2021年の終わりに 平安京の正門 朱雀大路の南端にあったとされる羅城門の後を見に行きました。
今は小さな児童公園の中に滑り台の前に石碑が立っているのみ。
羅城門と同じ通りの東西に 東寺と西寺が並んで建てられていた。しかし西寺のほうは 今は石碑を残すのみ。
なぜ西寺が滅んで東寺が現在も残っているのか。むしろ東寺が残っている方が奇跡とも言えよう。残った理由を考える方が重要と思える。歴史の変遷 栄枯盛衰にかかわらずよく残ったものだ。
ちなみに羅城門の前に小さな地蔵堂があった。ここには お寺同士の争いがあったと書いてある。それが西寺の滅んだ理由の1つかもしれないし そうでないかもしれない。
この後 千本丸太町に 平安京の大極殿跡を見に行きました。
1177年に大内裏が焼失 歴代の天皇の多くは 里内裏を使用し この辺りは応仁の乱で荒廃したそうな。今は写真の通り 後ろに小さな木造のアパートらしきものが立っている中にある。
明治時代に都が東京に移ったことで 京都の大内裏に見合うものとして 平安神宮が建築されたとのこと。
2021年の大晦日 ぼたん雪の舞う京都の街で 古の歴史の一端 を思いました。