連日大変暑いが たまには文化でもと言う気になって 上野の国立博物館に行きました。時節柄 コロナ対策で集中防止のため 事前にネットで予約した人のみ入場するシステムを講じている。それがどういうものかと実践してみた。当日予約でも空きがあって可能であった。
8月21日 今日も猛烈に暑い。コロナ感染者も相変わらず多い。
2、本当は板橋区立美術館に狩野派の展覧会を見るのが目的。
4、美術館の隣にトンボ池があり なんか変な雰囲気。それで小山を登ってみると
5、ここまでくると思い出しました。以前ここに来たことがあると。そこで昔の思いにふけりながら 確か近くに東京大仏があったはずだと思い出し スマホの地図案内でわずか2分で東京大仏につきました。
浄蓮寺
完成時は奈良の大仏 鎌倉の大仏に次ぐ3番目の大きさであったとか。
天保の飢饉での犠牲者の慰霊塔がありました。
1、板橋区にある東京大仏にコロナ犠牲者の鎮魂とコロナ蔓延の早期終了の意味を込めて参拝して参りました。
2、本当は板橋区立美術館に狩野派の展覧会を見るのが目的。
3、高島平から成増行きのバスで美術館前で降りる。しかし同美術館の狩野派の展覧会は8月10日で終了しており、明22日からボローニャ国際絵本原画展が開かれるとかで、今日は何も見るものがなかった。残念。
4、美術館の隣にトンボ池があり なんか変な雰囲気。それで小山を登ってみると
そこには中世の赤塚城本丸跡の広場がありました。
5、ここまでくると思い出しました。以前ここに来たことがあると。そこで昔の思いにふけりながら 確か近くに東京大仏があったはずだと思い出し スマホの地図案内でわずか2分で東京大仏につきました。
浄蓮寺
完成時は奈良の大仏 鎌倉の大仏に次ぐ3番目の大きさであったとか。
天保の飢饉での犠牲者の慰霊塔がありました。
その他ユニークな置物がありました。津藩主 藤堂高虎が朝鮮から持ち帰ったものらしいが 背景がよくわからない。
5、この後バスで赤羽駅まで出て赤羽東口の飲み屋街へ。ここで鯉と鰻の いけますという飲み屋へ行くと、なんと店は客を入れないと。代わりに お持ち帰りのうなぎだけを売っていた。赤羽もやはりコロナに相当な打撃を受けているのだなと思いました。そこで近くの寿司屋で鰻丼とビールを飲んで 湘南新宿LINEで新宿まで帰ってきました。デパートで ホヤを売っていたのでこれを今日料理します。
6、コロナ自粛の中で本当に久しぶりに出かけました。なんともいえず良い気分であります。
8月15日 靖国神社
午前10時過ぎだが猛烈に暑い。たくさんの参詣者。
こちらにはそれほど人がいない。報道陣ものんびりしている。
日本武道館は式典のため周辺は多分閉鎖されていると思いいかなかった。実は暑くて熱中症のような感じがしたので早々に引き上げてきました。
右翼の街宣車が道路を隔てたところで待機していました。暑いのにご苦労なことだ。
午前10時過ぎだが猛烈に暑い。たくさんの参詣者。
千鳥ヶ淵戦没者御苑
こちらにはそれほど人がいない。報道陣ものんびりしている。
暑い最中 出動服姿の警察官や黒いスーツのSPが汗だくで勤務している。
日本武道館は式典のため周辺は多分閉鎖されていると思いいかなかった。実は暑くて熱中症のような感じがしたので早々に引き上げてきました。
右翼の街宣車が道路を隔てたところで待機していました。暑いのにご苦労なことだ。
暑い暑い 火を噴くようだ。
外出せずに、クーラーかけて避暑をする。
これまた 楽しからずや。
雪の写真を見て 「心頭滅却すれば 火もまた涼し」 か。
外出せずに、クーラーかけて避暑をする。
これまた 楽しからずや。
雪の写真を見て 「心頭滅却すれば 火もまた涼し」 か。
今日8月7日は暦の上では立秋である。
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その後 5時を過ぎるとさすがの日差しも弱り、そこで散歩かつ飲み屋に行きました。
地下鉄で、浜町を越え、深川は森下へ。 半年ぶりに、魚三は懐かしかった。
コロナの時節柄、お客は半分ぐらい。かえってありがたい。
ここで、瓶ビール1本、カンパチの刺身、ハゼの天ぷら、それに ホヤ酢を頼んで、1時間。
ひとりゆっくり、黙って酒を楽しみ、かけがえのない 至福のひと時。 これぞ 人生の愉悦 というのだろうなと感じました。
これで、1850円。深川にはこういう世界があるのだ。
無茶苦茶 暑い立秋の日に 思いがけない人生の味わいを楽しみました。
しかし今日の東京は暑い。本年最高の36度とか。ホントかねぇ。熱中症の人が多く出ている。
いよいよお盆休みに入るが また医師会の会長じゃないが 我慢の夏休み。
どこにも出かけられないから昔行った高千穂の 天孫降臨の 天の逆鉾 と 精進落としの 泥パック温泉を思い出し 頭の中で旅行した気分に浸る。
悲しい 我慢の夏休み か。
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その後 5時を過ぎるとさすがの日差しも弱り、そこで散歩かつ飲み屋に行きました。
地下鉄で、浜町を越え、深川は森下へ。 半年ぶりに、魚三は懐かしかった。
コロナの時節柄、お客は半分ぐらい。かえってありがたい。
ここで、瓶ビール1本、カンパチの刺身、ハゼの天ぷら、それに ホヤ酢を頼んで、1時間。
ひとりゆっくり、黙って酒を楽しみ、かけがえのない 至福のひと時。 これぞ 人生の愉悦 というのだろうなと感じました。
これで、1850円。深川にはこういう世界があるのだ。
無茶苦茶 暑い立秋の日に 思いがけない人生の味わいを楽しみました。
8月2日やっと夏になった。
千住大橋たもとの芭蕉奥の細道のスタート地点。1689年芭蕉は深川からここまで舟できて歩き始めたのだ。
千住宿には色々歴史が残っている。
坂本龍馬の元カノの千葉紗奈がここで灸治院を開いて 私が坂本龍馬の妻ですと名乗っていたそうな。
森鴎外の父親がここで医院を開業していた。そこに若い頃鴎外が居候して医者の道を歩み始めたようだ。
赤門寺の閻魔様。 江戸4宿 品川 内藤新宿 板橋 千住には江戸への入り口でそれぞれ閻魔様が睨みを利かしているそうな。
千住氷川神社の 大黒天。
安養院のカンカン地蔵。カンカンと小石で売って願うと願い事が叶うと良い伝えられるおじぞうさま。1699年元禄12年以来打たれ続けているため 顔がのっぺらぼうになっている。
名倉医院。説明書にあるように 江戸期の医療状況を示している。ちなみに現在もここで整形外科をやっておられるのに感嘆。
横山家の姿。江戸時代紙問屋であった商家が残っている。この辺から先は東京空襲の被害を免れ残っているよし。
良いお天気で暑い。久しぶりで北千住を散策する事にした。今 一番のファッショナブルな街と言う評判である。軽佻浮薄な我輩も出かけました。何しろ長い間コロナウィルスや梅雨空で閉門蟄居の心境であったから。ただし マスクをしてへっぴり腰で。
千住大橋たもとの芭蕉奥の細道のスタート地点。1689年芭蕉は深川からここまで舟できて歩き始めたのだ。
日光街道はこの千住宿から事実上始まる。
千住宿には色々歴史が残っている。
坂本龍馬の元カノの千葉紗奈がここで灸治院を開いて 私が坂本龍馬の妻ですと名乗っていたそうな。
(去年の秋 宮崎県高千穂の 天の逆鉾 を登った時坂本龍馬がお竜さんと新婚旅行で行って天の逆鉾を引き抜いていたずらをしたから早死にしたと言う話を聞いた。人生いろいろ。)
森鴎外の父親がここで医院を開業していた。そこに若い頃鴎外が居候して医者の道を歩み始めたようだ。
赤門寺の閻魔様。 江戸4宿 品川 内藤新宿 板橋 千住には江戸への入り口でそれぞれ閻魔様が睨みを利かしているそうな。
安養院は弘法大師のお寺。(ああうれし行くも帰るもお大師様と2人連れ)という碑文があった。
千住氷川神社の 大黒天。
安養院のカンカン地蔵。カンカンと小石で売って願うと願い事が叶うと良い伝えられるおじぞうさま。1699年元禄12年以来打たれ続けているため 顔がのっぺらぼうになっている。
名倉医院。説明書にあるように 江戸期の医療状況を示している。ちなみに現在もここで整形外科をやっておられるのに感嘆。
横山家の姿。江戸時代紙問屋であった商家が残っている。この辺から先は東京空襲の被害を免れ残っているよし。
今 北千住は芸大など大学が集まりおしゃれなビルや賑やかな商店街と充実した飲屋街 更に無数の静かな路地と荒川の川辺と言う新しいものと古いものが混在した良い街である。
今日は相撲の千秋楽で早く帰らねばならないから北千住の飲み屋街探訪をせずに帰ってきたのが残念。
ここは中野と同様 夜の楽しみが待っているようだ。
8月1日やっと梅雨が明けた。例年は7月20日ごろに明けるのだから 10日間も梅雨が伸びたわけだ。この間本当に鬱々 うっとうしく うつ病的気分だった。
梅雨明けのせいでもないが 今日ある会合があり 帝国ホテルの17階から日比谷公園&千代田区等を眺めた。
さぁ明日から夏だ。
だがしかし コロナ感染者の数は増加一方。一方では動きたいが一方では自粛せざるを得ない。あっちを立てればこっちが立たずハムレットの心境。