きょうは珍しく、書籍関係の話を。平成末の日本では もっぱら"『グリンチ』の原作者 "…として知られる、アメリカの絵本作家ドクター・スース(Dr.Seuss)。折しもアニメ版の『グリンチ』も公開中で、今また「話題の人」でもある。
ところで自分には(7歳くらい年上の)従姉に、英語力に長け(ついには英語通訳の資格を持つに至る)才女🎵がおり、彼女の影響でか?わたしが小学6年生ぐらいの時分、親らに「ウチの子にも、やがて習う英語のために」との思い入れを惹起させた。その結果、氏の代表作を含む「アメリカの絵本セット全20冊」みたいな❔某社の企画通販品を(割賦払いまでしてもらい)買い与えられた。もう半世紀近く前の話なので、米国直輸入のそれらは装丁も(最新刷の同書ほど)立派な紙を使っておらず、当時の日本円で1冊あたり換算、600円くらいだったかと思う。
ところが自分、アメリカナイズされたそれら作画の筆さばきばかりに惹かれ、ただただページを繰っては「見ふける」だけ。たしか簡便な単語レベルの対訳テキストも付いてたと記憶するが、それを足掛かりに和文に訳して意味を噛み砕こう、という意欲は終ぞ見せぬまま高校受験の年代にまで過ごしてしまった。
結果、親が「これはもう(おまえには)要らないね」と見切りを付け、親類だったか(年下の子がいる)親しいご近所だったかに全冊、セットで譲ってしまった。それっきり40年余、ドクター・スースの絵に触れることもなかった。
ところが、だ。 ローティーンの頃に接した環境、憶えた記憶というのは、中高年になってからジワジワと脳裡に擡(もた)げてくる。ついつい、今さらのように呼び戻せるモノなら今一度ぉぉ、と贅沢な渇望を抱き始める。スースの絵本(英字の原本)も、また然り。いつものごとくAmazonで価格ウォッチを始め、ホンの200円ほど売価が下がったタイミングで「えいやァ❕」とカート決済に進んでしまった。さすがに、今の値段で20冊も新刷本を買う余力は中年ニートに無い。購入したのはスース代表作から5冊を厳選したビギナーズ・ボックスである。
5冊のなかで、やはり抜きん出て印象深いのは(ヘッダー画像に掲げた)スース代表作にして児童本作家活動の至高到達点──『ザ・キャット・イン・ザ・ハット』である。日本での書名は単に『キャット・イン・ザ・ハット』で通ってるようだ。幼い兄妹が雨の日に(ふたり+ペットの金魚1匹だけで)留守番してたら、おふざけの大好きな「帽子をかぶった猫」が突然、ドアを開け入ってきて……という荒唐無稽なストーリー。45年経っても、全ページ「見たことがある」と断言できるほど毎ページの絵は "まんま" 細部まで憶えていた。絵本の洗脳力おそるべし❕❕である。
それもそれだし、一方、やはり愛着のある作品は(ひと世代置いてでも)読み返してみるものである。この程度の基本的な英語なら「辞書なしで意味を読み取れる」今になって眺め渡すと、あらためて「その特筆すべき部分」に気づかされたり、感服することも多かった。
そのひとつは…
われらがスース先生。文筆家なのだから「文系のアタマ」をお持ちなのだろう、とばかり思ってた。 が、いや意外に「理系の発想」で創作される御仁なのでは❔…と思えてきた。
理由(ワケ)は、文字と挿絵に「数量的な相関性を持たせてる」から。言葉で説明するのは難しいので、当『キャット・イン・ザ・ハット』の14ページ目から19ページまでの「見開き3枚」に渡るストーリー展開で例証してみよう。
ご覧の絵本の「左半分、右半分」を対照させて見ていただきたい。
「押しかけ猫」が家にあった品々を次々に手にし、玉乗り芸で(語り手である幼い兄妹に)面白いだろ?とアピールし始める。持ってく品数が徐々に増し、見せてる曲芸はますますトリッキーになってゆく。
そのヴィジュアルな様子を(対応する各)左ページでは、ていねいに1点1点、単度をつないで語り合わしている。「本を持った、傘を持った、金魚鉢を持った」ではなく、「本を持った」→「本と傘を持った」→「本と傘と、傘の上に金魚鉢も持った」と、説明に費やす文字量が(目に映ってる猫の曲芸が難度を増すのに従い)比例して次々、増えてゆく❕んである。
その、並べる文字使いの律義さ。理路整然さ。
「本を持った、傘も持った」と断片的にさえ書けば「(猫は)本も傘も両方 持った」んだろ……と(実態の全容把握は)行間に託すのが「文系アタマ」。 だが氏は断じて⚡そうではない。
おそらくスース先生は、「いっぱいの言葉を使えば、それだけいっぱいの内容が相手に伝えられるよ。スゴいよスゴいっ」と読んでる子供(の意識下)に伝えたくて、こういう表現を採っていたのだ。「言葉を集めて並べてみせること」難しく言えば「言語表現を豊かにすべく心がけること」、それは「この猫が演ってる超パフォーマンス」に匹敵するほどCOOLで、周りを愉快にさせられる【人生プレイの技術(わざ)】なんだぜ🎵、と。
子どもが、楽しんで勉強する大人へと育つこと。それは世界じゅうの親や教師らが希求する、至上の命題だろう。
ドクター・スースは、この崇高な難題に「理系な分析脳」で向かい合い、解決に近づけるためのメソッドとして「新次元の絵本」を模索した。『キャット・イン・ザ・ハット』自体を描き始めた直接のきっかけは50年代、偉大な戦勝国でありながらアメリカ国民の識字率は(東側の共産諸国を含む)ヨーロッパ圏に比べ低いまま。これで先進国のつもりか、というショッキングな新聞記事を目にした事だったと言う。
このままじゃイケない、その忸怩(じくじ)たる思い。そこから這い出すべく放った《斬新で意欲的な試み》は実際にアメリカ児童の感受性や好奇心を刺激し、閉塞感のあったアメリカ幼児教育界に一定のブレイクスルーをもたらしたに違いない。その広範な(米社会全体への)波及業績を想うとき、さしもの日本で言えば、氏は「手塚治虫に優るとも劣らぬ偉人」でいらしたのだな、と思わずには居られない。
などと評したら、氏のお生まれは1904年3月。手塚氏より24年半、実にふた周り超も先を生きた御方であり、先達に対し「いささか失礼な物言い」なのかも
ついでに言うと(チラっと触れた通り)『キャット・イン・ザ・ハット』は、氏の一連の作家活動では「後期」作。実に53歳にして発表した、スース・ワールド円熟期のベストセラー絵本である。ぼっと出に光った若き感性より、長年の学究の集積をベースとして成し得たヒット作品であったことが、その著作時期からも存分に窺がえる。
2019年3月10日、エチオピア航空302便墜落事故の現場に散乱する遺品の中にも「スース本」が。
Dr. Seuss`s Beginner's Book at Ethiopian Airlines Flight 302 crash-site. (March 10, 2019)
Dr. Seuss`s Beginner's Book at Ethiopian Airlines Flight 302 crash-site. (March 10, 2019)
国民的な絵本ゆえ、ハリウッド映画の中でさえ、さり気なく「スース本」が登場する。
©1991 幸せの向こう側(Walt Disney Studios Home Entertainment)
©1991 幸せの向こう側(Walt Disney Studios Home Entertainment)
2016年のTV映画『The Cat in the Hat Knows a Lot About Halloween!』……あいにく日本じゃDVD化すらされてないようだが、キャット・イン・ザ・ハットの(2次元の)世界観を守ったまま動画アニメ化してて、違和感なく楽しめた。皆さまも機会あれば、ぜひ🎵
タグ:児童教育,英語教育,学習意欲を育てる,幼児教育,実用英語,楽しんで学ぶ,3才からの英語
=了=
この話題の関連記事:
- 野沢直子のサバプロ(1989年) - 関心空域 す⊃ぽんはむの日記