江戸の退屈御家人

世の中のいろいろ面白いことを野次馬根性で・・・・

12月31日 羅城門跡を訪う

2021年12月31日 14時20分00秒 | Weblog
 2021年の終わりに 平安京の正門 朱雀大路の南端にあったとされる羅城門の後を見に行きました。



今は小さな児童公園の中に滑り台の前に石碑が立っているのみ。

羅城門と同じ通りの東西に 東寺と西寺が並んで建てられていた。しかし西寺のほうは 今は石碑を残すのみ。

なぜ西寺が滅んで東寺が現在も残っているのか。むしろ東寺が残っている方が奇跡とも言えよう。残った理由を考える方が重要と思える。歴史の変遷 栄枯盛衰にかかわらずよく残ったものだ。

 ちなみに羅城門の前に小さな地蔵堂があった。ここには お寺同士の争いがあったと書いてある。それが西寺の滅んだ理由の1つかもしれないし そうでないかもしれない。


この後 千本丸太町に 平安京の大極殿跡を見に行きました。








1177年に大内裏が焼失 歴代の天皇の多くは 里内裏を使用し この辺りは応仁の乱で荒廃したそうな。今は写真の通り 後ろに小さな木造のアパートらしきものが立っている中にある。

 明治時代に都が東京に移ったことで 京都の大内裏に見合うものとして 平安神宮が建築されたとのこと。

2021年の大晦日 ぼたん雪の舞う京都の街で 古の歴史の一端 を思いました。







法隆寺を歩く

2021年12月29日 19時04分00秒 | Weblog
12月29日 御用納めが終わったら なんか街は人の出が多くなったみたい。
 こういう師走の人混みを横目に 吾輩は青春18切符で 京都から草津へ 草津からJR草津線で柘植まで。ここはどうも三重県らしい。ここからJR関西線で奈良を経由して法隆寺駅まで。
 ここから30分ぐらい歩いて法隆寺に行きました。小学生の時の遠足以来だな。





松並木の山道から仁王門 国宝まで。







古いお寺の庭は 京都の禅宗寺院や浄土寺院の 理屈をこねた庭園もいいが 一方 なんか安心感がある。お寺の文化財の顔というものか。


宝蔵院。国宝 百済観音や玉虫厨子などを収めてある。これは平成15年に完成したもの。1500年の歴史の中で 今の時代も歴史の流れに協力している。







路地塀の先に 夢殿がおわしました。

その隣に 中宮寺がありました。


ここは尼院で そのため法隆寺にいろいろいじめられてきた歴史があるような。現在も尼寺の伝統で 孤独な女性を守るとか。

いずれにせよ 久しぶりに法隆寺に来てよかった。

 ただ歴史的には 聖徳太子が亡くなってから19年で 聖徳太子の長男のなんとかの宮が蘇我馬子に攻められて 自刃して果て 上宮王家は滅んだ。その2年後に大化の改新 いや いっしの乱が起こる。
 この歴史的背景のほうに吾輩はよほど興味を持つ。





除夜の鐘 試し撞きin 知恩院

2021年12月27日 17時39分00秒 | Weblog
今日12月27日。年末が近づいていろんなところで年末新年の準備をしている。 
 12月3 1日はNHKの行く年来る年の 除夜の鐘の姿が知恩院の大鐘のあった。
 今回たまたま12月27日に3 1日の除夜の鐘本番のリハーサル 日本語では 例し撞き というのをやると言うから見に行きました。ちなみに今年の3 1日本番はコロナの影響で人数制限予約制で13日に既に売り切れている。
 さすが試し撞きは予約なしで見たい人はどうぞ と言うことであった。


坊さん達がお経をあげて何か何か説話をして鐘撞きが始まるみたい。

午後2時から試し撞きの練習であったが 本当に鳴らしていた。

その後は 円山公園に抜けて いつもお世話になる 平野家の いもぼう を食べた。



仰々しく御託を並べているが 要は
棒鱈とたろいもを煮込んだ簡単な料理で 昔はこんなものしかなかったのだろうが これを知恩院と八坂神社の円山公園の中で京都の名物でございと言っているところが凄いところだ。
 ちなみに、昨日 ポント町で おばんざい昼食セットを食べた。おばんざい というが、なんてことはない、京都の田舎料理だ。 これが 文化 商売なのか。
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ちなみに今日は山陰北陸で大雪と言う全国放送が流れているが 京都はほとんど雪が降っていない。

今朝7時15分の京都の西側の姿である。




北野天満宮 終い天神

2021年12月25日 13時52分00秒 | Weblog
今日12月25日は菅原道真の誕生日/死亡日の縁日で 北野天満宮に天神様の市が立つ最後の 終い天神である。多くの人が年末の買い物おいしい正月の準備をすると言うわけである。やじうまの我輩も話の種に見に行きました。
 
市 そのものはそれほど多くの人がおらず思ったよりマイルドであった。おかげで北野天満宮をじっくり見せてもらった。
 菅原道真の怨念を慰めるため 神社を作るべくここの土地を提供したのが多治比文子で 同氏を祀る地主社がある。
摂社に道真の舎人の牛引き担当者を祀った面白いものもあった。
野見宿禰を祀った末社もあった。
 
北野天満宮の裏に秀吉の時代につくった御土居の跡が残っている。
名物の 長五郎餅とお薄をいただいた。
なお 市での買い物は 琵琶湖から来た 鮒のなれ鮨 と 北山のおばあちゃんの自宅産の 柚木を土産とした。
 この後 近くの花街 上七軒の歌舞練場を見た。
この後 千本釈迦堂を歩く。
ここは京都市内で一番古いお寺で、おかめの像と夫をたたえた話が残っている。それに12月7・8日に、無病息災のため大根炊き行事 がある。

 次に 近くの千本閻魔堂へ。
閻魔様はビニールのカバーの中に鎮座しておられるこの閻魔堂は楽しい。閻魔様のお友達の 地獄と現生を行き来する 小野篁がここの本尊の一人のようだ。ここに 紫式部の墓がある。紫式部は源氏物語の中で、現実の天皇二人の悪口を書いたことで、地獄に落とされたとか。これを地獄から救い出したのが 小野の篁で、そこから紫式部の墓と像があるとか。
千本通りも鞍馬口に近い このところは昔からの庶民的な場所なのだ。ここも壬生寺と同じように 学のない庶民のために 仏の教えを狂言で教えている。

 今日は 実に楽しい年末の京都であった。

敦賀 金崎城跡を見る

2021年12月24日 15時59分00秒 | Weblog
青春18切符 これは老人でも使えるロマンあふれる切符である。
 思いついて京都から敦賀まで湖西線に乗ってみた。同じ切符で旅行をしているらしい老人たちを見かけた。同じ発想の人がいるんだ。
 敦賀では市内観光のバスで回ったら気比神社と気比の松原が有名である。
 

国宝の鳥居。



その後 
金ケ崎城へ登る。海と背後に山に囲まれた天然の要害である。




ここ金ケ崎城は1336年 新田義貞が後醍醐天皇の 尊良 恒良両親王を報じて足利軍と戦い 敗れた。尊良親王と義貞の息子義顕は自害。将兵300以上が殺害された。尊良親王のために建てられたのが金ケ崎宮である。


それから500年も経って 殺された将兵の関係者が立てたのが神社が摂社となっている。


その後1570年 織田信長が越前の朝倉義景討伐に向かって ここ金ヶ崎に進んだ。しかし近江浅井の裏切りで、2方向から責められることになり、急遽撤退。これが「金ヶ崎の退き口」と言われるもので、木下藤吉郎が命をかけて殿( しんがり)を務め信長の信任を得る。この2ヶ月後に姉川の合戦で浅井朝倉連合軍を打ち破り、天下取りに向かって進むことになる。
 歴史上2回の大事件を経験しているが今は金が崎宮として 恋愛成就 恋の宮となっている。
 敦賀のレンガ倉庫で カニ刺しを食べました。いけすのカニを刺身してくれるのだからおいしい。幸せ。


帰りの敦賀駅のホームで思わぬ人に出くわした。

福井県は恐竜をテーマにした県であるとか。


 



終い弘法 を見る

2021年12月21日 15時39分00秒 | Weblog
 12月も下旬に入ると何かと忙しい感じがする。
 京都 東寺では毎月2 1日 弘法の市が立ち そのうち12月21日が年の終わりの「終い弘法」と言われている。
 昔から有名な市であり 京都の人は正月の準備の買い物をするそうである。多くの人が買い物に集まっており京の風物詩である。
 私も大原女が出している店で鯖ずしを買おうと思ったが まず見物をしてから帰りに買おうと考え まず東寺を見物した。そして帰りにはもう既に売れてしまって なかった。残念。

国宝 東寺の五重塔 金堂 それに重文の講堂 さらに国宝 太師堂と大変なものだ。









東寺の仏様たちは文化財保護法で撮影が禁止されており入舘のパンフで 立体曼荼羅を見る。






弘法大師の御影堂は司馬遼太郎のお気に入りの場所であったようだ。さすが文章がうまい。

 今日の京都は大変良いお天気。
昨日の東京も大変良いお天気で 年末の午後2時間日比谷公園で納めのテニスを行った。
 この時感じたのは この風もなく暖かいいい時 を 時よ止まれ 永遠にと。
 そして今日もまた 大変素晴らしい時間を味わえた。
 これぞ 生きている喜び 大事にしたいと思っている。
 
 


浅草散歩

2021年12月12日 14時06分00秒 | Weblog
今日12月12日もいいお天気。
思いついて浅草に出かけました。





浅草寺の本堂は立派なものだ。後にスカイツリーをも控えている。

側に六角堂があった。


地蔵尊のありがたいお心をおすがりしたい気分になるこの年頃である。





そばに狂い花があった。時期に外れて咲くと言う生き方もある。



浅草に外国人が押し寄せてコロナの影響がだいぶ少なくなった感じがする。同時に日本人も結構出ている。

 今日の吾輩はホッピー通りの一角で鯨の刺身を食べた。

人生は食べるために生きている それが大部分である そんな気がする昨今である。





大雪といっても

2021年12月11日 14時43分00秒 | Weblog




今日は 二十四節気の大雪である。
でも今日はあったかいいいお天気で 大雪の雰囲気ではない。むしろ晩秋の雰囲気。

コロナが一時的にもおさまっているこの時期にいろいろ活動するのが良い。

 さしあたり特段の所用がない吾輩は 散歩でもするのが良い。しかし以前に比べ体力の劣化が進んでいる現在あまり激しい動きはできないのが悲しい。

高齢化社会の結果か 最近とみに 吾輩と 同じような老人の ほっつき歩きが目につく。  
 老人が美しく時間を潰す これを考えるのは現代か。