江戸の退屈御家人

世の中のいろいろ面白いことを野次馬根性で・・・・

井の頭池の掻い掘り

2014年01月31日 16時22分06秒 | Weblog

一昨日から井の頭公園の池の掻い掘りをやっているというニュースを聞き、退屈御家人は「徘徊老人」的に物見遊山と吉祥寺まで行きました。

井の頭池を掻い出し、底の泥を浚渫し、池の底を干すのだろう。井の頭池は今までそんなことをやった記憶がない(私だけかもしれないが)。ナマズを捕獲していたよ。自転車も沈んでいたね。

ここが井の頭池の排水口

吉祥寺と井の頭近辺はずいぶん変化している。吾輩は昭和43年から2年間、三鷹市井の頭4丁目に下宿していたから非常に懐かしいが、「あれから46年・・」往時茫々。さすが井の頭公園だ。高齢者社会を反映して、多くの老人が公園を散歩し憩いをしている。健康でいいのだが、ちょっと異常に感じるくらいの賑わいだ。

でも吉祥寺駅北口には伊勢やという焼き鳥やがまだやっていたので、懐かしく一杯やってきた。昼間から飲んでいるオジサンにお姉さんも。

 

 

 


天候も株価も乱高下だね

2014年01月30日 13時45分04秒 | Weblog

昨29日、日比谷公園でテニス。風もなく暖かく春がきそうかなと思わせる好天だった。こういう中で27名もの男女が参加。老人のパワー全開か。お互い遊んでもらえるところがあるのは幸せ。

参加者の友人一人がリュックサックの右ポケットに新聞を、左ポケットに水筒を入れているから、吾輩が、それは徘徊老人用グッズだねというと、同氏は大笑い。

そこで彼氏は、家では奥さんに「出来るだけ長く外出してくれ、昼食、出来れば夕食も外で食べてきて下さいといわれている」と。それで老人徘徊グッズにいろいろな小物をいれて外出に努めているし、今日はテニスで3時間とそれ以外も時間を費やせるから有難いと。

どこのうちでも、奥さんと一緒にいても話もないし、そばにいると鬱っとおしいし、家庭内別居みたいな人が多いようだ。仲良し夫婦は10%以下の極めて例外だろうナと。

日本の退職老人家庭の形態がおおよそ分かるというものだ。悲しいというか、面白いというか。どこの家も昔はきっとワクワクときめいていたのだろうが。「あれから40年 ! ・・・」綾小路きみまろの漫談は決して例外でない、よく実態を見ているのだ。

そういう訳で、今日はお疲れ休み。老人は代謝力が落ちるから、疲れ痛みが出るのは翌日以降と時間がかかるから、今日はお疲れ休みで図書館に鬼平犯科帳を借りに行ったが、途中、なんとさくらが膨らみ始めているのを発見。ただし1本の樹だけだが、昨日は暖かかったからかな?場所は3番町の東郷公園だ、ここは東郷平八郎元帥の家の跡地。

 


初旅は 加賀の温泉 湯めぐり

2014年01月24日 22時44分20秒 | Weblog

初旅は 加賀の温泉 湯めぐり

1月21日から、吉永小百合の「大人の休日倶楽部パス」を利用して、能登、加賀。若狭の

温泉地を訪ねた。

和倉温泉・氷見温泉・山代温泉・片山津温泉・粟津温泉・芦原温泉・揚げ湯温泉の順に、すべて「総湯」と言われる温泉地の原点の湯。つまり旅館の内湯でなく、現地の一番古く地域住民が昔から利用している公共の湯である。

それぞれが特色を有していながら、時代の流れに合致するよういろいろ工夫して、地域のコミュニテイの機能を果たしている。 たかが温泉、されど温泉。それにしても日本人は温泉が好きだね。

                                     


明石町にシーボルト像をみる

2014年01月18日 21時08分22秒 | Weblog

鬼平犯科帳の跡をいろいろ歩いているなかに、聖路加病院のうらの明石町で

シーボルト像を発見。長崎では鳴滝塾まで見に行った。佐賀の武雄温泉ではシーボルトも(その他多くの維新の志士たちも)入ったという、武雄温泉も訪問した。

それが東京でシーボルト像に出会えるとは。

 http://blog.goo.ne.jp/admin/showimagedetail/?iid=f6798e4d9bfb5590ad8030c2383fb2b0&type=1&return=%2Fadmin%2Fimgmanage%2F%3Flimit%3D24%26type%3D1%26order%3Ddesc%26did%3D%26window%3Doff%26img_year%3D0%26img_month%3D0%26version%3Dnew%26offset%3D0


正月の熱も少しさめ、鬼平の世界

2014年01月14日 20時31分53秒 | Weblog

14日、正月も終わったと思ったら、細川さんの都知事選出馬とか。オイオイオイ、やるのかよ?時間は正の方向に流れ、逆はないぜ。細川さん、どうするの。

そんなニュースを聞きながら、吾輩は今日、鬼平のあとを追い、江戸の昔の大横川を歩いた。

確かに現在の江東地区は家康入部の頃は葦のおおう湿地帯であった。だから今でも江東0メートル地帯だ。

これを江戸幕府の官僚たちは、上方の深川氏一族等を招聘し、湿地帯開拓をやり、現在の江東区にまで続く大宅地造成をやったのだ。・・・・頭が下がるね。

まず基本の排水路。この基本設計が大横川・立川だ。江戸城から見て横にあるから大横川、縦方向だから竪川と。昭和40年代の東京の住居表示変更を、当時の都庁官僚は昔の色気を取っ払った「●●の東」とかの表示にしたのと、まったく同じだ。役人の頭は100年のちも同じ発想をするのね。

しかし、役人の禄をはんだ吾輩から言わせていただければ、牧民官の立場は、客観という全国一律規模の平等という発想が必要なのだが、下の下の一般人には理解してもらえないね。

大横川と小名木川の交差するあたりだが、東京にこんな美しい江戸のままの水の都が残っているのだ。

その先、菊川橋西詰めの先に、長谷川平蔵の、そしてその後は遠山金四郎の屋敷あとがあった。現在の都営地下鉄菊川駅のそば。この辺りが鬼平犯科帳・鬼の平蔵の若き前半の、無頼の「深川の輟」の本拠だったとか。

この辺りは、昭和20年の空襲で壊滅しこの地域の無垢の住民800名余が死亡したとか。その供養地蔵がある。涙なくして語れない。

そのまま大横川に沿って南下し、木場公園、仙台堀川を越え、洲崎神社に至った。

ここは江戸の昔、波打ち際で、いつか大波・津波で住民数百人が波にさらわれ死亡したとか。以後江戸幕府は土地を買い上げ不介入地にして続いたとか。

歩き疲れたので、木場から門前仲町経由東京駅の都バスで帰る。

鬼平を追いながら、くたびれるとはなんたる軟弱!

 

 

 


昨日の江戸東京博物館と大相撲初日   再掲

2014年01月13日 19時50分28秒 | Weblog

江戸東京博物館には「お江戸日本橋」の木造の原寸大が飾ってあり自由に通行できる。江戸時代の日本道路元標だ。現在も日本橋の真ん中にこの元標が設置してある。

安藤広重の東海道53次展を開催中。これが目的で見に行った。

当時の写真(明治4年頃の藤沢宿)

道中合羽に草鞋と小田原提灯

このあと隣の両国国技館へ   場所入りする安美錦。かっこいいね。   私たち大学の同期生10数名は、毎年初場所初日の相撲をマス席で見物し、あとはちゃんこ霧島で宴会する習慣にしているのだ。

協会ご挨拶 千代の富士が北の湖に代わってやったが、うまかったよ。

以上、昨日の足りない部分を追加補足しました。理由は、写真UPのピクセルが大きいとキャパを越えてしまうということを発見。陳謝。

 

 


1月11日は鏡開き

2014年01月11日 21時39分09秒 | Weblog

時間の経つのが速いね。

つい先日、除夜の鐘・あけましておめでとうございます、だった。サッカーに駅伝にとやっているうちに早1月も中旬に入った。昨日は10日戎。今日は鏡開きだ。なんかドッグイヤーみたいな速さだね。

今日は、今年初の俳句の句会。兼題は「数の子」と「冬の草」両方とも難しい。数の子だけ3句つくり、きっと採択されようと期待したが、全滅。「数の子に ノルウェーの森の匂ひけり」の句だけ、3人が採用だがあとはダメ。今年は春から縁起が悪いワイ。

終了後、神田明神に参拝、俳句がうまくなりますようにと。今日は鏡開きと、みそぎ祓いとかで小さなプールに氷柱をいれて下帯だけの人たちが水みそぎやったみたい。聞くだけで寒いよ。

正月行事はまだまだ続くね。


初テニス 日比谷公園

2014年01月08日 21時17分45秒 | Weblog

本日8日、日比谷でテニス。雨模様で13時から16時までのうち、後半にすこしパラついたが

なんとかお天気が持った。今年は春から縁起がいいわい。

 3時間のテニス。おじさんもおばさんも16名が参集。このあと、有楽町の「すし三昧」で宴会。ここで、1匹780万円の寿司の一部握りはもう売り切れか、出てこなかったな。でもいろいろ個別勘定で飲み食いというスタイル。これなら酒を飲まない人が、文句を言わないな。合理的でないと世の中持たないよな。

あと、有楽町駅前で、1月2日の大火の跡を見た。もう現場はすでにカラートタンで囲われており、「ご迷惑をおかけして申し訳ありません。失火元は、パチンコ屋でなく、ゲームセンターの熱帯魚槽の電源であったと警察消防で分りました。」という張り紙があったよ。

時間の流れは速いね。2日の大火。昨日の新聞では友人の元「ハザマ」社長の死亡記事を見た。同君は脳腫瘍とかで、65歳。ひたすら弔意。