以下は前章の続きである。
http://2006530.blog69.fc2.com/?m&no=357から。
『小泉純一郎と日本の病理』 藤原肇
●ロンドン大学留学は単なる「遊学」にすぎなかった
前文省略
小泉の「留学疑惑」は、「レイプ疑惑」を考慮しなければ、実に単純なものだった。
要するに、各種のデータに相違点が多すぎたのである。
興信データ社刊の『人事興信録』では、「1968(昭和43)年ロンドン大政経学部に留学」とあり、東京大学出版会刊の『日本近現代人物履歴事典』では、「1967(昭和42)年7月ロンドン大・政治学部留学」となっていて、1年もズレている。
さらに、小泉事務所は、「首相は慶応大卒業後の1967年から、父親の急死で衆院選に初出馬する1969年までロンドン大学政治経済学部に留学していた」と説明しているのだから、これを確定する必要があった。
もちろん、これは当事者であり、日本の最大の公人である首相本人の最低限の義務minimum duty である。
したがって、この件で力を発揮したのは週刊誌メディアであり、とくに『週刊ポスト』は再三にわたって追及し、2004年2月9日号の記事で、「小泉首相がロンドン大に学生として登録されていたのは1968年から69年6月20日まで」と確定させた。
つまり、彼が1967年に離日したとすれば、ほぼ1年間「遊学」した後にロンドン大学に行ったことになる。
しかも、そのロンドン大学留学もまた、「留学」 ではなく、ただの「遊学」であって、政治家が履歴書に書けるような代物ではなかった。
『週刊ポスト』(2004年2月27日号と3月5日号)が下した結論は、次のようなものである。
く小泉首相が初挑戦した1969年12月の衆院選挙の際の選挙公報、初当選した1972年12月の衆院選挙の選挙公報に届出されていた小泉首相の履歴は、「慶応大学卒。ロンドン大学政治経済学部留学」とあるが、これは★虚偽記載に当たる。なぜなら、ロンドン大学(UCL、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン)には政治経済学部はないからである。ロンドン大にはいくつかのカレッジがあり、政治経済学部といえば、一般的にロンドン大学政治経済学院を指し、優秀な学生が集まることで知られているが、小泉首相が在籍したのはここではない。小泉首相は、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(ロンドン大)の経済学部に1年足らず聴講生のような形で遊学していただけにすぎない。〉
ここまで書かれれば、そして、これが事実で常識がある人間なら、虚偽を認めて謝るのが普通である。
しかし、小泉がしたことは驚くべき破廉恥なことであった。
すでに、読者は承知しているだろうが、彼はロンドン大学(UCL)のマルコム・グラント学長Prof・Malcom Grant を日本に招いて会見させ、「小泉首相は正式の学位degreeを取る学生ではなかったが、1960年に与えられた外国人留学生intemational student向けの単位を取っていた」「小泉首相は伊藤博文以来、わが校出身の2人目の日本の首相だ。ぜひ、名誉教授になってほしい」などと言わせたのである。
もし、心あるジャーナリストが日本に存在するなら、小泉事務所がロンドン大学に対して、どれほどのコントリビューションcontribution(ワイロ)をしたのかを調べてほしい。
この稿続く。