江戸の退屈御家人

世の中のいろいろ面白いことを野次馬根性で・・・・

恥ずかしながら昨日の続

2013年11月30日 21時27分08秒 | Weblog
青森の大鰐温泉は800年の歴史を誇り、弘前の奥座敷とか。

車を運転するとぶつからないように注意が中心となるが、列車で行くとい眠りながら各種パンフを見る余裕。

そこで大鰐温泉の名前にひかれて、途中下車。夕方4時ごろに駅員にどこかホテルはと聞くと、いくつか紹介してくれたので電話して宿泊交渉。夕飯はないが朝飯だけならOKと。駅傍の旅館に行きました。ひなびた温泉宿で、宿泊客は吾輩一人。さっそく温泉に入る。アルカリ性の優しい湯だ。いかんせんさびしい。聞くところによると、明治の初め奥羽本線ができると色街もある近在の歓楽地となったが、その後温泉もすたれ現在はローカルな温泉地と住宅地。外湯は5か所もある有数も温泉地だが。結局吾輩は旅館の内湯温泉を利用したのみ。まあほどほどのおんせんだったがな。

 翌朝、弘前に行く。ここで青森にいくか秋田か考えたが、40分後に五能線の急行があると。
これに乗って、五能線を南下。2回目の五能線だ。

 途中、国道101号線と並行しており、雨模様だが穏やかな道路で前日キャンセルがもったいない気もした。しかし電車での旅行は余裕もありいいものだ。深浦を通り、黄金崎の不老不死温泉も通過。結局、行くべきところは行った感じ。








こうして秋田駅に帰ってきた。結局、秋田を一周した感じ。
 この後、2時半ごろの秋田新幹線こまちで東京へ。自宅に帰った。
しかし、「大人の休日パス」は4日間有効。1日残すのは許せない。
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そこで、翌29日、早朝から長野新幹線で長野まで。
 ここで長野電鉄で湯田中へ。ここでバスに乗り換え上林温泉郷まで。ここから30分歩いて、地獄谷野猿公苑へ行きました。猿が温泉に入るという有名なところ。

 ここには外国人グループも多く野猿の出現を待つが、今日は一切姿を見せないとか。理由は秋のこの時期、猿の交尾時期でお天気がよいと山にこもっていると。
 そりゃそうだわナ。でも多くの観客は我慢強く猿の出現入浴を待っているが。

吾輩はそりゃダメだ、そばの地獄谷温泉に入ると、猿ならぬに人間露天入浴した。


これは猿ならぬ吾輩の足


老人の旅行…大人の休日倶楽部パス

2013年11月29日 21時03分00秒 | Weblog
JR東日本の広告戦略に載せられ、バカな老人は遠くへ旅立ちを考えた。
1、当初は、まず秋田新幹線で、秋田へ。ここでレンタカーを借りて、①男鹿半島の男鹿温泉へ。②次に男鹿から国道101号線で約3時間、青森は黄金崎の不老不死温泉で夕日をと考えていた。
2、しかし、秋田駅に着いたら、天候は雨。さらに強風が予想されると。そこで、最初の男鹿温泉だけにし、不老不死温泉をキャンセル。ふぐは食いたし、命は惜しし。

男鹿では なまはげ の実演があった。




 これは見る価値があるね。男鹿の思い出は、ハタハタの天丼と、石焼き料理。
雨雪模様のなかを男鹿半島1周ドライブで秋田駅に帰り、レンタカーを3日を2日で返却。
同時に、不老不死温泉にキャンセル電話。

3、ついで新幹線で角館へ。ここから急遽、「秋田内陸線」の旅に変更。乳頭温泉や玉川温泉は雪道で通行困難と初めから、来年夏へとしている。

4、秋田内陸線は、角館から奥羽線鷹の巣駅まで、94kmを田沢湖の西を、マタギの里を通って行く第3セクターの路線。これはひなびたローカル線で是非お勧めする。






5、こうして鷹の巣駅に。ここで奥羽線、のぼりが早いかくだりが早いかで。下り特急弘前往きに乗る。途中の案内を読んでいると、大鰐温泉=弘前の奥座敷、800年の歴史と。急遽途中下車。でもここは昔の花街。時代とともにすたれ、昔のすがたに帰りつつある温泉地。 あとは、次回で

平林寺ハイク

2013年11月23日 20時01分42秒 | Weblog
新座市の平林寺で、学生時代の同期生40名のハイキングがあった。

晩秋のいい天気の武蔵野はきれいに晴れていたよ。

途中、西武池袋線の富士見台駅には名前の通り、富士がくっきり。

11時、武蔵野線新座駅集合。ここから歩いて平林寺まで散策。

野火止用水








平林寺山門












お弁当大会







大使信任状奉呈

2013年11月19日 21時07分52秒 | Weblog
本日はケネデイ米大使の信任状奉呈式だったらしい。
 吾輩は、前期高齢者で病院の定期検診。老人はただ坂道を下るだけなのにね。

本来なら、野次馬精神旺盛の「退屈御家人」は、すぐに皇居前広場に出かけ直截写真をとるべきだ。
 だが、老人性の体力劣化のため、昨年秋の銀座中央通りでの、ロンドンオリンピック後の、日本選手団の祝賀パレードのように、多量の人間が集まると、好位置を確保するには前夜から場所取り確保する必要がある。吾輩は大勢の人波のずーっと後ろから、何も見えなかった。
家に帰ってTVを見ると、オリンピックパレードがよく見えたよ。それを、かってはこのブログに載せたよな。

 これをバカというか、強い意欲というか、どうでもいいが、野次馬からは「頑張り―!」だ。

でも吾輩は、オリンピックの時の銀座中央通りの轍を踏まず、今日のNHKニュースでの皇居写真のTV写真に徹したね。









こういうおとぎ話的セレモニーが日本人は好きだね。
悪いことではないが、ガラパゴス的な
ソフト外交パワーかも。

ハードな部分を抜きにしては、国家の存続が危殆に瀕するということを冷静に把握したうえで、はじめて、ソフトパワー外交だよね。
 わが学生諸君にいつも言うのだが、どれほど分かってくれているか?


出雲大社の神在月

2013年11月18日 22時21分26秒 | Weblog
出雲大社には、旧暦10月10日から17日まで、八百万の神様がご参集なさるとか。
それは新暦11月12日から19日で、各地は神無月という。そりゃ神様が出雲に出張なさるから。
 その八百万の神様はどこにおられるのか?
素朴な疑問を、さる3月出雲訪問の時発見したぞなもし。


これが神様の滞在長屋、いや集団住宅。こういう建物が4棟ぐらいあったかね。まあ狭いが一応納得。






明大博物館

2013年11月14日 19時23分08秒 | タウンウォッチング
所用があって、そのついでに駿河台の明大博物館へ行き、「東大寺と国分寺」展を見た。

天平時代の瓦のコレクションや出土品などがあり、また市原の上総の国国分寺の山門再建の開設等があって努力のあとが見受けられるが、吾輩にはもっと深いのがほしかったな。



 でも明大博物館の常設展には、「ニュールンベルグの鉄の処女」があったよ。




ギロチンも。


あと、お茶ノ水から秋葉原まで下ったら、かって東京駅になるべきであったレンガ造りの土台(現在の東京駅の前身となるべき、幻の東京駅だ)が現在も残っている。






そして秋葉原に行くと 初音ミクちゃんが



GHQカメラマンが見た戦後の日本

2013年11月10日 21時33分22秒 | 歴史を旅する
九段会館の手前に昭和館という建物がある。

ここで表記のような写真展をやっていたからのぞいてみた。

  このほかに、戦艦ミズーリ-艦上での降伏調印式の写真もあったと思ったが。


  昭和22年12月の 銀座4丁目交差点

    ここで一句  敗戦を 終戦という 戦後かな

  作者はGHQお雇いカメラマンのデイミトリ―・ボリアという人。彼は占領下の時代からGHQの解散、高度経済成長が始まるまで、約3万点の写真を撮り、昭和36年米国へ帰った由。

 ちなみに昭和館の5階に映像コーナーが、6・7階に常設展がある。

立冬

2013年11月07日 16時56分07秒 | 歳時記
今日11月7日は、二十四節季の 立冬。
         七十二候では 山茶始開・・ツバキ初めて開く という。

  木々が色づき あるいは 落葉 そして 時雨が来る

  今年の夏は暑かった・・



  振袖の 大火の傷や 今朝の冬

学園祭あちこちで

2013年11月03日 18時12分54秒 | タウンウォッチング
秋葉原にもあるよ








早稲田にも








上智にも



   すでに出演した女の子が観客している。













11月2・3・4日はあちこちの大学で学園祭。

青春一杯、新しい何かを模索しているのもあれば、落語とか漫才とかの伝統分野に何とか参加しようとするものも。とにかく、新しい何かを発見しようとするのだろう。いづれにせよ、模索・模索の連続だろう。
 なかには、ゲームアニメ部なるものがあった。「TRPG」というゲームをデモンストレーションしていた。それは Table&Talk Roll Playing Game といってテーブルを数人か囲んで約束のロールゲームを参加者が声を出しながら楽しむというもので、ゲーム機械万能の時代に、どうなるのかね。

 これらの中で、少数の人間が新しい分野に進むのだろうが、大多数は平凡な勤め人となって、新しい文化を楽しむ側に回るのかな。