サンプルと同じ部屋にいた1人が、私たちのいる部屋に入って来て、こう言った。
「用意が整いました。」
私が軽くうなづくと、それを見て、1人がガラス越しに、隣の部屋にいる仲間に合図を送った。
ユダヤ人の老人は、横に立っている研究員に軽く背中を押されて、あっけなくロープの輪の中に顔を収めてしまった。そして、前に押されるまま、一歩一歩力無く足をずらしていった。老人の動きが、ほんの少しためらいを感じたように見えたちょうどその時、彼の足は宙を歩き、彼の首はロープの摩擦でギリッと音を立てた。この瞬間、この事実から目を背けたのは、サンプルの横に突っ立っていた、入所3ケ月目の若者だけであった。私を始め、私の横に一列に並んでデータを取っていた5人の部下は、顔を背けるどころか、ペンを持つ指先以外は、ぴくりとも動かさなかった。誰も声を立てず、誰も途中で止めようとはしなかった。サンプルの足が台を探り、ばたつき、そしてヒクヒクと小刻みに震えを来した。ロープの輪は次第に首に食い込み、ギシギシという音に混じって、ヒュウヒュウという、ロープで潰された気管からわずかに漏れる呼吸音が聞こえる時には、既にサンプルの顔は死の恐怖を迎える気力も無く、一種の放心状態になっていた。爪先に、その台の感触を感じて老人は最後の力を振り絞ったが、無駄であった。とうとう力尽き、老人は何の物音も発しなくなった。
「7秒です。」
誰かがそう言った。首を吊ってから呼吸が停止するまでの長い7秒間を、ずっと目を背け、吐き気を催しながら耐えてきた若い研究員は、静かにロープを緩め、遺体を床に降ろした。
そしてもう1人―――その7秒間が、長く両目に焼き付いて離れないもう1人の人物―――は、気丈に、その震えを最小限に食い止めているようだった。部下が足場を伝って、すこし離れたそのイギリス兵士の横に立った時、若者の目は正気を失いかけていた。
「私が中に入ろう。」
私は、万が一、このサンプルがこの場から逃げようとした場合、それを食い止めるのに、吐き気を催し膝をがくがくさせている若者1人だけでは困難だと判断し、隣の部屋に入った。高い場所から私を見下ろしている部下に、無理をするな、黙って立っていろと目で合図を送り、今閉めたドアの側を離れて、彼が落ちるべき場所に向かってゆっくりと歩きながら、私は彼を見上げた。
(つづく)
「用意が整いました。」
私が軽くうなづくと、それを見て、1人がガラス越しに、隣の部屋にいる仲間に合図を送った。
ユダヤ人の老人は、横に立っている研究員に軽く背中を押されて、あっけなくロープの輪の中に顔を収めてしまった。そして、前に押されるまま、一歩一歩力無く足をずらしていった。老人の動きが、ほんの少しためらいを感じたように見えたちょうどその時、彼の足は宙を歩き、彼の首はロープの摩擦でギリッと音を立てた。この瞬間、この事実から目を背けたのは、サンプルの横に突っ立っていた、入所3ケ月目の若者だけであった。私を始め、私の横に一列に並んでデータを取っていた5人の部下は、顔を背けるどころか、ペンを持つ指先以外は、ぴくりとも動かさなかった。誰も声を立てず、誰も途中で止めようとはしなかった。サンプルの足が台を探り、ばたつき、そしてヒクヒクと小刻みに震えを来した。ロープの輪は次第に首に食い込み、ギシギシという音に混じって、ヒュウヒュウという、ロープで潰された気管からわずかに漏れる呼吸音が聞こえる時には、既にサンプルの顔は死の恐怖を迎える気力も無く、一種の放心状態になっていた。爪先に、その台の感触を感じて老人は最後の力を振り絞ったが、無駄であった。とうとう力尽き、老人は何の物音も発しなくなった。
「7秒です。」
誰かがそう言った。首を吊ってから呼吸が停止するまでの長い7秒間を、ずっと目を背け、吐き気を催しながら耐えてきた若い研究員は、静かにロープを緩め、遺体を床に降ろした。
そしてもう1人―――その7秒間が、長く両目に焼き付いて離れないもう1人の人物―――は、気丈に、その震えを最小限に食い止めているようだった。部下が足場を伝って、すこし離れたそのイギリス兵士の横に立った時、若者の目は正気を失いかけていた。
「私が中に入ろう。」
私は、万が一、このサンプルがこの場から逃げようとした場合、それを食い止めるのに、吐き気を催し膝をがくがくさせている若者1人だけでは困難だと判断し、隣の部屋に入った。高い場所から私を見下ろしている部下に、無理をするな、黙って立っていろと目で合図を送り、今閉めたドアの側を離れて、彼が落ちるべき場所に向かってゆっくりと歩きながら、私は彼を見上げた。
(つづく)