江戸の退屈御家人

世の中のいろいろ面白いことを野次馬根性で・・・・

虹かかる 天橋立 股のぞき

2016年08月31日 21時03分17秒 | フォット俳句

虹かかる 天橋立 股のぞき

    日本三景の一つ、安芸の宮島、陸奥の松島と並ぶ。天橋立は昔から、白砂青松、日本の美の基本。単純に眺めると龍が降臨する姿と言われているが、股のぞきをすると、天と地が逆さになり、龍が天に舞い上がるように見えるとか。幅170m全長3.6kmの砂嘴に8000本もの松が茂っている。遠くに虹が見えた。これぞ+日本人の心だ。

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夏の終わりに 

今日は8月31日、夏の終わり。吾輩は今月8回目のテニスを楽しんだ。暑いのにバカに見えるが(自分でもそう思う)、あえて自己弁護を試みると、天の橋立のように優雅な旅行もいいし海外バカンスもいいが、日本国内の東京で暑い中での我慢大会ではないが、これは、一種の無我の境地を楽しんでいるのである。

 暑い中でテニスをしてると、何も考えない。過去も、今後の行く先も、後も、利害関係も、会社も、女も、金の足りないのも、すべてを忘れて没我一念、ただ球を追ッている。これは一種の宗教的没我の心境かも。

テニスに出かける前に、近所の事務所で公認会計士をやっている友人と出くわした。難しい顔をして事務所に通っていたが、彼には仕事があるのだろう、お前、もっと遊べよと、言えなかったな。俺は狂ってルンルンなのだから。

ウィイークデイの今日31日に、老人の世代の人間が9人も集まり、家庭の奥さんも放りだして、みんな何も考えず、ひたすら球を追う。これぞ今この時を生きているとの存念なのだが、当事者たちはもちろん何も考えていない。終われば、ビールを甘露甘露と飲む。思えばバカな姿だ。

このひと時を生きる。その間何も考えない。

昔の男は、がむしゃらに働き、疲れ果てて飯を食い、酒を飲み、女を抱いて、あとは大いびきをかいて意地きたなく眠り呆ける毎日の繰り返し・・・・・これが理想の男の世界なのだ。

ここには自律神経失調症とか、不眠症とか、うつ病とか、精神症とか、現代的病気++++の発生はないね。人間、忘我の境地が一番だな。

今日、TVを見ていたら、「鳥人間コンテスト」をやっていた。

学生諸君なら、夏休みであろうとなかろうと、夢中になれる世界に浸り、すべてを忘れ楽しむことができる。サッカーでも野球でも、駅伝でも。

室町時代の 閑吟集には  「一期は夢よ、ただ狂え」 という言葉があるそうな。

現代人の問題は、頭の意識が強すぎる、これをいかに平穏にするかような気がしている。  たんなる動物の一種なのに。


高円寺阿波踊り

2016年08月28日 19時48分55秒 | Weblog

8月の最後の土日に高円寺阿波踊りが開かれる。本年は8月27・28日である。昭和32年1957年に初めてやって以来、今年で60回である。60年と一言で言っても、長い。3世代である。60年もたてばすべてが根を下ろし、そこの存在となる。今では東京名物、東京を代表する夏の風物詩である。

吾輩も初めて高円寺阿波踊りを見物に行きましたヨ。60年もの経験から、地元商店街の振興祭りなんかでなく、舞台芸術の一種となっている。現に、「座・高円寺」という劇場で、金1000円をとって阿波踊りの参加連の一部を交替で舞台公演として見せるという。芸術の域ですよ。日本各地や外国にも「おしかけ踊り」かどうかは知らんが、大活躍しているよし。

阿波踊りの本番前の芸術舞台公演のあと、高円寺に来て「高円寺」に行きました。権威のある大きな禅寺らしい。杉並区の後発住人の何人が、高円寺や氷川神社を知っているだろうか。高度経済成長は日本の歴において激動だったのだろう。

この近くに氷川神社があった。高円寺は徳川家光との関係で、大きな寺となったが、その前に氷川神社が在の総鎮守であったのだろう。しかし都市化のなかで高円寺は変化が激しく、小さな敷地しか維持できない。氷川神社は気象神社という御利益があるとか。

東京阿波踊り大会は、17:00から7か所の演舞場から一斉に順番で出発する大規模な踊りである。7か所で83の連が全国から集結している。どういう基準で参加連を集めたのか分からないが、とにかく阿波本国に次ぐ大阿波踊りである。

 途中で雨が降って来たので、30分歩でで引き上げ、大久保駅のB級グルメの魚飲み屋で一杯やってご機嫌で帰還いたしました。

PS,先週の土曜日は神宮球場での花火大会。東京体育館の敷地で、金4500円払って見物したよ。ベストポジションであったな。やはり、モノを見物するには、しかるべく金を払ってみるのが老人の鑑賞方法だと智恵を得たな。


富士登山の終わり

2016年08月27日 05時17分52秒 | Weblog

8月26日27日は、富士吉田市で富士浅間神社の火祭りが行われる。

火伏の祭りであり、富士山の山じまいの祭りでもあり、吉田の町は富士の登山口になっているから大通りを巨大なたいまつを並べ、一斉に点火する姿は美しい風物詩である。一度見物に行ったが、写真が紛失。往時茫々だ。

そういえば、吾輩も10年以上前に、2回富士登山をした。富士に1回も登らないのは、バカだが、2回以上上るのはもっとバカといわれるが、吾輩は2回だ。その結論は、富士はやはり遠くから眺めるものだということ。以後、登っていない。

 

本年の8月は暑いのに、7回テニスをやった。あと31日にもあるから台風で中止にならないと、8回。狂っているね。

富士山に何十回と登る人がいるようだが、人様を笑えないね。


砂蒸しの 頬なぶりゆく 若葉風

2016年08月20日 15時04分40秒 | フォット俳句

砂蒸しの 頬なぶりゆく 若葉風

    砂蒸し温泉は指宿と有名だが、ここは観光地化している。指宿の先に山川砂蒸し温泉がある。ここはあまり人も多くなくおもに地元の人が楽しむ鄙びた風情がある。前に海、右に開聞岳を見ながらの砂蒸しは極楽極楽。こんな素晴らしい温泉を利用しない手はない。


秋の海 観艦式に 人の波

2016年08月19日 20時57分05秒 | Weblog

10数年前の写真が出てきた。恥ずかしながら皆様にも。

秋の海 観艦式に 人の波

     自衛隊の観閲式は陸・海・空と交代で行われる。海上自衛隊の観艦式は3年に1回、相模灘で多くの艦船と装備演習を展示する。数多くの招待客を乗せた護衛艦が横須賀を出港し、暫くして、首相がヘリで着艦して部隊に訓示して観艦式が始まる。各種艦船の隊列行動や潜水艦等、海の守りの重要性を感じさせる行事である。


相撲場の 稽古をのぞく 江戸の街

2016年08月19日 09時32分54秒 | Weblog

相撲場の 稽古をのぞく 江戸の街

     両国界隈には国技館があり多くの相撲部屋がある。大相撲は両国の国技館と名古屋・大阪・九州と年6場所だが、そもそもは、桓武天皇の時代の相撲節会から恒例の行事となったとか。両国の街には今も稽古場の見学とか鬢つけ油のにおいなど下町の風情を感じることもある。


クロアチア その6 ザダール と オプテイア

2016年08月14日 00時00分00秒 | Weblog

今回のクロアチア旅行で一番気に入った街は ザダール と オプテイアである。一番が2つとは  これいかに  だが吾輩は、両方とも もう一度滞在してみたい。

ザダールの街の鳥瞰図。昔は左中ほどの橋で本土側と繋がっていたらしいが、その後、南の方を埋め立て現在は陸続きであり、周囲はその後の近代化で大きな街になっている。ホテルは右上前方の森の中。森のなかは後世の埋め立て拡大地域。

ザダールの街はかってダルマテイアにおけるローマの最大の拠点であり、西ローマ滅亡後、1102年まで東ローマ帝国=ビザンチン帝国の支配下にあり、その後は十字軍遠征の拠点であり、ベネチアによる占領されていた時期もあり、その関係でいろいろな時代の歴史文化遺跡が残っている。多くのミリ物があり、非常に印象深い街であるが、世界遺産にはなっていない。そこで今度機会があれば、このザダールで1週間ぐらい宿泊して、ゆっくり アドリア海を楽しみたいね。

ザダールの歴史遺産になってないのは吾輩には不思議だが、その代わりと言っては何だが、ザダールの10kmぐらい南に トロギ―ルというザダールと同じように海に孤立し本土と橋一つで接している街がある。これはザダールより規模が小さくパッとしないッ風情であるため、より中世的雰囲気があり昔の風情が残されているという意味で、世界遺産に指定されている。     だが迫力はザダールに全然劣るがね。

本土と橋で隔離されている。昔はこうして身の安全を図ったのだろう。ここが世界遺産なのだ。

 

トロギ―ルの中世の裏道

さらにその南に、シべニック という港町があり、ここの聖ヤコブ教会が世界遺産になっている。中世の市街地が残っている港町と言われている。

いっちゃ悪いが、こんな教会がなんで世界遺産かね。異教徒にはまったく分からないがね。

 

 

それより もっと 感心したのは、オプテイアという街。

ここはイタリアの東の端、トリエステかた5kmくらい。そしてベネチアから10kmぐらいのアドリア海に面し、クロアチアでは リエカ という最大の港町の西端にポツンとあるような小さな街である。昔はハプスブルグ帝国の支配下にあり、その関係でウィーンの貴族たちがこぞって別荘を建てた リゾート地である。日本ではほとんど知られていないが優雅なリゾート地だ。ウィーンの厳格でかつ美しい街並み精神が残っており、今度はぜひここでも1週間ぐらい過ごしたいものだ。やはりウィーンの貴族的リゾートの雰囲気だ。こういうのは何となくなじむね。

ウイーン的な重厚な建物がホテルになっている。

海岸がレジャー基地に

夜間出港クルーズの案内

夜の公園には夏季の野外劇場があり壁に有名人の写真が。これはアインシュタインだと分かったよ。

夜の岸壁

夜の公園・ホテルが

同じものが朝にはこんなにきれい

夜遅くまでホテルではライブ。子供たちも夜遅くまで許されているのがバカンスか。

夜の海に潜水艦で海底探検

教会もライトアップ。夏のリゾートは夜が遅いのだ。

夜の町は美しい。

街にはきれいな花が。

孟宗竹に見られるように日本的植栽がある

 

 これで分かるように、日本的環境に合うように思える。皆さん機会があれば、 オプテイア を覚えておいてくださいね。

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ボスニア・ヘルツゴビナ その5 モスタル

2016年08月11日 14時17分42秒 | Weblog

暑いね。残暑お見舞い申し上げます。 

吾輩は1週間のロアチア旅行から帰国してはや1週間。暑いのにテニスを復活。昨10日も暑かったが、錦糸町の猿江恩賜公園で15時から17時までやりました。お陰で昨夜から今日にかけてダウン。オリンピックを見ながらビールに浸る。明日も3時間のテニスが予定、更に8月中に、あと7回のテニス日程がある。年を考え、死なないように気をつけるしかないね。皆様もご自愛のほどを。

さてクロアチア旅行の続きだが、ボスニア・ヘルゴビナはユーゴ独立戦争の激戦のあったところ。クロアチアから国境を変えて世界遺産のモスタルへ行きました。

ここはムスレム系住民の多いところで、クロアチア人が、ムスレムを攻撃したところと言われている。もちろん今ではかっての内戦なんか忘れたように生活している。これが民族混住のバルカンの生命力・本質かも。

ネレトヴァ川をまたぐモスタルの石橋。1566年オスマン帝国支配下に作られた美しい橋で、スターリー・モスト(古い橋)と言われたところから、このモストから街の名前がついたとか。この橋から川に飛び込むのが年中行事だったが、内戦中は、この橋を境にクロアチア人勢力とムスリム勢力が対峙。93年11月にクロアチア勢力が、この橋を爆撃破壊。2002年にユネスコ、世銀等の支援で再建に着手。2004年に写真ごとく再建された。そして世界遺産。

爆撃直後の仮の橋の写真が全世界に発信された。

ムスリムとクロアチア?の混血美人

小規模のミナレット

イスラム教会前の手洗い所

ムスリム教会の内部

イスラム教会のミナレットから下界を

イスラムは土葬だそうだ。教会境内のお墓

外国人の観光客

周辺はブドウ畑


モンテネグロ その4 コトルの街

2016年08月10日 02時03分44秒 | Weblog

旧ユーゴスラビア社会主義連邦共和国が独立運動で解体したが、セルビアと民族的にも兄弟国であったモンテネグロも、国民投票で独立することになったから、クロアチアと国境を接するリ隣国である。

ドブロブ二クの美しい町から5kmほど南に、モンテネグロとの国境があり国境の向こう5km先に、コトル(KOTOR)というきれいな城塞都市がある。小じんまりした美しい街で、ドブロブ二クに勝るとも劣らない。もちろん世界遺産である。吾輩はこの町の方が好きだな。

現地の  鳥瞰図ポスター

背景は2-300mぐらいの石灰岩の岩山に囲まれ、前に袋状になったアドリア海に包まれ、天然の要害である。そして後ろの岩山の頂上まで、防御壁で囲み後ろの安全を確保する構造になっている。この写真は前面の海に面した部分の防御城壁である。

城門の入り口

山の頂上まで城壁が続いている。

サマーフェステイバルのため、ファッションショウか、美人コンテストか分からないが、街の中心広場で夜のショウの予行演習をやっている。

広場のレストランでアドリア海のこんな魚を展示していた。

かってビザンチン帝国の支配下にあったため、ギリシャ正教が約80%カソリックが15%、わずかにモスリムがという構成。モザイク都市だ。

 

コトルの岸壁にはちょうどアドリア海クルーズの2万トン級のSEVEN SEAS EXPLORER という豪華客船が17時の出発するところだった。多くの観光客がこういう美しい町を散策していろいろ楽しみ、次の街へ行くのだ。まさに夏のバカンスの最盛期。

 

 

 


クロアチア旅行 3 スプリット

2016年08月08日 17時11分57秒 | Weblog

先週クロアチアへ団体旅行に乗って行ってきました。これは楽チンだ。

最大の動機はスプリットというクロアチア第2の都市にあるデイオクレテイアヌス宮殿=世界遺産を見るためだ。ドブロブ二クは皆様いいというが。世界遺産を7か所みたよ。

デイオクレテイアヌスというローマを4分割統治をおこなったローマ帝国皇帝が、自分の生まれ故郷バルカン半島のシンというローマ軍団駐屯地近くに、スプリットという海に面した場所に、自分の隠居所を立てそこに10年間の余生を送った建物がある。

ローマ帝国の皇帝は、民主主義の時代の政権交代方式を有していなかったから、皇帝変更は、暗殺が軍事クーデターしかなかった。その時代に自らの意思で円満にで引退し、次の皇帝を決めたのだから偉い。もちろんローマ史でも優秀な皇帝に数えられる。

その建物が、後世の歴史の変遷のなかで、キリスト教徒が利用したり、蛮族の襲撃避難したり、スラブ人クロアチア人が住みついたりして、過去の構築物を外観は維持しながら現在の究極のちゃんぽんの街になっている。もちろん世界遺産である。

宮殿そのものは日本の国会議事堂ぐらいの大きさで、ローマ風の頑丈な作りである。

 

ゲルマン系の軍人上がりの優秀な皇帝の顔だ。現代ならドイツの大手自動車 メーカーの冷徹なやり手CEOの顔だな。もちろんこの肖像は後世もずっと後のものであろう。なぜならこの人はキリスト教徒を弾圧しているから。この宮殿のデイオクレテイアヌス廟は後世キリスト教の礼拝堂に、アポロン神殿は洗礼室に換骨奪胎されているのだから。

 

 


夏出島 アドリア海の 真珠とや

2016年08月04日 16時34分53秒 | フォット俳句

夏出島 アドリア海の 真珠とや

     クロアチアのダルマチア海岸に要塞都市ドブロブ二クがある。西ローマ帝国崩壊後、スラブ民族が進出し海岸沿いに住み始めたようだ。その後ラグ―ザ共和国として、オスマン朝とも献納金を払って独立を維持するとか、ベネチア共和国と争い強調するような政治性を発揮した都市国家という。

 ほんの300mぐらいの丸い城壁のなかに中世からの建物が独特の形で残っている。強烈に暑いが、青い空青い海を見ながらこの城壁の上を歩くのが楽しい。きれいな絵になる街だ。 

 この辺りのバルカン半島は、旧ソ連崩壊の時代背景のなかで、6共和国・5民族・4言語・3宗教と言われる旧ユーゴスラビア社会主義連邦共和国が、チトー大統領亡きあと、1991年から各共和国が独立の動きを始める。セルビアが旧体制維持側、これに対し、スロベニア・クロアチア・ボスニアヘルツエゴビナ等が分離独立派で、当然軍事衝突が生じた。さらにボスニアのようにムスリム人44%セルビア人33%クロアチア人17%のモザイク国家で、民族ごとの意思が違うということがあり、民族ごとの衝突と複雑な戦闘、民族浄化もがあり、NATOの軍事介入や米国の調整等で停戦と国境制定と、現在の国境線が決まっている。                   お陰で現在安全に旅行できるわけだが。

 

下の地図は、ドブロブ二クの城壁内の諸建物に爆撃等の損傷の跡を正確に表示したもので、これら戦争の傷跡を昔と同じに修復したものである。世界遺産も崩壊の危機にあった。

暑い中でビールがうまい。スラブ系のお姉ちゃんも可愛い。

2万トン級のアドリア海クルーズ船がドブロブ二クは小さすぎて泊まれないので、湾外に停泊し乗客は散策に行っている。