江戸の退屈御家人

世の中のいろいろ面白いことを野次馬根性で・・・・

不老不死温泉

2017年06月28日 21時11分08秒 | Weblog

 青森県の黄金崎不老不死温泉は交通の便が悪く、海岸にあり沈む夕日を楽しめるところから秘境的要素の温泉で有名である。吾輩も以前から行こうと計画したが、今回、3度目で実現した。実際入湯するまでに大変だから、ありがたみがある。

青森は梅雨がないor少ない気候だ。当日も快晴、風なし、まことに好日でありました。宿泊の客や団体の日帰り湯の人も多く、結構にぎわっていた。

 だが、いろいろの温泉を経験してきた吾輩からは、この温泉は名前が勝っていて、温泉そのものとしては決して一番ではないな。でも黄金色というか、黄色の湯は鉄分でなくわからないが、いい温泉だよ。できれば沈む夕日を眺めたかったが。一度は入ってみたいおすすめ。

海に面して、日本海に日が沈むのを見るのだが、この湯船では50人ぐらいは入れるのでないかな。50人もおれば、日没の感慨を味わうことは無理かなと思った。

この温泉の宿泊施設は常に満員で、みなさんここで泊まって日没の温泉を楽しむ。昨日は19:10頃が日没だが、吾輩はホテル確保ができないので、16:55発の列車で秋田へ。何しろ、電車が1日3本程度しかない。返す返すも残念、宿泊を確保しないとだめだが。絶好の天気でありながら沈む夕日を見ないで、やむを得ず早く帰った。

 

 

向かって右が女風呂。左が上記の黄色の湯で、男湯兼混浴。おばさんが混浴に入りたがっていたが結局踏み切れなかった。その旦那曰く、混浴に入る!と頑張っていたとか。

 


五能線の旅

2017年06月28日 20時57分44秒 | Weblog

6月27日、青森発8:10のリゾートしらかみ2号で行きました。全席指定席で、なかなか座席が取れないが、吾輩当日朝7時半過ぎに青森駅で指定席を購入したが、ラッキーであった。

 

青森駅1番線出発ホーム。青函連絡船が消えた青森に数少ない詩心のある列車か。

五所川原駅の立佞武多のデモンストレーション

 

 

 すれ違いの停車時間に写真写真

五能線のリゾートしらかみで、津軽三味線の実演サービスがある。

途中、10分ほどの見物停車時間を取ってあり、乗客全員が、千畳敷という隆起海岸を散策。

 海岸線がきれいな五能線の青森部分だが、ここが写真のベストスポットらしい。

この先、ウェスパ椿山 という変わった名前の駅でおり、不老不死温泉へ行く。

5時間半ほど不老不死温泉で過ごし、夕方16:55発のしらかみ4号で秋田へ。

 

 

 


津軽海峡冬景色

2017年06月26日 22時58分21秒 | Weblog

6月26日(月)、前日の日曜は梅雨で日比谷公園テニス中止。土曜日は、県人会の役員として兵庫高校東京同窓会に出席し挨拶。日曜こそと日比谷でテニスの予定。しかるに日曜は雨で、予定は狂ったね。。

吾輩は梅雨に怒った。そこで、急遽、大人の休日倶楽部のパスで、青森の日本海岸・黄金崎不老不死温泉に行こう!しかし、ここは宿泊の予約は取れない人気温泉。秋田新幹線で、五能線を下る案を立てるが、なんと接続の秋田新幹線が満員。仕方ないから新青森まで行って、翌日27日に青森から五能線を上りで「ウェスパ椿山駅」まで行く選択肢を取って、青森泊とすることにした。

翌日27日朝一番のリゾートしらがみ2号8:10青森発で、五能線の旅を2回目になりました。

そうすると、27日は青森で時間が余る。そこで、津軽線で北のはずれの竜飛岬まで行きました。往復の時間は大変で、なかなかいけないよね。でも終点の三厨(みんまや)でバスに乗り継いで、時間をかなりかけて、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」の碑まで、夏の津軽海峡を見ましたよ。碑の前で、津軽海峡冬景色のテープを流すのが面白い。

 結論。津軽は梅雨がない。6月はカラッとして実によい気候。

風は強いがカラッとしたいいお天気だが、逆に、冬場は寒いだろうなと想像。

冬の苦しみ悲しみの北海道へ渡る人の苦労を垣間見たよ。歌の意味が分かったね。

 

吾輩の雄姿?

向こうが北海道。北のはずれだ。梅雨がないから快晴だ。

かっての青函連絡船 八甲丸が青森駅で博物館になっている。


梅雨の晴れ間の日比谷公園

2017年06月09日 21時47分47秒 | Weblog

今日6月9日は梅雨入り2日目。でも幸か不幸か、連日さわやかな晴れ日。今後梅雨がどうなるかは分からないが、まあ、いい天気をエンジョイしよう。

吾輩は、例によって、日比谷公園でテニス。テニスエルボーになって以来、約1カ月ぶりのテニスだが、腕が悪くても、いま楽しまなくっちゃと。

東京消防庁の金曜コンサート。

日比谷公園にも、ローマの象徴、」ロムルスの像がありました。

バラが咲いている。

日比谷に新しいビルが完成した。

 


ローマの休日 7 ラヴェンナ

2017年06月08日 20時54分28秒 | Weblog

イタリアの田舎町 ラヴェンナを知っている人は多くないだろう。

ここは、西ローマ帝国ホノリウス帝最後の首都であり、西ローマが滅んだ後、東ゴート族の国家の首都でもあった。東ゴート族国家を追放した東ローマ帝国の西ローマ帝国における出張所みたいな位置づけで、その後、ロンゴバルト族の支配に置かれるなど、歴史の変遷を味わった街である。

現在は、イタリアの中小地方都市で、吾輩の見るかぎり、老人人口の多い地方都市、日本の高齢化社会の先輩のように見えた。

467年に西ローマ帝国が滅んだ。オドアケルという東ローマ帝国の官僚兼軍事顧問が西ローマ帝国の面倒を見ていたが、この年、最後の西ローマ皇帝を追放し、以後17年間オドアケルがイタリアを支配。493年東ゴート族のテオドリックがイタリアに進出、王国を建設、ラベンナを首都とする。

以後ラベンナは、東ゴート王国の首都として、553年に東ローマ帝国に滅ぼされるまで、蛮族と言われるブルグンド族・ランゴバルト族や東ローマ帝国などの草刈り場的群勇割拠的な戦国のなか、東ゴート王国の首都として機能したのだ。

そういう時期に、東ゴートの最盛期の王 テオドリックの霊廟が作られたのが、これである。

大理石で作られた2階建ての墓で、いまでは中は何もない。極めてシンプルで大理石の迫力があるが、、世界遺産にはちょつと無理かなと思うね。でも、この遺跡の迫力はとにかく一回見てみるべしと思う。

今回のイタリア旅行の最大の目的はラベンナの「テオドリックの墓」見るためであった。

そのため、ローマから、イタリアの誇る フレチェロッサ に乗るべく、テルミニ駅で ファーストクラスの切符を買いました。ローマテルミ二駅からフィレンツエを通ってぺルージャで乗り換え、ここは日本での名古屋みたいかな、ここでローカルに乗り換え、ラベンナまで往復、いい体験の列車旅行でありました。

イタリアの鉄道は思ったより、正確かつ着実で、どうせイタリア風ちゃらんぽらんだろうとの偏見を見事打ち消しましたね。EUのスタンダードが機能しているね。

 ラベンナは、東ローマ帝国時代のビザンチン・モザイク美術の宝庫であり、多くは世界遺産となっていて、こちらの方が、有名だ。

ただモザイク絵画の性格上、ラベンナが東ローマ帝国に支配されたユスチ二アヌス皇帝以降のキリスト絵画的モザイクであり、ですから、私が興味を示す、西ローマ帝国崩壊期のまだキリスト教に支配されていない時代とは、境を決する。

確かに世界遺産の数々。本当にきれいだ。現在の地方都市ラベンナに較べれは、当時は、圧倒的な富と権力が集中していたのだろう。

ロマネスク風の古い教会も味がある。

 下の写真の現代の建物と随分、趣が違うね。

 現在の市庁舎。本当にかわいい街で、自転車が大いに活躍している穏やかな町。


ローマの休日 6 ヴィッラ・アドリアーナ

2017年06月05日 10時36分29秒 | Weblog

ローマから東へ約30kmの山のふもとにチボリがある。チボリには、地下鉄PonteMnmora駅からバス行きました。イタリアの田舎にバスで行くのは大変だッた。チボリとい田舎町はまったく観光なれしていないの、分かりよくない。イタリ語がまったく通じない。その代わりに住人は大変親切で、身振り手振りで教えてもらって、やっとたどり着いた。大仕事だ。

ハドリアヌス皇帝の宮殿は見る価値がある。ハドリアヌスは、トラヤヌス皇帝までのローマ拡張政策=帝国最大の版図を現状維持に変更する政策変更をやった人であり、1つはイギリスのハドリアヌス・wallを、もうひとつは、ライン川からドナウ川を連なる リメス 防衛線を築いたのである。そうして辺境安全のため、在任中12年間にもわたり帝国領土を東西南北視察力をしてまわったのである。 そのハドリアヌスが晩年、広大な別荘を作り、旅行で思い出に残った属州や都市の名前を付けたのである。 後世の皇帝はこれにあまり興味を示さず、蛮族の襲撃以来長い間廃墟になっていたのを、1999年ユネスコの世界遺産に指定され、脚光をあびつつあるのだ。

 皇帝の別荘というより巨大な宮殿跡だ。ローマから30km離れているため、蛮族の襲撃やキリスト教徒の跡地材料利用で地上部分は消滅しても土台部分は当時そのままで残っているのが強みだ。

カノプス と言われるエジプトの神殿を模せられた人工池があり、絵家の周辺には優美なアーチやギリシャ風彫像が並べられていたとか。

大浴場の跡地。強大な天井屋根がとうかいせずに残っている。

ギリシャ語で ポイキレ と言われ彩色回廊のあった232m×97mの人工池。この周辺にも柱廊や100の小部屋という倉庫か警備兵の寝所があったと。

まだまだあるが、きりがない。広大な跡地を見て回って、余裕ができたので、次に  ヴィッラ・デステ (エステ家の別荘)にもよってみるとする。

チボリ市内へのバスに乗って、運転手に聞けば、運転手の仲間らしい男が、よく分からないが、途中で降りろといい、その右だと指さすので行ってみたら。正解であった。 ここも世界遺産で、エステの噴水は、一度は見ておいてもいい。何十年か前に来たような気がするが・・・

 

 

 


ローマの休日 5 水道橋公園

2017年06月04日 18時00分00秒 | Weblog

ローマの地下鉄A線で、終点の3つ手前の Subaugusta駅(新興住宅街って感じ)から10分で、地元の公園となっている中に古代の水道橋が一部残っている。

ここは公園で、ローマの南部、旧アッピア街道から3kmぐらい東にある。周辺は一面の小麦畑の感じ。

水道橋から漏れた水が小さな池を作っていたり、住民がジョッギングをしたり、木陰で昼寝ピクニックをしていたり、のんびり楽しんでいる。

ここには、ゴルフコースとテニスクラブがあった。当日午後1時ごろだったが、日本と同じで近所のおばさんが自転車でテニスにやって来たよ。ごルコースはやはり当地の人たちが気楽にプレーしている、ゆったりしたカントリーライフの模様。テニスクラブに見学に入ってみたら、暑い時間にかかわらず、熱心にやっていた。いずこも同じだ。     ここでカメラが調子を崩して動かなくなり、テニスコートを移せなかったのが、残念至極。

プロのカメラマンらしいのが、遠くで一人黙々写真をとっていたよ。芸術家だな。たしかに絵になる。

遠くに橋げたの一部だけが残っている。この残滓の違いは何か分からないが、おそらくローマ崩壊の後世になって、教会などの建築資材かなんかに再利用することで崩したのではないかな、よく分からんが。 一方で水道橋の一部に現代の丸いコンクリート製の導管で水を送っているところを見ると、現在も水道利用しているようだ。公園で水を流しっぱなしのローマ的水飲み場、水道の先端を抑えて、途中の穴から水が吹き出るのを、吾輩も飲んでみた。冷たいおいしい水だった。

水を送った導管が向こうまで見える。

その後、アッピア街道をバスで行こうとした。ここからすぐ近くで3-4kmぐらいだが、歩いて行くにはもう体力に自信なしだ。で、中心のテルミニ駅まで帰り、そこで乗り換えコロッセオからバスに。だがだが、アッピア街道から離れ始めた。どうやら、現在はアッピアアンテイーカは保存対象で、バスはう回路をとっている模様。  

10年前にはサンセバスチャン門を通り、マイルストーンを通り、旧アッピア街道を大分歩いてきて、この水道橋が見えるあたりで引き返した覚えがある。たが、今回はアッピア街道はダメだった。つまり、古代を歩く夢は未遂に終わった訳。


 オクト―バーフェスト in 日比谷

2017年06月04日 10時39分11秒 | Weblog

6月3日、久しぶりに日比谷公園散歩。 ありましたよ、ミュンヘンのオクト―バーフェストの向こうを張って、日本でビール祭り。  ローマの暑さと違う日本の日差しを実感。

ビール祭りはいいが、なんで10月にやるはずのを、6月にやるのか?    根本的疑問は解決されず、単なるお祭り騒ぎか、節操のなさか。日本人なら、なんでもいいよ、昼間からビールを飲めるのだから、、ぐらいか。 ちなみに2日から11日までやっているとか。 梅雨に入るよ。

ちなみに、吾輩もドイツビールとソーセージで楽しんだよ。


ローマの休日 4

2017年06月03日 15時30分00秒 | Weblog

ポポロ門 かっての フラミニア門 ローマから北へ行くフラミニア街道の起点。ここからローマ市内に入り、コルソ通りを1.5km直進コロッセオまで進む。途中でまた外国人に道を尋ねられたよ。

ここで野外のライブをやっていた。英マンチェスターでの自爆テロ直後だったので、厳戒態勢。ここからコルソ通りの1本隣の道でスペイン広場に続くバブイーノ通りに入ってすぐの Chiesa All Saints教会で、ローマのバロックコンサートをやるというのに出くわしたので、25ユーロ払って鑑賞。ヴィバルデイーの4季だったが全曲聞くのは初めて。まあまあ。

近くに初代皇帝アウグストスの霊廟があった。修復中。