江戸の退屈御家人

世の中のいろいろ面白いことを野次馬根性で・・・・

23日田舎で法事のため大阪道頓堀で泊まる

2015年01月26日 21時24分51秒 | Weblog

1月23日吾輩の実兄が2年前急死。この時吾輩は、ロシアサンクトペテルブルグで旅行中だった。

あれから2年、時間のたつのが早いね。

今回、兄の3回忌法事のため姫路へ。その前、大阪見物。道頓堀ホテルという近場のホテルに泊まる。外国人多し。近くはラブホらしいのが。旅行者を広げるためなのかと、妙に納得。

一番は今宮戎神社。つい最近商売繁盛笹もってこいの富久娘たちと、NHkのエリーちゃんがほえ籠に乗ったというから、どういうものかと思ったが、「6日のあやめ」時間が過ぎて行って、平穏にもどっていたね。

大阪は通天閣だっせ。ここに登ると、大阪がよく見える。徳川家康の前線陣地だった、茶臼山・一心寺は天王寺公園にあり、通天閣の100mから見れば、真下にあった。その北に真田幸村の終焉地、その右に聖徳太子の四天王寺が見える。これで大阪を見る大きな要素は終了。

で、通天閣の下で、串揚げの「だるま」本店でビール1本と串揚げ&土手やき。ハッピーね。通天閣を南に進むと、大阪相撲の跡地がありました。大阪はいろいろ複雑な感情もあるようだ。ついで難波かえり、道頓堀川に沿って、大阪の繁華街を散策。

そして、法善寺横町の「大ダコ」で、たこ焼きとお好み焼きを食う。うまいね。外国人の女の子も入ってきたよ。ついでに水かけ不動さんに「立派な人になりーや」とお祈りしましたが隣の「夫婦善哉」800円を食べずに帰りました。水かけ不動さんは苔に覆われている。

翌日は、姫路での法事の後、神戸・三宮から有馬まで。ここで有馬温泉にいき、外湯の「金の湯」に入ってきました。ちなみに「銀の湯」は現在改修中で閉鎖。さらに「太閤の湯」という、大江戸温泉的な新しい、温泉ビジネスが進出しているのを知った。  時間は着実に進む。


1月11日からの週は前後不詳

2015年01月15日 20時42分42秒 | Weblog

11日は相撲の初日。例によって大学の同級生たち20数名で升席とアフターの霧島でのちゃんこ新年会。今年も多くが参加した。お誘いのかからない連中が,俺も頼むよと言っても、次は来年だ。酒飲んで、めでたいめでたい。

11日の次は13日。この日は大学の最後の授業。1年間くだらない吾輩の講義を聞いてくれた学生諸君に感謝の意を表してレポートで定期試験とする。そののち夕方には、昔役所で組合を一緒にした友人たちと新橋で土佐料理の新年宴会。80年の仲間だがそれから35年だぞ。多くは定年退職しているが、最後の生き残りが2人いた。多くの先輩たちの骨を拾う役目か。

その時の話題。ちょうど20年前、吾輩は警務部長として、1月の阪神淡路大震災と、3月のオウム真理教の霞ヶ関地下鉄サリン事件に出くわしたな。あの時官邸の村山総理もあまり情報が入らなかったみたいで苦労しておられた。我々も同じだった。   往時茫々だ。

13一14日は先週のテニスで痛めた腰痛のため、イテテテと静養。ゆっくりが一番。パソコンとウインドウ8.1の極めて分かりずらいのを、so-netの御嬢さんと電話で1時間強、直接教えを乞い、何とか吾輩のメールが復活した。いやー大騒ぎだ。

15日は女正月。御講書始め。あれれ、歌会始はいつだったけ?TVの画面を映したよ。

 

 

 

 


1月4日。これで年末年始のお休みはおしまい。

2015年01月04日 18時31分23秒 | Weblog

われわれ貧乏人世代は、休みをうまく使うのがむつかしい。毎日が日曜の老人になっても同じ。

今年の計画は、いかに遊びの時間をうまく使うかだ。現職の諸君と違って退職老人はみんなに迷惑をかけぬよう、イジイジ遊び暮らすといのが仁義というもの。

そこで退職自由人=江戸の退職御家人は、今日1月4日は、田無神社にお参りに参りました。

ここは字のごとく、田んぼのない畑地で、昔から広大な荒蕪地として、わずか生き延びられるだけの少数の百姓が鎌倉時代頃から、わずか水の湧く「谷戸」というところでイジイジ暮らしてきた。こういう地域である。

家康の江戸入部以来、江戸の都市建設に必要な壁土の珪砂を得るため、大久保長安が青梅にその材料を求め、その送付のため青梅街道を作った。

その街道の宿場町に田無が定められ、地域住民はここ現在の青梅街道沿いの田無宿に移動させられた。生活の基盤が宿場町でのサービス業に変わった田無住民は、現在の地に父祖の神社を移したしたというわけ。

現在の田無は東京のベッドタウンとして、かっての田無市から西東京市という色気も文化もない名前に代わっているが、東京の郊外の町という性格は変えられない。ここで、歴史を知らない世代の若い人やよそ者が単純に田無神社「水神様」を拝んでいるのがよろしいい。

 このあと退屈御家人は、新宿で乗り換え、小田急線の、代々木八幡神社へ 参拝に参りました。ここも明治神宮建設の前は、広く代々木村があり、その総鎮守宮であったのだ。今は隣の明治神宮に客を取られて弱小の神社となっているが、世が世なれば大変な神社なのだ。ちなみに、代々木八幡の境内に、弥生時代かってここに住んでいただろう弥生人の住居モデルが復元されている。退屈御家人としては、こっちの方が関心ありだ。

ここから、新宿まで歩いていきました。近代的バイパスが昔の代々木村を切りきさんでいるが、これも時代の進歩のなせる技。進歩=破壊=建設=新時代=新住民の新しい生活=新文化となる。

 時代に適応できないと「淘汰」される。ちなみに、田無神社は、知恵を働かせて現代に合致する方法で知恵を絞り、神社として生き残る道を模索しているのを見て、その態度よしと。

 


あけましておめでとうございます。

2015年01月02日 23時43分44秒 | Weblog

今日2日は宮中一般参賀。

 わが退屈御家人も1回目のお出まし10時10分のお立ち台はは多くの人が並んでいるだろうと、2回目の11時のお立ち台を狙って2重橋前に40分並びました。そして、11時のご挨拶に間に合うように、大勢の一般参賀者と一緒に皇居に入り、数十分待って陛下の新年ご挨拶を聞きました

その後、先日一般公開された道潅堀を通ってい北の乾門まで出て、皇居新年祝賀は終了。

退屈御家人は、その後北の丸公園を抜け、神楽坂の毘沙門天さんにお祈りをし、赤城神社にお参り。

次は地下鉄東西線で、門前仲町。ここで、富岡八幡宮にお参り。次に、深川不動尊をお参り。深川のあさり飯を食べて、今日のロングジャーニーはおしまい。4か所のお参りは立派。

次いで、地下鉄で三越まで行って、福袋を探したが、けったいなお菓子を買っても仕方ない、でワインのセットを買って帰り家で、大学ラグビーの準決勝、帝京対慶応を見る。〈ちなみに駅伝はパスね。〉帝京の迫力を見て、ワインとビールの年会。これで、新春2日は暮れゆくのでございます。