」と思うようになると、扇動はますます幅を利かせやすくなるでしょう。
また、マスコミと共に国民から「正しい事実を伝えてくれている」と頼られていた検察も、厚生労働省の村木厚子元局長の無罪が確定した証拠改竄を機に国民の信を失いました。
事実を解明すべき検察と、事実を国民に知らせるべきマスコミへの信頼が地に落ちている現状は、まさに「ゲッベルス」を生みやすく、とても危険だと思います。
突き詰めて考えると、民主主義にとっては、マスコミの扇動的な報道を鵜呑みにする人が増えることも危険だし、逆に扇動的な報道によってマスコミ不信が強まり過ぎることも危険だということです。
扇動は独裁者を生みかねません。
マスコミの一部に「視聴率が上がるならば少しくらい扇動してもいいや」という安直な考えがあるとしたら、そのような無責任な姿勢が国民の理性を麻痺させ、それに乗じる「モンスター」を誕生させてしまうかもしれないという危機感を持つべきだと思います。
マスコミが生み出した独裁者にマスコミ自身が食べられてしまう、つまり、倒されてしまうことも考えられます。
だからこそ、マスコミはあくまで正確な事実を国民に伝えることを重視し、権力をいかに批判するかは国民の理性的判断に委ねるべきだと思います。
-『正論』2017年10月号のインタビューで、モーリー・ロバートソンさんが同じような懸念を示されていましたが、政治家やマスコミが扇動の危険性を自覚しているようには見えません。
高井 非常に深刻だと思いますね。
野党は決裁文書書き換えについて「民主主義の危機だ」「民主主義に対する挑戦だ」などと言っていますが、本質を外していると思います。
もっとも心配すべきは「このまま国民の感情・情緒に訴えるという手法が一般化していくと、日本にモンスターが生まれてしまうのではないか」ということです。
実際、世界を見渡せば“独裁者”が跋扈する時代を迎えつつあるように見えます。
マスコミの世論調査を見る限り、扇動的に訴えてきた野党の支持率は上がっていませんが、一方で、「支持政党なし」という層が増えています。
つまり、政党政治そのものに対する信頼が揺らいでいるという見方もできる。
それこそが「民主主義の危機」と言うべきではないかと思います。