江戸の退屈御家人

世の中のいろいろ面白いことを野次馬根性で・・・・

ベトナム紀行 4 メコン川

2014年07月27日 08時51分04秒 | Weblog

ホーチミンは、昔のサイゴン。

1974年4月サイゴン陥落、ベトナム戦争終結。この時、たまたまワシントンのホテルにいて、米の最後の海兵隊員がトンキン湾上の空母に逃げてきた状況をTV放送していた記憶がある。        往時茫々。

旧大統領官邸。この正面の道路を解放戦線側の戦車が侵攻、無血開城してサイゴン政府が滅んだ。それでサイゴンの街は戦禍に合わなかったのだろう。

綾小路きみまろ のセリフでないが、「あれから40年!」  ベトナムは近代化に進む。地下鉄の工事を開始するとか。 べトコンの地下道から、日本ODAの地下鉄へ。  40年は長い時間でもある。

吾輩は単なる旅行者であり、ホーチミン市と何ら関係がないから、遊びに徹した。

日本人経営者の旅行代理店があり、ホーチミンからいろいろなバス旅行が予定されている。そこで約6時間の日帰りメコンクルーズを選んだ。

ベトナムのおばちゃんの操る小舟でジャングルの中を航行。デズニ―ランドのアドベンチャーランドみたいだ。

 

現地の昼飯に、「象の耳」という魚の1匹丸ごと唐揚げ。なんかピラニアみたいの牙がある。これをコメを薄く作った包み紙で包んで、たれにつけて食べる。それなりにうまかった。

 

メコン河の多くの支流のひとつ。大量の茶色の泥水。両岸にはヤシを中心とする熱帯樹木が迫っている。

 

 


ベトナム紀行 3 ハノイ

2014年07月26日 22時03分38秒 | Weblog

ベトナムも暑かったが、日本も暑いね。今日はクーラーをかけて、1日中避暑地の気分。暑い。日本に帰ると、日本人だ。大相撲の琴奨菊のカド番でも、大関相撲がいいね。

ベトナムのハノイは最近、ランドマークタワーを作って、72階350mのオフィスビル。ハノイを一望。同国の経済発展を象徴しているね。634mのスカイツリーの展望台と変わらない。

ハノイの街は湿気で曇っていたが、ランドマークビルには、最先端の、3DKや5DKのエクジビションを示していたよ。

ハノイは都市計画を進めており、あと10年後には思いもよらない近代都市に変化しているだろう。

 


ベトナム 2

2014年07月25日 13時38分24秒 | Weblog

ハノイでは、「Ashima」・あしま という きのこ料理専門店が良かった。ベトナム人が推薦してくれたが、日本人もよくくる人気店らしい。

 まず きのこのスープ、次に  松茸・エリンギ・変わったマッシュルーム を鍋に入れてこれを「ゴマだれ」に付けて食べる。そして 牛肉をエリンギに巻いた焼き肉。 結構うまかったな。 ビールを入れて日本円で3500円ぐらい。ラッキー。

                             この店の真前が、「北正門」。だから一等地で観光地であった。

ここは1882年にフランス軍の軍艦から撃ち込まれた大砲の弾のあとが残っているとか。レストランで食べながら見ていたら、観光バスで多くの人が、ちょっと、写真を撮っただけで走り去ったよ。


ベトナム紀行 1、  西湖と、たにし料理

2014年07月24日 20時57分50秒 | Weblog

1、7月20日から7月24日まで、3泊5日のハノイ&ホーチミン旅行を行った。

2、最大の目的はベトナムで作っていた証券会社の口座を解消して、資金を日本に引き上げること。こういうと、まるで、大きな資産家orビジネスマンに聞こえるが、本当はほんのわずかの、イジイジした個人投資家が、7年前、ベトナム出張中に、わずかの資金で国際資金競争の世界を垣間見よう・体験勉強しようという、イージーなスタンスでベトナム株式投資を始めた訳。

 それを、リーマンショック後の世界景気後退のなかで、ベトナム経済も成長こそしているが国際収支の悪化とインフレに苦しんでいる。一方、日本は対中国一辺倒から、リスク分散・労働賃の安い国へと、ベトナム、カンボジヤなどへ進出シフトしている。

 それなら、もう少し我慢でベトナム経済と付き合ったらと、思うが、「時間のスパン」というか、老齢に伴う人間の持ち時間のキャパを考えれば、ここが潮時と考えた訳。

3、こういう個人的動機はどうでもいいが、まずハノイへ。ハノイは今まで3回訪問。今回が4回目。変化が激しいね。でも今回は、まったくの私人として行動。うれしかったね。自由が多くて、何をするも自分の責任と金銭的ぺナルテイを覚悟すればいいこと。

タイ湖というハノイ一番大きい湖の先端に、西湖府(フ―・タイ・ホー)という民間信仰の聖母が祭られているお寺。まあ浅草の観音様って感じか。毎月1・15日にたくさんのお参りがあるという。

暑い中、ここを見に行きました。タクシーの運ちゃんに若干ぼられたかなと気になるが、ベトナムは物価が安いから、だまされたという気分をのぞいて、金銭面の得損を考えれば、優雅に生きていけそうだ。日本人には変に潔癖症だから、これは難しいだろうが。俺もだ。

ここの参道で、名物の「たにし」料理を食べました。    住血吸虫なんかいないだろうナと、タニシをゆでる現場を見せてもらった。熱湯でゆでており、安心。生姜と香草を混ぜてゆでて山盛り2万ドンぐらいか、忘れた。これとハイネッケンのビール。おいしかったネ。

ここでは、敬虔な民間信仰。縁日でないから在の人がお寺の清掃とお祈り、供物をお供え、お経をあげている。

ここで、発見。現地の人の箒が、竹ぼうきでなく、椰子の葉っぱの箒である。何でもないことだが、人間、その地にあるもので、生活するのだと、今更ながら感心しました。日本人なら竹ぼうきだ。

 


宴のあと

2014年07月17日 19時50分00秒 | Weblog

靖国神社のみたま祭りは16日に終わった。きょうは多くの作業員が入り、跡かたづけで大わらわ。

宴会の大騒ぎのあとの「宴のあと」とは少し違うが、御霊を迎える中で現代人も一緒に食をともにするという意味は大きい。

でも、楽しい宴はいつかは終わる。「晴れの日」が終わり、「卦の日」が戻るのだ。

その後、所用で神保町へ足を伸ばし、平川門から皇居東御苑を散策した。

昔、大奥のお女中たちが忍びで神田のまちに抜けて行った橋だ。

今回は大奥の不浄門のいわれや悲喜劇は別に、平川門から御苑を散策。

つい先日、あじさいの綺麗どころを並べたが、その後着実に時間がたつ。そして栄枯盛衰。誰も汚いお老いる姿を愛でることはない。

出来れば、いつまでも現役・花の盛りでありたいが、江戸城の天守閣も振袖火事・明暦の大火(1657年)で焼失して以来、1時再建するも現在は土台の石垣のみ。

ここにまだ命永らえているあじさいがある。       人生いろいろ。

皇居の夏ミカン。だれも採る人がいないから、時とともに、土に帰るのみ。

 


靖国神社 みたま祭り

2014年07月14日 22時52分39秒 | Weblog

7月13日から16日まで靖国神社では、みたま祭りがおこなわれる。これは新盆の日に行う霊を迎え祭る仏教のお盆の行事を、神社が転用したのだろう。だから盆踊りでなく、「納涼民謡踊り」とか書いてあったね。でも一般大衆の善男善女はそんなこと、小さい小さい。若い皆さんも桜の頃の花見の雰囲気。若い女性を含む大量の見物客が、多くの出店で嬉々として買い食いしているし、境内の適当なところで座り込んで宴会しているから、夏の蒸し暑い頃の花見だな。結構ですよ。

私の印象では、奈良時代以降の、「歌垣)の感じ。要は若い男女が自由に交際できる晴れの日の伝統を着実に残しているね。・・・・老人のジェラシーかもね。

靖国神社本殿

まずは浴衣でそぞろ歩き。女の子は浴衣で格好をつけるのが喜びなのです。

若い女子はおみくじが大好きなんですね。

陸士15期・16期なんて、いつかは知らんが相当古いのではないかな。

若い人たちは、飲み食い・スマホと崩れた浴衣のカップル。

野外能楽堂で今日の催しを待っているおじさんオバサン。何を演じるか分からなかった。

境内には、歌手や芸能人の書や絵を灯籠にして奉納、これは歌手 青山和子。古いね。

 

 


入谷の朝顔市・・・朝顔を さげて入谷の 鬼子母神

2014年07月06日 20時04分28秒 | Weblog

朝顔を 下げて入谷の 鬼子母神

いなせな美人 朝顔を

鬼子母神の前の言問通りを閉鎖して、混乱と交通整理のお巡りさん。先にスカイツリーが

吾輩は朝顔鉢は重いので買わなかった。

代わりに、入谷の名物「羽二重団子」を食べました。 夏目漱石が、正岡子規が愛し、司馬遼太郎が称したとのこと。 確かに おいしかったね。

いわく  花より団子