江戸の退屈御家人

世の中のいろいろ面白いことを野次馬根性で・・・・

暑い日にテニスをする

2019年07月31日 19時34分00秒 | Weblog
今日7月31日は関東各地で34度c前後の猛暑日である。
 吾輩は約束があったので南千住汐入公園まで行きました。15時から17時まで2時間、参加者は女3人男2人の計5人の老人ばかり。 無謀の沙汰。

 暑い日中は子供達は水遊び。

若い人たちはテニスを楽しんでいる。彼らは元気で、疲れを知らない。


老人も負けずに年甲斐もなく暑い中をテニス。誰が見ても非常識的。だが人生なんでも狂ったほうが勝ち。やらないで後悔するよりやって後悔するほうがいい。

暑さに負けないのはきれいな花ですね。


この後  都バスで  旧吉原遊郭の 吉原大門まで行き、精力をつけるため、「見返り柳」を斜めに「土手のあつみや」で江戸の昔からの 「蹴っ飛ばし」つまり馬刺し ではなく 「桜鍋」と「桜の握り」 を楽しみました。
暑い中でも幸せ!



食べた後

 都々逸もありました。







日比谷 大江戸祭り

2019年07月28日 18時44分00秒 | Weblog
 7月28日の日曜日、日比谷公園では日比谷大江戸祭りが行われていた。

  こんな祭り聞いたことがない。だがこういう風に新しい人集めの企画が日本全国でいろいろ行われている風潮が現代である。

取り立てて文句を言うほどでもないが、何か日本人は遊び呆けている民族のように思える。それが悪いことでは無いのだろうけど、何か軽佻浮薄の気がするのは「江戸の退屈御家人」本人が歳とって老化し始めた兆し---小言幸兵衛--かもしれない。











お祭り騒ぎの隣では、ポケモンを追いかけ多くの人がスマホを持って集まっている。


さらに隣には野外音楽堂でのライブの前にグッズを買うための長い行列。日本は平和だ。






東京の夏--隅田川花火

2019年07月27日 19時55分00秒 | Weblog
 7月27日土曜日、東京はまだ梅雨明け宣言がされていない。しかし台風が本日、三重県に上陸し中部地方を北上している。こういう中で東京地方は事実上梅雨明けと思われ、大変暑い。


本日は、例年通り隅田川の花火大会の日。昨年は大雨で大混乱が生じた。しかし今年は台風の上陸で心配されたが、夕方から曇り空でもあるが花火大会日和となった。
午後7時を期して花火が打ち上げられた。










おまけ

今日千代田区の図書館に本を返しに行く途中  九段会館の改修工事の様子図があった。


これが九段会館の改修後の完成図である。

  九段会館は旧軍人会館であり、昭和5年のコンペで昭和7年に竣工し昭和9年に完成している。2.26事件の時は、戒厳本部に使われ、1945年にはGHQのアーミー-ホールに使用された経緯もある。この頃流行った城郭風建築様式で、満州の長春-- 旧満州国の首都新京にも同じような城郭風の建物が残っている。そーゆー歴史的な位置づけがある。

2011年の東日本大震災の時、シャンデリアの落下により2名の死亡事故が起こった。ここで経年劣化もあり廃業となって新しく競争入札で東急不動産が昔の城郭風の外観を残し17階建ての高層ビルを建てることで落札した。
  平成30年5月7日から解体工事に入り平成32年7月31日で解体を終了。そして新建物はで令和元年7月16日工事開始、令和 4年7月15日に完成を予定している。
   それが表記の写真である。建物が持つ歴史の大きな流れを感じさせる。
 
隅田川花火も徳川第8代将軍吉宗が当時の飢饉や疫病の流行に庶民を慰安するため始めたとエンタメと言われている。東京はいろいろ本当に長い歴史があるんだ。
  
  


久しぶりに文学を読む

2019年07月25日 23時36分00秒 | Weblog
 ロンバルディアの歴史旅が終わった後、1種の放心状態。
  こういう時に久しぶりに場末の飲み屋の後、図書館に行った。たまたまパラパラ眺めていたら結構面白い本がありました。 
  そこで借りました。
名前は「ボディー-レンタル」でした。
佐藤亜有子氏の 半分ポルノ 文学小説であった。東大仏文科卒の作家の これは1996年出版の、もうかなり古い本である。
  この頃吾輩はカタギの生活で、軟弱な?文学とは縁のない生活であったと恥じているし、当時新宿歌舞伎町のノーパンしゃぶしゃぶに行こうとして行けなかった慚愧の念の頃である。

 作者は1969年生まれで、この本を書いた後「ママン愛人」を書いたりした。




そして2013年に43歳でアルコール中毒-急性薬物中毒で死去。
まさに典型的な破滅型小説家であった。そこで私はいろいろ調べると彼女はやはり育った環境も病的で、半分自伝的な小説でもあるのがわかった。 

  本当に久しぶりに文学と言うジャンルを三日間で2冊を一気に読んだ。
  やはり文学の世界は 人間が深い。

ここで思い出したのは、この頃、慶応の哲学の先生であったであった「池田晶子」さんがやはり42 3歳で亡くなったことである。
 この方の文章や本はいろいろ読ませてもらったが、佐藤亜有子は知らなかった。

  優秀な知的な女性は憧れだが、今はそれも往時芒芒。


ロンバルデイアは夏の青空 (その4) おしまい

2019年07月22日 23時33分00秒 | Weblog
7月11日からイタリア北部のロンバルデイア平原を旅行してからもう10日が経つ。時の流れは早い。
 
今回ロンバルデイア に行ったのは、西ローマ帝国崩壊の前後の歴史に興味を持っておる故、ローマの後のイタリア の跡を見たかったのだ。
でもそんな昔の記憶遺跡が残っているはずはない。だが今回イタリア北部ロンバルディアの世界遺産8カ所も訪問する旅行があったのでこの団体に乗った。
 
私は 世界遺産 には特段の興味があるわけでは無いが、ローマ帝国崩壊前後の政治史に興味があるから参加したわけ。
 
今回の旅行のテーマは世界遺産8カ所で 、先史時代の遺跡から東ゴート族のローマ侵略、その後のロンゴバルド族の侵略 とイタリア支配200年、その後の北イタリアの中世の発展、その後のサン・フランチェスコ信仰とその巡礼遺跡、さらにその後の、産業革命の時代、さらには第一次大戦、第二次大戦期のイタリアの栄光に伴う世界遺産など多方面の文物があったが、逆に、時間軸の幅が広いだけに焦点が分散してしまって、何か見たなぁと言う感じで私には終わった。
 
 
そういう意味で計8カ所の世界遺産という企画ははそれぞれ歴史的にも多種多様でありそれなりの意義があるのだろうが、吾輩には必ずしも全部が全部心惹かれるものではなかった。要は関心の問題である。
 
いずれにせよ今回の世界遺産を巡るロンバルディアの旅は各人それぞれの関心によって、重要度が違うのであろうが、こんな企画は二度とない。
最後の世界遺産地がロンゴバルドの首都チヴィダーレ-デル-フリウリであったのが、
これが吾輩の最高の関心事であった。ここはロンゴバルドの 「権政の足跡 」Places of powers. の跡地であった。
 
これだけでも. 北イタリアロンバルディア地方に来た 甲斐があった。
 
今後は自分1人で、各地域を自分の足で思う存分回ってみたいと思う。しかし年齢体力からしてその実現性の可能性については保証の限りではない。
 
今日、 IAEAの事務局長天野氏の死亡が発表された。
同氏とは直接の面識はないが、同年代の人が世界に活躍しておられたが体力がここに尽きてついになくなった。心から冥福を祈る。
 
 

豊洲の繁栄

2019年07月21日 16時52分00秒 | Weblog
昨日豊洲シビック-センターで アマチュアオーケストラの、 メンデルスゾーン演奏会を聴いた後、豊洲周辺を散歩した。
 
豊洲地区は昔の石川島播磨造船所の跡地などを再開発して近代的な高層住宅ビルが林立して、小学校が足りないと言うニュースがあって久しい。
 
我輩も20年位前に豊洲のドウ-スポーツプラザでテニスの教室に通った覚えがある。その時はまだ空き地が多くて工場跡地の平原に暫定的な仮ビルで運動施設をやっていた。今は大きな近代的ビルの中にドウ-スポーツプラザが入っている。
 
本当に時間の経つのと都市再開発の賑わいの変化は激しい。豊洲が近代的なファッションの街になっていた。
川の向こうには豊洲市場も引っ越してきたし。
IHIの造船ドック跡地を中心にに海浜公園を作って、若い世代のために、ライブまでする時代だ。
 
昔の船を係留する杭が記念に残されている。
 
こういう海浜公園で、若い夫婦が子供連れでスナックで時間を楽しんでいる。
きっと彼らの親達は 50年前に多摩ニュータウンに住んだのだろうが、
子供の世代は多摩の田舎を嫌って都心部に住んでいるのかなと想像してしまう。
 
日本の時代変化は激しいのだ。
 
我輩はそういう感慨に浸りながら、バスと地下鉄を継いで 近くの 森下 の 「魚三 」呑み屋へ。
5時にはすっかり満員で、約50人がひしめき合っていた。
ここでビール大ビン1本、ホタテとエビの刺身、ハゼの天ぷら、マグロの刺身それに日本酒1合を飲んで腹いっぱい 計2270円。
ここは深川の下町である。
 
 

オーケストラ ノット第7回演奏会--人生の豊かさ

2019年07月20日 20時33分00秒 | Weblog
今日7月20日、豊洲シビックセンターで オーケストラノットの メンデルスゾーン演奏会が開かれた。
 
ロンバルディア世界遺産の旅の添乗員さんが、この演奏会で演奏するとかで、パンフをくれ無料だと言うから、退屈御家人は聴きに行きました。
 
このオーケストラは2018年発足のアマチュアオーケストラであって、その年の第一回演奏会から1年のうちに7回目の演奏会をやるそうである。他に特別演奏会も含めて計8回と。
 
オーケストラの代表高橋氏は某国立研究所の研究員であり、同時にクラリネット演奏者と言う三役を兼ねている。 そしてメンバーは定かでないが全員それぞれの職業を持ったアマチュアであるようだ。
 
演奏会には若手の優秀な学生演奏家をメンバーに加え、彼ら彼女らの将来の飛躍を期しているとともに、今回は東京芸大の横田準教授のクラリネットや芸大4年生の吉本萌慧さんのバイオリン独奏や芸大4年生の山上絋生さんを指揮者に加えている。
このメンバーはバイオリン12名ビオラ4名チェロ4名コントラバス1名フルート2名オーボエ2名クラリネット3名ファゴット2名: 2名トランペット2名ティンパニー1名の計35名の大所帯ある。
 
こういう素晴らしい文化があるのを今回初めて知った。これぞ人生の豊かさである。
 
われわれはこういう文化をあまり楽しむ機会がなかった。
 
今、老人の境地になってこのことをつくづく残念に思う。若い人たちよ、人生を楽しめ!

ロンバルディアは夏の青空 その3

2019年07月19日 22時54分00秒 | Weblog
1週間のイタリアロンバルディア平原の旅を終えて帰ってきた。 12時間の空の旅は大変きつい。いつまで旅行にいけるか不安になってきた。しかしそれはそれとして今回は
 
全部で8個の世界遺産を見る旅であった。団体旅行であったが参加者は8人きり。全員が年配者で1組の夫婦以外は男が3人女が3人と言うそれぞれ独立の参加者で皆さん私も含めて旅慣れている。
 
ですから大変楽しい旅行であった。
 
年齢がいって旅行を楽しめると言うのは非常に良いことだ。
今日行くところがある(教育)
今日用事がある(教養)
と言う事は生きていくのに1番大事なことではなかろうか。
そして好奇心が旺盛に何でもみては感動する。
 
カポ ディー ポントと言うアルプスの南端にある小さな渓谷にヴァル カモニカの岩絵群があった。もちろん世界遺産だ。
次はやはりアルプス南端の先史時代の レドロ湖の杭上家屋群遺跡
ちょうど時期的にも日本の縄文時代の遺跡とそっくりである。
 

ロンバルディアは夏の青空(その2)

2019年07月14日 23時19分00秒 | Weblog
ロンバルディア地方の世界遺産を巡る旅
 
格好良く見えるが、団体旅行に乗るだけの安易な 老人の旅。
若い頃なら何でも見てやろうと、自分の足腰、体力を信じていた。
 
できない事は何もないと思っていた。
 
しかし歳月は人を待たず。今つくづくそう思っている。
 
そこで軟弱ながら安易な団体旅行に乗りました。
 
歳とった軟弱者には軟弱者らしい楽しみ方もあると信じている。
 
今回はロンバルディアの世界遺産の旅で
1、サクリ モンティ
ピエモンテ州とロンバルディア州の山あいを中心にキリスト教の巡礼地として崇められた地域がある。そこにはキリストの受難のいろんな要素を絵や彫像などで見えるようにしたサンフランシスコ信仰を形で表したお札参りみたいな巡礼地。
2、クレスピ ダッタ
 
ベルガモ近郊の水辺に労働者のユートピアとして誕生した クレスピ の工場&従業員住宅跡地。
産業革命の時代 イギリスに遅れて参入したイタリアの資本家クレスピ氏が
綿織物工場とその従業員の住居を確保して当時の状況からは最大の従業員福祉と会社の生産性確保を実現した跡地である。
例えば日本の多摩丘陵開発計画の団地では、 は開発から40年たった今、その子供らの世代はここではやっていけないとして先細り消滅の声が聞こえる。
クリスピ ダッタの町は今も当時の従業員の末裔が住んでおられる。
会社当時の織物工場はとっくに時代に流されて閉鎖しているが、問題はその労働者住居後が、今も当時の従業員の末裔が住んで楽しんでいると言う事実である。 しかも、
 
これは私が個人的に思うのだが、東京の田園調布に勝るとも劣らない住環境である。
 
当時の綿織物の世界はかつての京都でのガッチャマンと同じような一獲千金の世界であったのであろう。それにしても立派な住宅街が残っている。世界遺産に相当すると思う。
 

ロンバルディアは夏の青空

2019年07月13日 22時21分00秒 | Weblog
イタリア旅行でミラノに来た。ロンバルディア平原は非常に美しい。イタリアは南部と違って北部はヨーロッパそのものである。
 
ロンバルディアの世界遺産を見るツアーで来ている。
 
オルタ湖の オルタ サン ジュリア女子修道院

明大博物館

2019年07月08日 22時50分00秒 | Weblog
今日7月8日、日大歯科での定期検診に行った。
 
その後、暇になって帰り道、近くの明治大学に寄ってみた。
 
そこには明大博物館や阿久 悠記念館があった。
 
野次馬のおじさんは 明大とは縁がないが、博物館もおもしろかろうと、行ってみました。
 
一昨日の76日わが大学の卒業50周年記念式典のやりましたが、全く同じ時期の明治大学その他の大学も,こんなものであった
 
カルチェラタン懐かしい。私もここでデモの最中の、高校の同級生で大阪市立大学に行っていたやつとばったり会った。やつも学生運動もしていたのだ。
その後奴は公認会計士をやっていたが、早く亡くなったと聞く。 人生いろいろ。
 
博物館の展示写真の1部。
 
昭和44年3月の神田周辺はこんなもんだった。カルチェラタン とかで大学校舎を占拠、机や椅子でバリケードをか、我輩がが特に思い出にあるのは、新宿駅騒乱事件だ。これを知ってる人は本当に昔の人だ。
 
卒業50年はこういうこともいろいろ思い出させる。
 
往時芒芒。
 
それはそれとして、明大のOBたちは素晴らしい。博物館にそれを表している。考古学の発掘調査もやって、それ以上の実績をあげていた。素晴らしい。
 
 
ギロチンや鉄の処女という刑罰博物館資料。
 
 
明治時代の絞首刑台の実際の姿。
 
江戸時代末の実際にあった、やりで突き刺して殺す刑罰。これは戦国時代の昔から日本でやっていた刑罰方式である。
 
今の神田駿河台は、やはり時代の波が押し寄せている。有名な 山の上ホテル が今全面改修中である。変化は厳しい。
 
 
 

七夕や 織姫見えぬ 薄き闇

2019年07月07日 20時42分13秒 | Weblog
 今日は、7月7日、七夕である。

昨日は、せっかく 鯵の なめろう と、それを作るに至った背景の 大学卒業50周年記念の会合の心を少し書いたのだが、ブログの技術的キャパから、見事排斥されてしまった。いまさらもう一度同じ文章を書く気がしないから、別のことを考えた。

紫陽花の季節が終わろうとしている。

花は盛りをのみ愛でるものでないと先人入っていましたね。