彼女との出会いは、小学校高学年の頃でした。
家が近かったので、
小学生の時は、毎日のように彼女の家に遊びに行き、
彼女のお母さんや妹とも仲良くさせていただいていました。
中学生になると、クラスも別になり、
高校は違う学校に進んだので、
その頃から、ほとんど会う事はありませんでした。
私は高校卒業後、独り暮らしを始め、
社会人になったある日、
ふっと彼女のことを思い出し、
ただただ懐かしさのあまり、彼女の家に電話をかけました。
電話に出た彼女のお母さんに、彼女が在宅かどうか尋ねると、
お母さんは、
ちょっと間を置いて、こう言いました。
「あの娘は、2年前に亡くなったの。ごめんなさいね。」
私は、頭が真っ白になって、
すいませんでした、と言って、そのまま電話を切ってしまいました。
当時、20歳を少し過ぎた頃でした。
どんなことがあっても自分は死なない、なんて、
勝手な、何の根拠もない自信でいっぱいの頃でした。
私は、受話器を置いた瞬間、泣きました。
号泣、・・・そんな泣き方でした。
彼女は、病死でした。
体が弱い、と聞いていたんですが、
心臓が元々弱かったのです。
でも、私は、
「私がもっと早く連絡を取っていれば・・・。」
と思い込んでしまったんです。
私がもっと早く連絡を取っていたとしても、
事実は変わらなかった。
でも、彼女の苦しみ、悲しみ、
どうしようもならない運命への憤りを、
私が少しでも聞いてあげられていたら。
私は、友人の死を、
2年も経って知った自分の薄情さに嫌気がさしました。
私はその後、何年も経ってから、
彼女のお母さん宛に、手紙を書きました。
自分の近況報告と、そして、自分なりの、懺悔のつもりでした。
彼女のお母さんから、返事は来ませんでした。
でも私は、その年に、
彼女のお母さん宛に、年賀状を出しました。
故人の友人の家に、年賀状を出すことに抵抗があったんですが、
私はこのまま終わらせたくない一心でした。
数日して、
彼女のお母さんから、年賀状が届きました。
「体に気をつけて、お仕事がんばってね。」
そう、書き添えてありました。
それから毎年、彼女のお母さんの名前で、
年賀状が届くようになりました。
家が近かったので、
小学生の時は、毎日のように彼女の家に遊びに行き、
彼女のお母さんや妹とも仲良くさせていただいていました。
中学生になると、クラスも別になり、
高校は違う学校に進んだので、
その頃から、ほとんど会う事はありませんでした。
私は高校卒業後、独り暮らしを始め、
社会人になったある日、
ふっと彼女のことを思い出し、
ただただ懐かしさのあまり、彼女の家に電話をかけました。
電話に出た彼女のお母さんに、彼女が在宅かどうか尋ねると、
お母さんは、
ちょっと間を置いて、こう言いました。
「あの娘は、2年前に亡くなったの。ごめんなさいね。」
私は、頭が真っ白になって、
すいませんでした、と言って、そのまま電話を切ってしまいました。
当時、20歳を少し過ぎた頃でした。
どんなことがあっても自分は死なない、なんて、
勝手な、何の根拠もない自信でいっぱいの頃でした。
私は、受話器を置いた瞬間、泣きました。
号泣、・・・そんな泣き方でした。
彼女は、病死でした。
体が弱い、と聞いていたんですが、
心臓が元々弱かったのです。
でも、私は、
「私がもっと早く連絡を取っていれば・・・。」
と思い込んでしまったんです。
私がもっと早く連絡を取っていたとしても、
事実は変わらなかった。
でも、彼女の苦しみ、悲しみ、
どうしようもならない運命への憤りを、
私が少しでも聞いてあげられていたら。
私は、友人の死を、
2年も経って知った自分の薄情さに嫌気がさしました。
私はその後、何年も経ってから、
彼女のお母さん宛に、手紙を書きました。
自分の近況報告と、そして、自分なりの、懺悔のつもりでした。
彼女のお母さんから、返事は来ませんでした。
でも私は、その年に、
彼女のお母さん宛に、年賀状を出しました。
故人の友人の家に、年賀状を出すことに抵抗があったんですが、
私はこのまま終わらせたくない一心でした。
数日して、
彼女のお母さんから、年賀状が届きました。
「体に気をつけて、お仕事がんばってね。」
そう、書き添えてありました。
それから毎年、彼女のお母さんの名前で、
年賀状が届くようになりました。