関心空域 ━━ す⊃ぽんはむの日記

元「関心空間」の日記(引っ越し後バージョン)です♪

日本で廃(すた)れてしまった動詞=『斫る|ハツる』について、ナンでメジャーな言葉になり損なったか^^;考えてみた。

2012年01月12日 | 日記
現代社会で、わたしたちが使い慣わしている動詞表現は、千年の歳月を生き長らえたり、千年余のうちに生み出されてきた日本語たちの「なれの果て」です。

当然、その熾烈な?サバイバルに勝ち抜けず、「廃れて(=つまり朽ちて、葬られて、忘れ去られて)しまった」動詞表現も数えきれないほど存在したワケですね。

きょうは、その「絶滅に瀕した動詞」のなかから、『はつる』について見てみましょう。


『はつる(斫る)』は、石器や青銅器の華やかなりし頃、狩猟民のなかで生まれた動詞表現です。現代語で置き換えるなら、「削ぎ取る」とか「裂きほぐす」といったところ。捕えた獲物の毛皮をむしったり、岩肌を叩き砕いて(武器や調理具の原材料としての)石材を得るときに用いました。

元々が、戦いに明け暮れた漢民族には馴染みでも、草食系の農耕民だった(近世以降の)日本人には「しっくりこない」動詞だった、と言えるかも?しれません。とりわけ、戦乱の止んだ江戸時代において急速に!「疎遠なコトバ」になっていったであろうことは、容易に想像がつきます。

現代では「はつる」を「けずる(削る)」と翻訳する言語学者もおりますが、その解釈は大いに疑問です。

なぜなら、「はつる」場合、本体から細かく削り取った小片こそが「生活の糧」になります。獣の皮を「はつって」毛皮に、火に炙った肉片を「はつって」口に運び、むさぼり喰うのです。それが「削る」では、削り残された本体の側が「生活の糧」。細かく削り出した小片は、単なる「削りクズ」として棄てられてしまいます^^; そーゆう行為は通常、「はつる」とは言い表わせなかったでしょう。


そう考えてくると、江戸の太平記に次第に使われなくなった「はつる」が、明治以降に擡げてきた「増産、増産、使い捨て」の風潮のなかで、決定的なまでにその「言語生命」を奪われていったのかなあ? という気もしないではありませんねえ。 ※ 逆に、炭鉱町では盛んに使われていたかも?

きょうびの「はつる」は、わずかに土木建設業界においてのみ、「はつり工事」などという用法で今も言い継がれています。【※補註】 明治~昭和中期までは、まだまだ日本人に「リサイクル」という生活本能が息づいていましたから、旧い家屋の土壁や土塀を砕き壊したあとには、そこから再度、新しい家の壁土を練る原料を採り出していました。

その名残として、今日でも(コンクリート壁をエアーピックなどで突き砕く際などに)「はつる」という動詞表現を使います。ですが多くの場合、それで散り積もった砕片の方は(リサイクルされず)廃棄されているのですから、ぶっちゃけ、コトバ本来の意味合いからしたら「正しくない用法だよ」とも言えますわねー^^; 

ちなみに、(そもそもは狩猟民たる)英語圏の市民の間では、「はつる」という意味合いに「PULL(引く、剥ぐ)という動詞を宛てます。




たとえば、日本では豚肉の切り分けにブロック、スライス、バラ、こま切れ、ミンチ・・・といった捌(さば)きかたをしますよね。でも欧米では(薄くスライスにするよりは)「プルド」にする、という加工法が広く行き渡っています。この「プルド(Pulled)」というのが、ローストしたポークの「裂きほぐし肉」を言い表わしているのですな。ま~さに!これぞ、古来からの日本語で言うところの「はつり肉」っ^^;。

(感覚からコトバ、コトバから)食風習への伝承も絡んで、なかなか興味深い事象だなァ と、あらためて感じ入るばかりです。

【補註】関心空間内の(糞袋さんからの)コメントがきっかけで、今も西日本には同音異義の動詞「はつる(※張る、の意)」が広く普及していることが判明しました。標準語としての『斫る』が根づかなかった要因のひとつには、こうした類似音の方言に比して「利用度で劣り、次第に通用しなくなっていった」?せいもあるのかもしれません。
=了=
コメント
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