紅葉という話になると、日本人は我も我もと出かけて行く。先日の神宮外苑の銀杏並木ばかりでなく、あちこちで紅葉狩りのようだ。春の桜に日本人が酔い狂うと思っていたが、秋の紅葉もだね。新たな発見。
六義園から本駒込まで歩くと吉祥寺があった。ここは昔、僧侶養成のお寺で、いわば駒沢大学の前身の相当するとか。
紅葉という話になると、日本人は我も我もと出かけて行く。先日の神宮外苑の銀杏並木ばかりでなく、あちこちで紅葉狩りのようだ。春の桜に日本人が酔い狂うと思っていたが、秋の紅葉もだね。新たな発見。
六義園から本駒込まで歩くと吉祥寺があった。ここは昔、僧侶養成のお寺で、いわば駒沢大学の前身の相当するとか。
イタリア旅行は幾分食傷気味。口直しに、銀杏の黄色を味わうのもいいよね。
昨日、たまたま快晴の青空で皇居や北の丸公園を散歩した。この時カメラを持っていなかったたため、翌日カメラ小僧をやろうと思ったが、2日と快晴が続くまいとも思った。
案の定、今日は晴れのち曇り。でもチャンスは少なくとも何とか写真撮影をやってみるのだ。
しかし、今はどこもかしこもイベントだね。神宮外苑も銀杏並木の色づきに合わせて、 銀杏祭りをやっていたよ。 吾輩は うに貝焼きと博多もつ鍋を食べたよ。
吾輩は
シラク―ザから約120km北のイオニア海岸沿いにタオルミーナというリゾート地がある。
ここもかってはギリシャの植民都市であったが、後背地も小さく、小じんまりした港町で風光明媚だけの田舎町であったせいか、シラクサほどには歴史の争奪戦の対象とならず、ギリシャ劇場を中心に昔の雰囲気が良く残っており、今では有数のリゾート地となっている。これはきれいな街で、お勧めと言える。
これが街のメイン通りに張ってあった写真を写したもの。ギリシャ野外劇場の半分崩れた間から、雪をかぶったエトナ火山と青い海が見える。
1kmぐらいの道を中心に、日本の街道の宿場町的にきれいな街並みが異国情緒を有した、リゾート地。
今回のイタリア南部旅行の最大の目的は、シラクサ=シラクーザの地を見るためであった。
シラクサはオルテージャ島という東はイオニア海、南は地中海に面する要衝の地で南北1・5km、東西0.5kmの島。この島をめぐって、何代もの歴史の王朝、支配勢力が軍事要地として政権をかけて争い、その結果、何重にも歴史=軍事衝突=征服・敗戦・被支配という形を残し、それぞれの時代に栄えた街。歴史に興味のある人には見逃せない地。塩野七海のローマ後の地中海によく書いてある。
BC740年ごろギリシャ人が植民都市として入植 アポロ神殿などを建設。オルチージャ島の真ん中にアポロン神殿を建築 この遺構が島の真ん中に残っている。
アテナ神殿のあとは、7世紀の現在のドウオーモに改築され現在へつづく
ギリシャ劇場が白い大理石をそのままくりぬいた形で残っている。ギリシャ劇場はアテネ・アレクサンドリア・シラク―ザが3大劇場とか。
BC 212年 ローマ軍の攻撃に会い、シラク―ザ陥落。この時、あのアルキメデスが(この地出身)がその知識を最大限生かし武器で、ローマ軍に抵抗。ローマ司令官はその能力を評価し、決して殺すなと命令を発していたが、シラクーザ陥落時の混戦のなかで、アルキメデスも一老人兵士として刺殺されたとか。
その後、シチリアでの第1次奴隷反乱、第2次奴隷反乱があり、ローマ本土ではBC73-71年と剣闘士スパルタクの反乱。その後ローマの最盛期、幸福な5賢帝の時代という最盛期を終えて、
AD 150年頃から、ゴート族の南下、蛮族のローマ帝国内への居住。以後ゲルマンのガリア・イタリア侵攻が続く。
AD 374年 フン族の東ゴート遍の侵入。ゲルマン民族大移動へ。
AD 378年 アドリアノープルの戦い ローマ皇帝ヴァレンス戦死
AD 395年 ローマ帝国東西分裂・テオドシウスの分割
このころから、ヴァンダル族のシチリア支配。 AD 476年 西ローマ帝国消滅
AD 535年 東ローマ帝国のシチリア支配
AD 570年 マホメッド誕生。 635年 ダマスカスを首都に。600年ごろから急速度で膨張
AD 670年 チュニジアのカイラワンをアフリカ支配の首都とし、AD 710年 ジブラルタルを渡りピレネーまで至る。
シチリアへは、
AD 877年、歩兵1万、騎兵700、軍舟100 隻で、ビザンチン帝国領シラクーザを攻撃。現地守備隊は
ビザンチンの応援を得られぬまま、応戦壊滅。
以後200年にわたり、サラセン領となり、パレルモを首都とする。
AD 1085年 ノルマンのシチリア攻撃でシラクーザ陥落。 英国のノーマンコンケストと同じころに、東はシチリア島でもノーマンコンケスト がおこなわれたのだ。
AD 1239年 ノルマンの遺産相続者 ホフェンシュタイフェン家のフェデリーコ2世が、シチリア島の最南端に城塞を作り、これが現在に至る。
フェデリーコ2世の前はどんな要塞だったか。
1000年も前のの防塞要壁の一部が現在も使われているようだ。
確かに、海側から直接上陸攻撃は犠牲が大きいだろう。後背地から陸伝いで攻撃するのが順等だろう。
この激戦地、オルチージャ島を是非とも、この目で見たい。そして 着た、見た。過去の激戦地も今は平和な、イオニア海・地中海で、平和なヨット競技の緩やかな青い海である。
往時茫々
シシリー島はかってローマの穀倉地とされた植民地であった。
その片鱗を見ようと思ったが、残念ながら小麦畑の大穀倉地を見えなかった。
それでもかような農地生産には奴隷労働力が必要であっただろうと想像がつく。トラクターも耕運機のない時代は、馬・牛・人間奴隷しか生産性を維持する手段がない。
そいう現代にも続く過疎地をバスで進む。ロングどらいぶで、シチリア半島の東南部のシラクーザに。
ここシラクーザは、ギリシャ・ローマ・ヴァンダル族・ビザンチン&法皇領・サラセン・ノルマン・フランスと、長い歴史でこれほど見事な層的歴史を示すところもない。血で支配を決定するという典型的な要衝の地である。
かって、ギリシャとローマの戦いで、この地出身のアルキメデスが、対ローマ軍に各種戦闘兵器を考案しローマに抵抗したが、サラク―ザの陥落の混乱時に殺害された。こうしてローマの支配下に。
877年には、アラブによるシラくーザ攻防戦。ビザンチン帝国の援軍が来ない中で、現地ビザンチン軍ンが壮麗な敗北・虐殺がおこなわれた。その後、ノルマン人王朝がシラクーザからアラブ人を追い、パレルモにシチリアの首都を置いた。
シラクーザはノルマンの城
ギリシャ時代の建造物あと
今回の南イタリア旅行への参加はシチリア島見学が入っていたことが、大きな決定要因。もちろん料金も、それに燃料サーチャージがないことも大きいが。
イタリア入りの初日はナポリ市内のホテル泊。翌日カプリ島の青の洞門は波が高く舟が出ず中止。ポンペイ遺跡見学のあと、20時にシチリア島パレルモ行きフェリーにバスごと乗船。出発は22時ごろ。我々は2等個室泊。ここで夕食それに朝食も食べ、翌朝7時30分パレルモ着。 ナポリの夜景は奇麗。ナポリを見ずして死ねなかれと。
翌朝早くシチリア島のパレルモ港上陸。安く上げるためか、8時前からバスで市内観光。そして8km近くのモンレアーレに行く。ここのノルマン王朝のドゥ―オーは美しく迫力がある。以後、どこの町に行ってもドウヲ―モが街の繁栄・財力の集中・蓄積が見てとれる。
この後、シチリア島の南側のアグリジェントへ、ギリシャ神殿を見に行く。
この海・地中海の先がアフリカだ。
イタリアは世界遺産が世界1多い国。
今までそうとは思わなかったが、考えればキリスト教圏、英語・フランス語・スペイン語・ドイツ語というラテン語の影響を多分に引き継いだ国々が、世界の主流を占めているのだから、どうしても、文化遺跡や美術品や美しさ・歴史的価値などなどに関する価値判断=重要度はそれぞレの慣れや関心に行きつくのは否定しがたいヴァイアスであろう。
まあそんなことを言っても始まらないが、今回のイタリア旅行で感じたのは、文化というものが、時代時代によって民族・人種・政治権力によって大きく異なるという事実である。美しさというものも客観的であるようでありながら時代背景の主観的好みを多分に反映しているように思える。
まあ、そんな歴史哲学や美術論を言っても仕方ない。イタリア旅行でどうだったか。
今回は、南イタリア・シチリア10日間の団体旅行。ちょうど夏のバカンスが終わり冬期に入る前の閑散期で、したがって運賃・宿泊費が安い。だから日本人の暇な老人が多く参加するという構造。
最初はローマ空港からナポリまで直行。バスでナポリ市内を見て宿泊。途中、あのモンテ・カッシーノ修道院の下でトイレ休憩。どこの旅行に行っても日本人は異常にトイレばっかりだよな。
モンテ・カッシーノはいろいろの歴史の場面で出てくる著名な修道院で、ここがローマに近く戦略上の要衝であるからだろう。フランスの モンサンミッシェルは宗教と海上砂洲の美しさが中心のもだが、ここモンテ・カッシーノは、歴史のいろいろな局面で攻防略奪の対象なのだ。
ナポリに入るがその評判はイタリアの南北問題と言われるものがナルホドと思われる。現代の国際都市間競争に完全に遅れている、いやそういった観点を放棄の独立自尊の18世紀的旧ナポリ王国的発想かも。
翌日はアウグストス初代ローマ皇帝もその別荘としたという日本人で有名なカプリ島・青の洞門へ。
でもシーズンオフの安い旅行では、おてんとうさまが、そうは問屋が許さない。当日、天気清朗ならず風強し、で島への渡る船が欠航。 ああーやっぱりダメだ。
でそのまま、急に時間つぶしにナポリ国立博物館で次の日程ポンペイ遺跡まで時間をつぶす。ここはナポリ王国の首都だ。ポンペイ遺跡の文物が集められている。
ポンペイの遺跡の娼館の絵印なんか始めてみるよ。昔のローマ人もバック・後背位をやっていたみたいだね。
そうしてポンペイを見学。思えば40年ぶりだな。 昔のポンペイもこんな観光的で。なかったような気がするがネ。すべて往時茫々。センチメンタルジャーニーに徹しよう。
退屈御家人なのかで、旅行もいいかと考え、トラっピクスの団体旅行に乗って、11月5から14日まで南イタリア・シチリア旅行に行ってきました。 なんでも経験だ。無駄も経験だ。
日本人の旅行には、いろいろあろうが、大きく分けて、
①弥次喜多道中や お伊勢参りのようなワイワイガヤガヤの団体旅行と
②芭蕉のように、「片雲の風に誘われて漂泊の思いやまず、月日を百代の過客」とする漂泊の一人旅という2つのパターンがある。
吾輩はどちらかというと、斜に構えるタイプ人間性の故か、芭蕉的な一人旅が好きではある。でも現代的お伊勢参りの団体旅行は、旅行会社が企画する日本人が好みそうなところを可能な限り取り入れ、いわば幕の内弁当風に、あれもこれものテンコ盛り旅行が日本人の海外旅行うの主流で多くの人が満足している。ひとえに日本人の好奇心旺盛さという民族性の特質からだろう。
実際、団体旅行はいい。もし仮に同じ行程を個人旅行で行うと、時間と経費の両面で軽く2倍を越えるであろう。団体旅行は近代的、大量生産大量消費の合理的スタイルなのである。 だって、旅行の毎日に、今日の昼飯を、晩飯をどこでするか。それよりどこで泊まるか、その時間の枠内で、どこへ行くか、等々をすべて自分の判断とリスクで行うのは大変な労力とリスクである。団体旅行では、会社の添乗員がすべてそういう面倒くさい背景を処理してくれるし、自分の判断で、何をどれほどに、何時間ほどで見物するか、自分で決定しなければならない。
能書きはどうでもいいが、11月4日から14日まで、南イタリアからシチリア島を巡る旅に出かけました。
11月の第3木曜日はボジョレー・ヌーボーフェアーの解禁日。この日は多分にあそびの要素が多く、イギリス人が戯れに設定したのが、広まったとか。 確かに、ボジョレー・ヌーボーは若いワインでおいしさがあまりないのに、なぜ大騒ぎするのかと思っていた。
日本では山梨ブドウと山梨ワインが、今日11月3日を以てヌーボー解禁をするとか。あちこちでいろいろなイベントをやっている中で、「山梨ワイン」を勝負するのは、その心意気に、よし としよう。
昨日は代々木公園。今日は日比谷公園。吾輩は節操無く、友人に誘われるまま見に、飲みに行きましたよ。本当に吾輩は軽佻浮薄だね。しかし、この軽佻さが老人の生きていく術かもしれないと思っている。
日比谷公園は10時過ぎから、試飲と販売 フェ―アーをやっていたが、いい天気に恵まれ、連休3日目は大賑わい。11時に週合して、まず2000円で10杯の試飲チケットを買うのだが、これが数千の凄い長蛇の列。そこまでして対してうまくもないヌーボーか と吾輩は憎まれ口をたたくが、わが老人連中は牛のごとく、長蛇の列に入って1時間半待ち。
ワインを試飲しながら皆さん殺気立っている。
そこで吾輩は、この間長蛇の列を抜け出し、日比谷公園秋景色を撮影。
松の手入れの植木職人。後ろの近代的ビルとの違い。
日比谷公園で日本菊華展覧会をやっている。1年丹精を込めた菊を品評にかけ、その美しさを競う。これが日本の文化なのだろう。「花より団子」より」むしろ「酒より花」という文化もいいよ。
お父さんがお母さんの写真を撮っている、いい姿だ。
デング病の危険から長い間閉鎖されていた代々木公園が、昨日11月1日からやっと再開された。時の流れは速く、デング病から今はエボラ出血熱の方が人口に膾炙されるようになっている。
デング熱病原菌の蚊に最初刺されたのがこの場所だ。若い人達がダンスの振り付けをしていたが・・・・・
代々木公園の秋景色
となりの代々木広場では渋谷区の秋祭りで全国各地の物産展やNHKを開放した秋祭りだ。
なんか、日本人はお祭りやイベントが大好きだね。あちこちで踊り狂っているね。天下泰平。