江戸の退屈御家人

世の中のいろいろ面白いことを野次馬根性で・・・・

盛岡

2021年04月22日 20時45分00秒 | Weblog
1、わんこそば




吾輩は60杯で終了。男性の平均的な数量らしい。これはそばに直すと4枚分ぐらい。だから普通 食べるの2倍位である。

2、盛岡城跡公園
   今桜の真っ盛り。すばらしい景観である。











盛岡城は南部信直が慶長3年1598年に築城を開始。
 東北の歴史は我輩も知らなかった。この1598年という年は 太閤秀吉が 醍醐の花見を 行った年である。
 1590年の小田原成敗の後 秀吉は最後の覇権確立のため 東北の奥地まで進出。戦国時代の後から東北は 南部氏 及びそのの同族があちこちで群雄所轄しており うち2番手クラスの南部信直が 秀吉に臣従しており 一方 同族の南部某が秀吉に対抗していた。そこで秀吉は全国統一の最後として 反対勢力の南部達を攻めて 60,000の兵を持って5000人で対抗する南部達を攻めて 「奥州仕置き」を行った。
 この奥州仕置き は わが愛する 「日本史年表」にも載っていない。この年のメインは 醍醐の花見なのである。

 いずれにせよ 仕置きの後 秀吉側に味方した南部信直とその息子 利直が 盛岡の地に築城したようだ。
 ちなみに 昨日の 八戸で 室町時代から続いた 元城 もこの時 仕置きされた ため 建造物等は全て破却され その結果 土台というか地下というか目に見えない部分が長い間地下に眠っていたと言うわけである。

 盛岡城は徳川の時代になってもそれなりに存続した。しかし 尊王倒幕の戊辰戦争については これも歴史年表に書いてないが 奥州列藩同盟に加担し 新政府に抵抗し攻められ 当時の家老が 責任を取って刑死。藩主は 白石に 藩替えにされ その後 明治3年 廃藩置県の時 住民の藩主帰還嘆願と 廃藩置県での差し出しと交換でか 盛岡県令となった。その後明治5年に陸軍の用地に接収され その後長い間 たって 盛岡城跡公園 となって現在に至っている。全国100名城の1つである。

3、石割桜

350年から400年ぐらい経っている江戸彼岸桜。昔の家老の屋敷に たまたま大きな岩の割れ目に桜が落ちてそのままずっと咲いていたようである。天然記念物。今は裁判所の庭にある。

4、岩手銀行赤レンガ館

こんな美しい銀行が建てられていたのだ。

5、盛岡歴史文化館。ここでいろんなものを展示している。今日からの特別展は 「南部家のたしなみ「 詠む 描く 書く」とうして 東北の大名家の文化のあとを展示していた。
 東北だからこそかもしれないが 江戸の文化 京の文化 を生かし学んでいるのは驚きだ。展示品の中に歴代藩主の幼少の頃の習字の練習 があるのは素晴らしい。

今回の旅行で 日本史年表 が必ずしも日本歴史全体を抑えているものではないと言うことを発見した。

 なお ここ文化館で 東日本大震災の関連の展示も行っていた。特に以下の報道写真を掲げる。










6、岩手山の勇姿









 





三陸鉄道リアス線に乗る

2021年04月20日 20時31分00秒 | Weblog
今日20日朝6時20分に気仙沼駅発VTRで大船渡の 盛 まで行く。この間1時間17分。着いたのが まだ朝の7時37分である。
 途中 岩手県に入り 陸前高田市の 奇跡の一本松を見ました。震災記念館が大きく作られておりました。震災の傷跡の大きさは筆舌に尽くし難く 言葉がない。

 大船渡の 盛 から 久慈市 まで三陸鉄道リアス線でTVのあまちゃん路線を行くのである。

 8時0 3分発のリアス線に乗り 久慈まで4時間25分のロングジャーニー。3780円なり。
 


東日本大震災の津波対策事業。あちこちで復旧事業が見られる。


釜石製鉄所の生命部分は無事であったようだ。


北山崎と言う三陸屈指の景観地域の端に  あまちゃんの舞台が待っている。





三陸鉄道の景観に見とれながら やっと久慈駅に着いた。ここで4時間25分の三陸リアス鉄道の旅はおしまい。 
 ここで名物の うに弁当 を食べました。



このあと久慈駅12時0 3分のJR八戸線で本八戸まで行きました。
 種差海岸の景観は充分楽しめるものであり 明日以降あえて 見に行くに及ばないと思った。

 こうして久しぶりに2回目の八戸に着きました。吾輩はなぜか八戸と言う街に
好感が持てる。

 ホテルの温泉に入って 繁華街の鷹匠通りの飲み屋で久しぶりに楽しみました。
 
在の魚と 在のお酒 で幸せいっぱい。

 人生の生きる意味と言うのは 美しい自然を愛でて 食い気 と 色気 だと悟った。








気仙沼BRTに乗る

2021年04月19日 18時53分00秒 | Weblog
大人の休日パスをによって 気仙沼BRTに乗ってみました。 
 東京から仙台へ ついで石巻まで。 
昔 石巻へは行ったことがあるが ここも今は全く変わっていた。ここから石巻線で    前谷内まで。
 ここから気仙沼線で気仙沼へ行くのだが 東日本大震災の津波でこの路線が流されており 今はその線路を廃して 1部分バス専用道路に変えていた
 
 前谷内駅から北上川沿いの 柳津までは鉄道路線と併用してバスを使っているが その先の 志津川 南三陸町役場 泉浜 陸前港 陸前小泉 小金沢 最智 岩月などが他の大津波にさらわれた路線であり それが今では線路を外してその部分を鋪道にして JRのバス専用路線として気仙沼まで続く。




南三陸町などは震災10年でかなり復活しているが かっての大変な被害にあったことをやはり垣間見させている。バスの窓から見ただけであるが大変な被害だ。

 気仙沼では名物のフカヒレ丼を食べた後街を散歩した。



繁華街の飲み屋らしいところに津波到達した高さが用意してあった。これでは全ての建物が猛烈な打撃を受けたことは確かだ。


市役所も被災した傷跡を残している。

気仙沼市内も津波によって町が壊滅した後10年で回復しつつあるが かって賑わった 遠洋漁業の町も 賑やかな下町や飲屋街や諸々が変化を強いられている。

 やはり 現場はまだまだ大変なのだ。

 

亀戸天満宮 藤の花

2021年04月15日 14時04分00秒 | Weblog
今日4月15日は昨日の雨に比べて快晴。
思いついて亀戸天満宮に行きました。
言わずとしれず藤の花です。










コロナの危険があるといえどもいいお天気は花見がしたい。見物客が多い。

それは新東京百景でもある。








久しぶりの亀戸天満宮で
フジ と ツツジを見て 何か得したような気分になる。幸せ!




蔓延防止措置 発令の 東京

2021年04月12日 13時40分00秒 | Weblog
今日4月12日は 東京 京都 沖縄で蔓延防止措置が発令される。

 この日に退屈御家人は日比谷公園に行きました。 不要不急の外出の最たるもの。

今日もいいお天気で日比谷公園は春の息吹に満ち溢れていました。


青紅葉の向こうは厚労省のビル。気候は最高の状態だが 蔓延防止措置の責任官庁として連日 長期にわたって苦闘しているのは気の毒の限り。われわれは遊んでいると言うのに。


ハナミズキとツツジ。もう5月の気分だ。






日比谷公園は花ざかり。






桜が終わり 藤の時期になりつつ。


公園は広々として綺麗だ。







先週の写真。季節の動きが早い。











ひらひらと ソメイヨシノの ちりしあと

2021年04月07日 16時13分00秒 | Weblog
ひらひらと ソメイヨシノの 散リしあと
 わが名あげんと 有象の花はな















ウコン の桜

花水木



名前のとおり 桜田門


平河門の桜

ツツジに迫られている。  

今日4月7日は明治大学の入学式をやっていた。












三日 見ぬまの 桜

2021年04月06日 09時15分00秒 | Weblog
 
ソメイヨシノの花期は短い。
4月6日の 朝 千鳥ヶ淵散歩。




代わって 大紫ツツジ


変わって ハナミズキ


変わって 藤 や すみれ




代わって 青紅葉

 
残っている桜もある。



季節の移りとともに 人間社会の移りもある。
 今日は東洋大学の入学式らしい。

2年生も一緒に入学式をやるのかな?


他の学校も今日6日が入学式らしい。







季節の変わり目の時





市ヶ谷のお濠端の桜も散った。












青春18切符を使いこなす

2021年04月02日 22時47分00秒 | Weblog
 4月2日 今日は花曇り。桜の花びらが散る中で あと何日の桜かな。
  花に嵐のたとえもあるぞ。とか
  花の命は短くて苦しきことのみ多かりき という人もいたな。
 昨日 病院の定期検診で 案外順調であると美人の女医さんの評価に 私喜んでいまーす。
 それで 今回の青春18切符 の5日間の切符の 残り最後の1日の分 を完結すべく年甲斐もなく 出かけました。今回は 伊香保温泉から 大阪発 岐阜経由高山線で下呂温泉 富山までの残り1枚分。





 
 若い頃のような 断固行こうと言うようなエネルギーはなくなったが まぁ何でもみようと言う意欲は残っている。

 朝7時0 1分 東京発の東海道線で静岡まで行こうとした。
 朝が早いもんで無理して東京駅まで行った。しかしマスクをかけるのを忘れてていた。駅のコンビニで買おうと思ったが 駅のコンビニは7時からしかオープンしないのを発見。ところが7時1分の列車は通勤客で 寅さんで言うところの労働者諸君 で満員である。ここへマスクなしで乗るのは 立ち居振る舞い、文化の違う異邦人が白い目で見られるが如し。
 そこで急遽降りて次の列車に乗り換えることにした。当然コンビニはオープンしてるからマスクを買った。
 こうして朝早い時間の 東海道線を悠々と下って行く。熱海を過ぎるとさすがに関東でなくなるのだなぁと感じた。こういうのはローカル線の旅の楽しさ。
 愛用の「全日本道路地図」で見ると  沼津から吉原までは 千本浜 と言って どこまでも続く松原があり これが東海道随一の名勝であると書いてあった。これが電車の窓から松が見える。

 我が輩は基本的に乗り鉄である。切符の許す範囲で 幅広く行きたいと言うのが私の夢。しかし寄る年波 により 己の欲するところに従えど 則を越えず と言うのが心境である。
 
 かの有名な 登呂遺跡は 昭和18年の軍需工場建設のための作業中発見されたもので 戦後22年から大々的に発掘され 当時敗戦の状況の閉塞の中 日本の優秀な弥生文化の姿が見えると言う事から全国的に評価され大人気になったようである。
 確かに静岡の地は環境が良い。弥生式稲作文化が発達する状況を充分持っている。
 この頃は多分倭国大乱の時代 つまり飢饉 食糧難の時代であると思うが 安倍川沿いのこの辺はその影響を受けていないのかもしれない。
 最終的には阿部川の氾濫でこの遺跡は放棄されたと言われている。

 この後 日本平の東照宮を見に行きました。

日本平。ヤマトタケルの草薙の剣の土地。ちなみに電車で 草薙 の駅で降りた。見に行こうとしたが何もなかった。こういう無駄をやるのが1人旅の良さである。








徳川家康の墓地は案外こじんまりしていて好感が持てた。日光東照宮とはだいぶ違う。

 帰りは軟弱の吾輩は 青春18切符を使わずに 静岡から東京まで新幹線で帰ってきた。約1時間強。楽ちん楽ちん。
 これが歳をとると言う事だ。