鮮やかに 光残して そよぎおり
鮮やかに 光残して そよぎおり
菊供養 ひとひおくれて ねんごろに
10月18日は浅草寺の菊供養の日である。境内で買った菊を本堂に供え、すでに供養された菊と替えて持ち帰り病気火災除けにする行事である。本来重陽の日にするものだが今は10月18日に行われている。
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一昨日の19日、たまたま俳句の吟行会が浅草寺で行われた。参加者は11名。みなさん私より年上だが元気元気。浅草駅に集合し、浅草寺境内周辺を散策し、俳句3句を作るという趣向。
いま浅草は外国人に占拠されたような感じで日本人が少数派だ。そういう中での作品には 着物をきてしゃなりと歩く若い子が、中国語を話しているのに驚いたとか、中国人の着物姿の女の子を別の外国人が日本人と思って喜んで写真を撮っているのがおかしいとか、おみくじの箱を大きな音を立てて外国人が引いているとか、場所柄人力車の車夫があくびしている姿を描く俳句とか、題材がありそうで思いつかず、苦慮したようだ。
私はたまたま菊の花を見ていて、浅草寺の菊供養が前日であったと発見。そこで社務所のおばさんに前日の菊供養はどういう風にしたのですかと聞きましたよ。浅草寺のお坊さんがたくさん本堂の本尊様に菊をささげるとか、イヤー一つ知識が増えました。ちなみに俳句をやっている人は本当によくものを・言葉を知っておられる。知らないと作れないからかも。本当に感心する。
そこで吾輩も、急きょ、前日の菊供養を題材にしたわけ。結果的には同じく菊供養を詠んだ句が一人ありました。吾輩のあとの2句は
「吉原の 見返り柳 秋深し」 と
「浅草や 寄席に煮込みに 温め酒」 を提出した。
この後は.浅草今半に席を移し、相互に句評する句会。みんなわいわい、作句の心境を評論する。吾輩の句はあまりいい点が入らなかったネ。残念、悲しいね。
その後、今半のすき焼きをたらふく食べて、舟和の芋羊羹を土産に帰りました。
山代の 古総湯かよふ 秋の風
北陸の名湯に山代温泉がある。無色透明の硫酸塩の成分ともいわれるが、アルカリ温泉のようでもある。山代温泉は1300年前、行基が、ヤタガラスが湯の中で傷をいやしているのを見て発見したという。ヤタガラスは、神武天皇東征の時、熊野から大和に入る道案内をしたという3本足の黒いカラスで、 J リーグ・サムライ・ジャパンのマークでもある。ここに大正時代に北大路魯山人が修行滞在して九谷焼を学んだとか。
これが古総湯と言って、温泉源の公共浴場。2009年に明治時代の建物風に再築されて、金500円で入湯できる公共浴場。もちろん源泉かけ流しで、体を洗ったりすることはできない。お湯につかるだけ。隣に総湯があって、体を洗えるのかなー?地元の人は銭湯ですよってバカにしていたが。上記写真のように、洗面施設は一切ない。
総湯の2階は休憩場になっており、ステンドグラスに囲まれた優雅な休憩所。
総湯の隣にヤタガラスを見ながらの源泉かけ流しの 足湯を楽しんでいる
ベンガラ格子の美しい建物が魯山人らしい。
この2枚が魯山人の滞在していたところで、当時のまま今は「いろは草庵」となっている。
総湯の隣に、国の登録有形文化財であったベンガラ格子の旅館白銀屋が、いまは、星野リゾートの施設になって稼働している。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。10月2日〈日〉3日〈月〉と1泊2日の温泉旅をしたのは、温泉が目的ではなく、大学の弁論クラブの同期のメンバーの古希の顔見世が目的。 吾輩は宴会の前に、一人抜け出し古総湯に入湯しました。〈センチメンタルジャーニー〉
忙しい連中だから、日曜に出発、温泉で宴会し1泊、帰京というスタイル。
18・9歳の時に上京し、大学のクラブで一緒してから50年を過ぎた。金沢新幹線もできた。久しぶりに顔を見たいという単純な理由。吾輩もこの連中の宴会には、過去数度やっているが今回初めて参加。
なぜか。吾輩はかって、加賀の温泉郷には、2-3年前に山代温泉・片山津温泉・粟津温泉・湯涌温泉・和倉温泉などを巡ったし、もっと前には芭蕉の奥の細道探訪ドライブで山中温泉も、那谷寺 〈石山の 石より白し 秋の風〉という芭蕉の名句を追ったところだ。
それでも今回参加する気になったのはやっぱり、70は古来稀なりの節目であり、現代8掛けぐらいの実年数としても、やはり人生の区切りと思えたからだ。 先月は田舎で高校の同窓会にも出席した。
いずれにせよ、わが友人たちがすごい。.
東京の某女子大の学長1名、某県の県会議長1名。別の県の県会議員1名〈これも議長経験者〉、それに弁護士が2名、裁判官卒業者が1名、某建設会社社長経験者1名、元市会議員経験者で社団法人の理事長1名、針鍼灸師兼コンサル1名、大会社の部長経験して退職し今は農業している人1名、メキシコにいる娘婿と対日本関係のなんか事業をしている男1名、それに吾輩の計12名の団体だ。錚々たるメンバーだ。
これが、学生時代そのままで、俺が俺がとやるのだから、大変な宴会であった。まだ老いてはいないな。
しかし、
2名が癌の手術したとか、1名が人工透析やインシュリンを毎日うっているとか、着実に 生老病死 が近づいている意識をもって又の日を期して、別れた。
長瀞の 流れに淀み 出来の秋
長瀞は荒川の上流の渓谷に沿って、灰緑色の結晶片岩の板状節理が水の流れに浸食されて奇岩の連なる名勝である。昔から瀞遊び、岩畳、舟下りで有名な観光地であるが、確かにその景観は一見の価値がある。春や秋の観光シーズンには水しぶきを楽しむ多くの見物客でにぎわう。
虹かかる 天橋立 股のぞき
日本三景の一つ、安芸の宮島、陸奥の松島と並ぶ。天橋立は昔から、白砂青松、日本の美の基本。単純に眺めると龍が降臨する姿と言われているが、股のぞきをすると、天と地が逆さになり、龍が天に舞い上がるように見えるとか。幅170m全長3.6kmの砂嘴に8000本もの松が茂っている。遠くに虹が見えた。これぞ+日本人の心だ。
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夏の終わりに
今日は8月31日、夏の終わり。吾輩は今月8回目のテニスを楽しんだ。暑いのにバカに見えるが(自分でもそう思う)、あえて自己弁護を試みると、天の橋立のように優雅な旅行もいいし海外バカンスもいいが、日本国内の東京で暑い中での我慢大会ではないが、これは、一種の無我の境地を楽しんでいるのである。
暑い中でテニスをしてると、何も考えない。過去も、今後の行く先も、後も、利害関係も、会社も、女も、金の足りないのも、すべてを忘れて没我一念、ただ球を追ッている。これは一種の宗教的没我の心境かも。
テニスに出かける前に、近所の事務所で公認会計士をやっている友人と出くわした。難しい顔をして事務所に通っていたが、彼には仕事があるのだろう、お前、もっと遊べよと、言えなかったな。俺は狂ってルンルンなのだから。
ウィイークデイの今日31日に、老人の世代の人間が9人も集まり、家庭の奥さんも放りだして、みんな何も考えず、ひたすら球を追う。これぞ今この時を生きているとの存念なのだが、当事者たちはもちろん何も考えていない。終われば、ビールを甘露甘露と飲む。思えばバカな姿だ。
このひと時を生きる。その間何も考えない。
昔の男は、がむしゃらに働き、疲れ果てて飯を食い、酒を飲み、女を抱いて、あとは大いびきをかいて意地きたなく眠り呆ける毎日の繰り返し・・・・・これが理想の男の世界なのだ。
ここには自律神経失調症とか、不眠症とか、うつ病とか、精神症とか、現代的病気++++の発生はないね。人間、忘我の境地が一番だな。
今日、TVを見ていたら、「鳥人間コンテスト」をやっていた。
学生諸君なら、夏休みであろうとなかろうと、夢中になれる世界に浸り、すべてを忘れ楽しむことができる。サッカーでも野球でも、駅伝でも。
室町時代の 閑吟集には 「一期は夢よ、ただ狂え」 という言葉があるそうな。
現代人の問題は、頭の意識が強すぎる、これをいかに平穏にするかような気がしている。 たんなる動物の一種なのに。