以下は前章の続きである。
第二章 自虐史観はいかに発揮されたか
世紀日本の歴史学』永原慶二 平成15年 吉田弘文館 『戦争犯罪論』横田喜三郎著:昭和22年有斐閣 98ページ
■ 政府は慰安婦問題も南京虐殺問題も「なかった」と断言せよ
日本を非難する論調には、「日本は慰安婦の強制連行はなかったと言うが、そんな証拠はないのだから強制連行はあったに違いない」という類の議論が多い。
'なかったという証拠はないから、あったに違いない'というのは、論理学でいう「未知論証(AdIgnorntiam)」といって、 全くの誤りである。
たしかに論理的には「あることが無かった」ことを完全に証明するのは「悪魔の証明」(Probatio Diabolica)と言って著しく困難である。
無かったことを証明するためには、世の中の森羅万象の全てを調べ尽くさなければならないが、そんなことは不可能だからだ。
しかし、「背理法」(Reductio Absurdum帰謬法ともいう)では 、AとBの双方が同時に存在することは絶対にあり得ないという前提が証明できれば、“Aが存在する”ことを証明することにより、“Bが存在しない”ことを証明することが出来る。
それでは間接的だから証明にならないという意見があるが、これは正統な論理による立派な証明だ。
日本政府も「慰安婦の強制連行があったという事実は“確認できなかった”」などと自信なさそうに言うのではなくて、はっきりと「事実無根である」と断言すべきである。