江戸の退屈御家人

世の中のいろいろ面白いことを野次馬根性で・・・・

23日は東京マラソン

2014年02月23日 12時29分43秒 | Weblog

9時にスタートというから9時に市ヶ谷の外堀通りに出かける。去年も一昨年年も同じ場所では能がないので、今年は銀座にも応援に進出しましたよ。さらに浅草へもと思ったが、さすがそれは止めました。

最初は外国選手たちが速い。

 

 

 

 

 

 

 


20日、俳句の句会 人形町

2014年02月20日 20時10分20秒 | Weblog

   狛犬の 顔半分は 春の雪

今日の句会でこれを披露したら、評判が良かった。靖国神社の南門の狛犬が雪におおわれて寒がっている。悲しくもあり美しくもあり。

今日20日は人形町で県人会の句会。

そこで、谷崎潤一郎の生まれ故郷の人形町という本を読んだ。彼は明治19年、東京市日本橋区蠣殻町2丁目14番地で出生。現在の日本橋人形町1-7で、出生地の案内板がある。

この地域は、かって明治2年には銀貨鋳造所があった地で、蠣殻銀座と呼ばれる。いずれにせよ、この辺りから北の方にかけて、米穀取引所、金融取引の兜町を含む繁栄の中心地であった。

ちなみに、この辺りに幕府公認の吉原があり、明暦の大火で浅草寺裏の新吉原に移ったとか。またこの辺りが歌舞伎の中村座・市村座があったところで、現在は明治座が残っている。

こういう江戸明治の殷賑の中心地で谷崎潤一郎の美意識は生まれたのだろう。

そこで、彼の通ったと思われる「大観音寺」が今もあった。谷崎の時代から、大正の関東大震災と昭和20年の東京大空襲で灰燼に帰したはずの街並みだが、いまも立派な都市によみがえっている。そこに、谷崎文学にも出てくる「大観音寺」がいま様に小さく存在し、近所の女性がお参りしている。その下に、

谷崎が言う 「よし梅」 という料理屋があったので、吾輩は昼飯に出かけましたよ。句会は13時30分だ、時間は十分ある。ちなみにひとつ向こうの鳥料理・親子丼の「玉ひで」は昼食の行列30数人。ここは避けた。

 ここ「よし梅」で、「あら煮」御膳をたのんだ。1500円。いやーこれがうまいのなんのって。ほっぺた落ちそう。皆さんにお勧めするよ。骨まで軟らかく食べられる。絶品。

こうして人形町の奥深さと江戸以来の文化の伝統による食べ物に満足して、今日は良かった良かった。こうして句会で上記句を発表。さらに自由句では、

大分高崎山のサル山のボス猿ベンツの死に様に関し、

      早春の 山に身を果つ 猿の長(おさ)       

をも提出したが、これも評判は良かったぞ。

おかげであと打ち上げは、有楽町の「かんだ」で福井の酒を痛飲。 真央ちゃんの失敗に悲憤慷慨しながら、吾輩はああ、幸せ。

 


神田神保町昼飯散歩。

2014年02月07日 20時52分56秒 | Weblog

明日8日土曜は大雪の予報。

で、今日の昼飯 をどうするか?考えた挙句、神田司町の富山料理の飲み屋に行こう。

腹を減らして、歩きました。神田司町は小さなところ、往きつ帰りつ目的の店を探すが発見できない。周辺に聞くのも癪だ。

(地図を読めないのが女、人に話を聞けないのが男・・・・まさにアメリカの女性社会学者の指摘の通り・性差のなせる業)

  結論。飲食店は回転が速いから、すでに転廃業をしたのだろうと判断。

ちなみに、神田神保町で、昔私が愛した天ぷらや「いもや」が居抜きで関西系のモダンな天ぷら屋に買収された。その店が、2年弱にして、店を閉めて退出しているのを発見。確かに当初は周辺より高い価格設定で、モダンな天ぷらと格好をつけているねと、シニカルに見ていたが、やっぱりそうだ。あれは気障だ。神保町には合わんと思っていたからね。侵略資本が退却するのはいいね。

さて、そこでは昼飯がない。トホホ、やむを得ず、神田小川町で「まつや」そば店に入る。ここは鬼平も通ったという由緒ある店で、食通には有名な店。

吾輩は、もりの小をたのむ。650円なり。みると追いこみの隣の30代のおばさんは、お銚子で日本酒を飲んでいるでないか。きっとなんかの本で書いてあった「そばにお酒」のマニュアルだろうな、とおもい、そういうふうに生活のアクセントをするのもいいもんだな。そうすると、俺も酒飲むべきだったかな? 反省しつつ、三省堂でエクセル本を買って帰った。


青山葬儀場

2014年02月05日 21時00分35秒 | Weblog

今日、青山葬儀場で、友人某氏の会社葬・お別れの会があった。

バブル崩壊のなかで会社の財務状況が悪化、会社創業以来最大の危機に直面するなか、

平成15年社長に就任、会社分割と同業他会社との資本業務提携・合併に生き残る道を開いたとか。

その激職のなかに発症、平成19年健康上の理由で社長退任、闘病、平成25年12月死亡。

まさに、企業戦士の殉職だ。

 多くの従業員や取引関係、株主や債権者達、裁判所、関係する市町村等々会社の持つ多面な関係はすべて社長に表象されてくる。それを、あの優しい男が一人一身に負って、耐えてきたのか。その結果、そりゃ、ガンにもなるわな。

 なにもせず、役に立たず命長らえるのも生き方。人のため働いて若くして命失うも生き方。

人間、遅かれ早かれ、みんな死ぬ。ならば、どう生きるか。

    感動のある生き様。  君よ、冥福を祈る。


横浜中華街春節・旧正月

2014年02月03日 17時27分19秒 | Weblog

2月1日は旧正月。横浜中華街の一番の人気店『海員閣」で高校の同窓会役員会。予約を取るのが大変なので吾輩も万難を排して参加。

(ちなみに吾輩のカレンダーには1月31日が旧元日、1月30日が旧12月30日と書いてあり、あれれ、では旧暦の12月31日はないのかな?)

 

関羽廟での新年祝い

開運のドラを叩く妙齢の女性

吾輩はこの日、中華をたらふく食べた後、風邪の症状が発症し鼻水。

途中、「チャ―シュウ―」1本を土産に買って帰ってから、1日夜、2日、3日と風邪で寝込んだね。1月の遊び過ぎの疲れがたまったのだだろう。激風邪。

 免疫も お疲れ休みか 春の風邪

 

おかげで今日は朝からTVで スーパーボウルを見ていたよ。異国の正月だね。