すずりんの日記

動物好き&読書好き集まれ~!

小説「雪の降る光景」第2章7

2006年11月24日 | 小説「雪の降る光景」
 それからさらに1週間が過ぎた日の朝、私が定刻通り総統の別荘へ向かうため家を出ると、道端で、5、6歳の少年に呼び止められた。私はその少年の姿に見覚えは無く、少年もまた、私を知っている様子ではなかった。その少年は、みすぼらしい身なりを恥ずかしく感じるふうでもなく、私の怪訝そうな顔に微笑みかけて、汚れた指で紙切れをポケットからつまみ出し、私に見せた。私はその少年の微笑には応えずに、無言で紙切れを受け取った。少年が走り去って行く姿を目で追いながら、4つに折られた紙切れを開くと、紙の右下に走り書きされたサインが真っ先に目に入った。ハーシェルからだ。
 彼はいったい、どこにいるのだ。なぜ姿を見せないのだ。何か目的があるのか。彼はいったい、何をしようとしているのだ。・・・明らかに私は動揺していた。そのために、その文面に一度は目を通したが、内容は全く頭に入って行かなかった。私は別荘に向かうのが大幅に遅れるのを承知で、立ち止まったままゆっくりと、もう一度読み返すことにした。


「別荘に着くいつもの時間に、収容所の屋上へ来い。
さもないと妹を殺す。
                 ハーシェル・マイラー     」



 一語一語を暗誦するようにして最後まで文面を読み終えた時、私の心の中には、彼に対する同じナチスとしての尊敬や彼と共に死という運命に殉じようという神聖な想いが存在するはずは微塵も無かった。代わりに思い浮かんでいたのは、まだ学生の頃に汚い手を使って私や仲間たちを痛めつけようとした、あのハーシェルの姿であった。ゲシュタポとして大成した彼ではない。見栄っ張りで、自己本位で、幼稚で、他人を蹴落とすことしか頭に無い、あのハーシェルである。その彼が、自分の願望の達成のためにまたしても私以外の人間の命を引き換えにしてきたのだ。
 私は今わかった。私の命を道連れにしてやるほど、私にとって彼の存在は重くは無いし、私はこんな下衆に黙って殺されるほど馬鹿じゃあない。とすれば、答えは1つだ。私の手で奴を殺す。しかも後々にまで、総統をはじめ我々ナチスの顔に泥を塗った人間として人々に語られるための最高の演出を、彼のために用意しておくとしよう。

 私はいつも通る道を引き返し、急いで収容所へと向かった。


(つづく)

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